2007年02月23日(金)  シュークリーム・ランキング

高校時代に大阪で一緒に留学前研修を受けたマイちゃんが遊びに来てくれる。会うのは三年ぶり。子育ての13年先輩であるマイちゃんは受験やママづきあいの大変さを語り、「昔の友だちはラクでええわあ。いらん探りあいせんでええし、どこまで話していいんか気ぃ遣わんでええし」と言った。お互いの赤ちゃんをかわいいねえとほめあっているうちは平和だが、子ども同士の人間関係が結ばれ始めると、こんがらがってくる。1)親も子も仲良し 2)親は仲良し子は仲悪し 3)親は仲悪し子は仲良し 4)親も子も仲悪しの4パターンのうち「2と3が面倒やねん」とマイちゃん。葛藤あるところにドラマあり。「まあ、見ててみ。あんたもすぐやで」。楽しみなような怖いような……。

手土産に持ってきてくれたのはシュークリーム。渋谷の東急東横店のシーキューブ(Cの3乗と表記)で買ったもの。はじめて食べたけど、アイスクリームみたいに濃厚なクリームが気に入った。「シュークリーム、めっちゃ好き」と言うと、「よかったぁー。わたしも好き」とマイちゃん。彼女のベストシューは慣れ親しんだヒロタのカスタード。子どもの頃よう食べたなあ、あればっかし食べたなあ、あれしかなかったし、と話す。

先日、恵比寿でお昼を食べたお店で食べたシュークリームもめっけもんのおいしさだった。250円のランチデザートを大した期待をせずに注文したら、ずいぶん気合の入った一皿が運ばれてきたのだ。大きく開けた口(あご、外れてます)にたっぷりのクリーム、その下にはリンゴのコンポートという組み合わせ。シュークリームは、形からして「幸せ〜」という顔つきをしている。結婚前のダンナがはじめてわたしの大阪の実家に来たときの手土産もシュークリームだった。甘いものはじゃんけんで取り合うのが慣わしの今井家では、父が真っ先に「じゃいけん!」と張り切って声を上げ、当時のダンナは「おやつに目の色を変える、子どもみたいな親」に驚いたり、「シュークリームなんだからじゃんけんする必要はないのでは」と思いつつ突っ込めずにいたりした。

あとの自分のベストはなんだろう、とこれまでに食べた大小さまざまのシュークリームを思い浮かべてみる。帰りに立ち寄ったら、とマイちゃんにおすすめした近所にあるパティスリー・シモンのシモンシューはかなり上位に位置している。バニラビーンズたっぷりのクリームを注文してから詰めてくれるのがうれしい。

最近は散歩コースのパティスリー・マリアージュの軽やかなシューに心を奪われている。シモンシューは何十回と食べているので、新鮮な出会いに浮気しているだけかもしれない。『子ぎつねヘレン』の網走ロケで獣医監修の荒井先生が差し入れてくれた幸栄堂菓子舗のシュー(写真で見るとじゃがいもみたい。北海道なだけに!?)も忘れられない。

ご近所シューといえば、他にも三田線白山駅近くの手作りケーキ屋『風子』のシューや、三田線千石駅近くのお茶屋さんがやってるケーキ屋さんのエクレアがなかなかの実力を備えていたりする。

上位ランキングはめまぐるしく入れ替わるけれど、ベストはやはりウエストのシュークリームだろうか。ナイフとフォークが必要な551の豚まんもびっくりのボリューム、それでいてナイフとフォークでいただくのが似合う優雅な味わい。不動の一位にふさわしい堂々たる風格を備えている。

シューが好きということはエクレアも好きだ。ポーランドの古い城下町クラコフでは、道行く人たちがホットドッグ感覚でエクレアを頬張っていた。ポーランド人のくわえタバコ率の高さには驚いたが、タバコをくわえていない人はエクレアをくわえていた。どのパティスリーのショーケースにも必ず並んでいるエクレアを食べ比べるのは楽しかった。ポーランドではエクレアのことを「棺桶」と呼ぶと聞いたことがあるけれど、真偽のほどは未確認。でも、似ている。写真は、わたしのエクレア好きを聞きつけた友人のテスン君が手土産に持ってきてくれたもの。ビターなクリームといい、小ぶりで細身のサイズといい、大人のエクレアという感じ。味も洗練されていて、ひとつ上の高級感を醸している。名前は失念してしまったけれど、世田谷の梅が丘のほうのお店。

エクレアといえば、『子ぎつねヘレン』の打ち合わせのとき、誰も手を出していない差し入れのエクレアに、誘惑に負けてかぶりついた途端、はちきれんばかりに詰まったチョコクリームが飛び出し、打ち合わせ用の脚本の上に着地した。まだ突っ込みを入れられる人間関係ができる前だったので、何もなかったかのように会議は続けられたのだが、チョコレート色の日の丸みたいになっているのを見て見ぬふりされるのは何とも不自然だった。誰も突っ込まないので、ティッシュくださいとも言い出しにくい。焦る手の中ではコーティングのチョコレートが解けはじめているが、次のひと口で新たなチョコ鉄砲が飛び出す危険があった。その後どうしたかの記憶は抜け落ちているけれど、こういうのを間が悪いって言うんだなあとか、こうなるから誰も手をつけてなかったんだなあと反省したことだけは覚えている。

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