薔薇園コアラの秘密日記

2005年04月07日(木) 男の子三人のお母さん(追記)

 理人の同級生で、お母さんがポーランド人でお父さんが日本人の侑太くんという男の子がいる。

 一年おきに、日本とポーランドを行ったり来たりしている。理人とは2年生と4年生のときの同級生で、6年生になってまた戻ってきてくれた。

 ワルシャワに戻ってすぐに、侑太君から電話があった。
 翌日から遊びの約束を取り付け、連日うちで一緒に遊んでいる。昨晩はお泊り、今晩は帰るけど、明日の晩はまたお泊りしにくる。

 息子達も、長すぎる春休みは退屈だったせいか、侑太君がきてくれるようになってからおおよろこび。

 私も、明日、大きなパーティーを控えているけど、少しずつ準備をしながら勢いで男の子三人を面倒を見ている。

 侑太君のお母さんは敬虔なカトリック信者で、私たちよりもいくらか年輩でもあるし、今回のヨハネパウロ2世の喪に服し、静かに家で過ごされている。

 そんなときに、元気いっぱいの小学6年生のハーフのニッポン人の男の子がいたら、喪に服しようとしても、それどころではないだろう。

 明日は、ポーランド全国民服喪の日。
 私は異教徒でもあるから特別に何にもしない。だから、少なくとも、敬虔なカトリック信者の侑太君のお母さんのために陰ながらお役に立ちたいとも思ったのだった。

 きっと今ごろ、教会に行ったり、お友達と再会して、法王を偲んで語り合っておられることだろう。

 追悼ミサには無数の人々が自発的に広場に集まったそうだ。バチカンに弔問に行きたくても行けなかった人々である。日本でもニュースになっていたと思う。

 今回の服喪で、人々の敬虔さとか、ヨハネパウロ2世への敬愛心とか、カトリックの敬神の念とか、ポーランド人の新たな精神世界に触れることができて、異教徒の私としては、密かな感動すら覚えた。

 2005年4月8日は、目下ポーランドで暮らしている私にとって、生涯のうちの歴史的な日として決して忘れることはないと思われる。

(追記)
 晩九時半過ぎ、ポーランド第一放送を見ていた。勿論、追悼番組をやっていた。

 じつは、私、ポーランド語のチャンネルはほとんど見ていなかった。(テレビのリモコンが別で面倒くさいから……というどうでもいい理由で)

 追悼番組が終わり、ヨハネパウロ2世の祈りの静止画像が映っていた。右手前にゆらめくろうそくの灯火。左手に時報。

 21:36.55 ……。
 21:36.56 ……。
 21:36.57 ……。
 21:36.58 ……。
 21:36.59 ……。
 21:37.00 同時に右手前のろうそくの灯火が瞬時に消える。
 21:37.00 全くの静止画像。
 21:37.00 ……。
 21:37.00 ……。
 
 4月2日のこの時刻にヨハネパウロ2世の命の灯火が消えたのだった。
 5日前の晩、静止画像に示された時刻だった。

 最初、現在の時刻を示しているただのデジタル表示かと思っていた。
 誰もにとって、時間はそのまま流れている。今も同じように。
 が、ヨハネパウロ2世の生命の時間はそこで止まったのだった。

 何かを思い出したかのように私の胸にも深い悲しみが襲いかかってきた。
 命のともしび、ろうそくの炎をいつまでも眺めていたいとおもった。

 死者を偲ぶ時に、ろうそくを灯す意味が、今、ようやくわかったような気がする。
 


 < 過去  INDEX  未来 >


祐子 [MAIL]

My追加