窓のそと(Diary by 久野那美)
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2011年11月18日(金) |
「あて書きできる?」 |
と、この間聞かれた。
その質問に答えるのは難しかった。 答えられなかった。 できるためには、何が何にあたってればいいんだろうか。
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以前、舞台じゃなくてオーディオドラマだけれど、二人の出演者が確定している台本を続けて何度か書いたことがある。 二人ともすごく魅力のある役者さんだった。
あてがきしよう、なんて一度も思わなかった。 一度も思わなかったことに、今あらためて気づいたくらい、頭の隅にもなかった。
そんな僭越なこと・・・・と私はたぶん思っていた。 そして、そんなもったいないこと・・・と。
出演者が二人いることは、頭にあった。 ひとりが女性でひとりが男性であることも。 上演時間も決まっていて、長すぎることも短すぎることも不可だった。 言葉が全くないのも不可だった。 それはちゃんと守った。
でも、それ以外はなんでもありと思っていた。 人間じゃないものもいろいろ書いてみた。 生き物ですらないものもけっこうあった。 台詞が1こしかないとか、擬音しかない、とか、台詞らしいものがなにもない、とか、どれが台詞だかわからない、とか。
「こんな台本ならどうなるかな?」「こんなのでもやってくれるかな?」 「どんなふうになるのかな?」とドキドキしながら書いていたような気がする。
別に何の問題も起こらなかった。 つまり、ほんとうに魅力的な役者さんだったのだ。
今回、ひとり芝居の台本を書いた。 出演者は書く前から決まっていたので、彼女が出演するためのお芝居を創ろうと思った。上演する場所の大きさもなんとなくわかっていた。(予算的に)セットが作れないこともあらかじめわかっていた。
出演者が決まっているお芝居の台本を書くのははじめてだった。 台本の段階からわかってれば、何かと有利だと思った。 せっかくだから、彼女がいちばん素敵に見える物語を創ろう。 せっかくだから、上演条件をクリアできる物語を創ろう。
戦略的にいろいろ考えてみようと思った。
だけど。不思議なことに、書いてるうちに、平台の上の舞台も、役者の顔もぼやけてきて見えなくなった。見えてる間はなんだかもどかしくてうまく進まなかった。物語のある場所と、登場人物の顔しか見えなくなった。演劇の舞台は天井も壁も床もあって、大きさも決まっているけど、物語のある場所には大きさがない。上手やら下手やらがあると見えるはずのものが見えなくなるのだ。
そのうちあきらめて、上手のことも下手のことも役者のことも考えるのをやめた。知ってる場所にいる知ってる人のことを考えるより、知らない場所にいる知らない人のことを考える方が、ずっとずっとずっと楽しい。知ってることばかり次々に言葉に起こしても何も面白くない。
書き終わって、出演交渉が成立したあと。 以上のことを正直に出演者にうちあけてみた。
「あなたにしかできないお芝居を創ろうと思って書き始めたのに、誰にでもできるお芝居を創ってしまいました。」
改めて言葉にすると、ばかみたいだ。
だけど、私は、それだからこそ、彼女に出演してほしいと思った。 彼女が演じなければまだどこにも存在しない人がいて、まだどこにも存在しない物語があるからだ。
彼女にしか存在させることのできない、いちばん素敵な物語を創ろう。
言い訳してるだけなのかもしれないけど、でも、ほんとにそう思った。
「あて書きできる?」 と聞かれたとき、そのことを思い出した。 だから、その質問にはうまく答えられなかった。
でも、できない、と思ってるわけでもないような気がする。 役者さんが素敵に見えるお芝居を創れるなら私も創りたい。ぜひ。
あて書きの意味がよくわかってないのか?間違ってるのかもしれない。
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打ち明け話をしたとき。 出演者の片桐慎和子さんは、 「それでいいと思いますよ。」とふつうに答えた。 彼女がなぜそういったのかは、私にはわからない。
彼女にしか存在させることのできないいちばん素敵な物語が、 もうすぐ、舞台の上に現れることになっている。
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