聞こえよがしに悲嘆をさけぶ

7枚綴り


2004年02月20日(金) 右耳の鈍色

業者のやる、人格判断テストのようなものとかで

「自分はまじめな人間だと思う」

なんて質問があると、「はい」っていうのを選ぶのは非常にそのなんていうか、誰にってわけでもないけどはばかられます。
なんていうか、いやまじめだとは思うんだけど、果たして自分でまじめでおもうと公言するほどにまじめなんだろうか、とか。
あとなんか、そんな、人に言えるほど自認していないっていうか、なんか、おこがましいと言うか。
ここまで考えるということはまじめなのだろうか、とも思うんですが、即答できる程でもないくせに
ここではいを選んでいいものか、と。
そして、自分でまじめだ、と言うっていう、自分で自分のキャラを立てるのに必死な感じを
避けたいとも、くだらないし誰に遠慮してるのかも分からないけども思ってしまい。

ああでも、この質問がまじめ度を測るのでなく、いかに答えるか、っていう観点の質問なら問題ないのかなー。
どういう意図なんだか知りたい…ぜ…。
そんなだから、就活アンケートみたいなので

「仕事に情熱を燃やしたい」

とかいうのがあると、恥ずかしくて選べないけど、選んだ方がいいのかなーって煩悶しちゃいます。
っつーかこれでザクッとはいを選べてしまう人間の顔が見たい。
就職情報誌の表紙にいそうな顔なんだろうか。

あと

「気分が沈んで憂うつである」

ってそのまんまの質問を、鬱度チェックにいれてどうなるのか、みたいな…。
こういうのではいってサクッと選べるような人は果たして鬱なんですか。その自信はなんですか。
これが、だから、これではいを選ぶと鬱度むしろマイナス、とかいうあれならあれだけど。
ああでも、現状が鬱ならこういうのとか、「死んだ方がいい」とかの直球な質問でも選ぶか。
いや、ええでも、確かに鬱ならその項目を選べるけど、鬱ならすでに現状が鬱であると分かりそうなもんだ。うーん。
その、日常生活を送っているけど鬱の可能性がある人をあぶりだすチェックなのかなーって思ったんだけど、そうじゃないのかな。
いいや。

あと、結果として、真実鬱で悩んでいる人間と、鬱で 悩 み た い 人間とに両方とも高い鬱度を提供しちゃうっぽいなーって思った。
でも鬱なりたい派は結果で満足するし、しあわせにする装置なんだと思った。


えのもと |MAIL