浪奴社員の呟く
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全休日やったんで、朝からウマしよう、とか思ったんやけど、なんか今ひとつ気持ちが乗らんかったんで、9Rのオリエントチャームもケンしてまぁ、結局負けたさかい、取れん馬券になったやろーからケンして正解やったわ、とか思って、肝心要の桜花賞もな〜にがど〜ぉ悪かったんか今でも判らんねやけど、アンブロワーズど本線の馬券構成やったんで、ものの見事に玉砕してしまって、あまりに悔しいさかい最終で怒りの3連単410倍引いて、今日の収支わチャラで終わらせて、そのレースの終わるか終わらんかで卒業生のI藤が電話くれて今から母親セットで挨拶来るってことで、一月ぶりに会ったI藤わ見違えるように高校生んなってて、他所の子らでも大きくなっていく様を見てるのが嬉しいし何より可愛いわ、って思ってたら、夜の●る●る大辞典で●びるが彼女に対して「欲求不満が」とか言ったら隣から「ェ?彼女いるんですか?」て突っ込まれて即「ボクもう30ですよ!いるに決まってるじゃないですか!」て応えてて、ふ〜んそれぢゃ〜30になろうとするワシに彼女どころが女性関係ゼロなんわ大問題やねんな、と少々自覚が芽生えてたところで、やっぱ自分の子供ってのは、欲しいな…て妙な父性本能?みたいなんが沸いてて、よくよく考えたらシングルファザーなんぞありゃせんがな、てな常識に辿り着いてしまって、それやったらそれなりの人を見つけて結婚でもすりゃエェねんけど、人の話を聞いててワシみたいな我儘太郎にわ到底辛抱できるモンぢゃねェ!って思うような、そないな1日やった。…休みを満喫したんやろか?
価値観の異なる人と生活を共にするというのは、きっとワシの描く程とは遠いものなんやろな、て思う。そもそもワシ自体が常識から懸け離れた生活をしてるんでな。隠遁?厭世?そないなワケでもない。人付き合いは苦手やし、むしろ人見知りな部分もあるし、人間関係の面倒なんわ嫌いやな。やけどそれを差し引いたとしても、ワシが今こないしとるんわやっぱ辛抱しとるからやと思うで。きっともう10年以上見ていないから判りにくいと思うけど、『世話させてあげなアカン』感覚ってあってな。あの人はそういう『誰かのために』的概念で生命力を得ているところがあるんでな。まぁ、ドラマ仕様で言うところの、 母「頑張ってね、お母さん期待してるわ!」 娘「アンタの期待がどれだけ重たいか、判ってるの?ワタシばっかりに期待期待しないでよ!」 ま、こないな感じかな。やけど、そない言えるんもそ〜ら高校生くらいまでやで。。。誰かのために何かをすることでしか、生きられない、そういう人も大勢おるんちゃうかな、やさかい、自分にとっての一番の足枷でもあるんやけどな。それを認めていくしかないんよな。
生命を維持するための価値観、ってのは人によって全く異なるんやろうけど、それが根底にあって初めて幸福への到達感であったり、困難への克服感であったりが決定されてるんやろうな。まぁ、そない堅苦しいこと考えて家族生活を送ろう、なんてのは既に普通やないんかもしれへんけどな、少なくともワシらみたいなんわ、ソコを見逃すわけにはいかへんやろうな。いやいや、もしかしたら互いが感情論になってしまってこそ、本当の意味での家庭なんかもしれへん。やけど、それを目の当たりにしてきて、自分たちはそうなりたくない、と心に刻んできたわけやしな。ホンマ難しいな。
目指すものが何処に在るのか、ってのが不鮮明なんやろうな。今日か?明日か?10年後?老後?来世?今この瞬間だけを見られれば、人はラクに生きていけるんやと思うし、それも可能な場所やったんちゃうんかな、この国の大半は。やけど、この現在では、大半が今に逃げ込むことはあっても、今だけで生きられない、そないな場所になってしまったんやな、て思う。じゃあワシなんかは、何を求めてここにおるんや、ってなるんやけどな、1つははっきりしとるんよ。それはこの10年以上に渡って普遍の願望であって、そのために少しずつワシ自身を磨かなアカンと思ってるんやけどな、時には押し流されそうになる。明瞭な言葉で語られる『夢』との決別があって、喪失感に覆われてしまったりもするし、それを慰める如く言葉を構築してみたりもする。んでも、とりあえず此処まではどうにか踏みとどまってるみたいや。それは己の生命の価値の無さに対する、反駁に得られる衝なんやろうな、て思う。結局はプライドであって意地であって、頻出化石のような扱いとなった根性なんや、て思う。
どうあっても逃げられん。己から絶つの選択を失えば、どうあっても逃げられん。やから背水としてこそ、この一歩の重みが全ての平衡に左右する、を知るんであって、曖昧模糊に封じ込めてしまうのは、どうせワシもオマエも許せん気質に出来ている。ならば、その一歩を如何に踏み出すべきか、を考えればいい。実際の処、今を生きるこそが最も難しいことなんやしな。つまり、「真物」が幻物で「偽物」が原物で、「現物」が見え始めれば、今日を生きるよりも明日を求めるに価値を覚え、そこに籠められる秘話は、実は今日を生きることに全てを注げ、という不断の貫流だということ。手前の糸口を解決の出口と勘違いしないで、最後まで追い詰めてください。
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