| 2004年02月16日(月) |
落ち込むってどんなこと? |
昨日の日記で、私が落ち込むことはない、と書いた。確かにその通り。落ち込んだことなど今までに一度もない。
それでは、あなたは自分自身にそんなに自信があるのか? と問われれば、さにあらず。 今日までの私、傍目には人生順風満帆のようでも、自分の目の前に掲げられた目標にあと一歩で達することができず、その都度しょげ返ること千万。 でもね、落ち込むのとしょげるのとは私の中では全く別の感覚なの。
毎年、秋に仕上げた投稿作品が、12月に発表になる。忙しい時期に自分なりに精魂使い果たして書き上げるので、結果は受験の合否発表のようにどきどきわくわくする。ここしばらくは、毎年、泣かず飛ばずで、結果が出た後、しばらくは誰にも気付かれないように密かに放心状態でいたことがあった。
創作活動なんか、ごくごく個人的な作業であるから、家族に対しても、周りの人に対しても、その無念さとか悔しさをなかなか理解してはもらえない。
だからといって、予選落ちのたびに落ち込んでいるわけではない。 落ち込む=自信を無くす、ということなのだろう。 私の場合、私をよく理解してくださっている人たちがタイミングよく年賀状などで、いつも叱咤激励のメッセージを送ってきてくださる。 私ものせられやすいノーテンキなタイプだから、よっしゃ、また今度がんばってみるか! なんて元気な笑顔を見せたりする。 きっと、そういう人たちの暖かいメッセージこそが創作活動にかける私の原動力になっているのだろうな。こんな海外の地でむなしく孤軍奮闘する私を、遠くからいろんな人が見守ってくれているという実感もある。 「神の見えざる手」とでもいうか。
自分の内面にあるものを誰かが上手に引き出してくれる。そして、自分が表したものが新境地を切り開いて、やがては、私の言葉でしか表現できない小宇宙を築き上げる。そのために私はこれからも言葉を編みつづける。
この日記の中の私は、自分の本来の性格からほど遠い。正直なところ・・・。昔の友達が何人も違和感を感じてメールを送ってきた。 WEB日記は、手紙のように自分が直接伝えたい対象の相手が見えていないから、ちょっとした表現が指先で固まってしまう。心と指先が繋がっていない状態。だからいつも何を書きたいかわからないままキーボードを打っている。多分今日も。 つまんない日記・・・と、パソを覗き込みながら、私はいつも落ち込んでいる。
ア、冒頭に落ち込んだことなんか今まで一度もない、って書いたのに、これじゃあ、さっそく文章ハタンだよぉ・・・。
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