日記雑記
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2006年02月13日(月) 「「感動」禁止! 「涙」を消費する人びと」

『「感動」禁止! 「涙」を消費する人びと』 八柏龍紀
「感動をありがとう!」という表現に違和感を覚えるのは、感動が外から与えられるものではないからなのだという話。
感動と聞くと昨今の純愛ブームやらスポーツ観戦の熱狂やらを連想しがちですが、実はそういう受動的な、言ってみれば商品化された感動は、既に60年代から70年代に本当の「祭り」が奪われた事に原因があるのだ、と話は続きます。


読んで勝手に考えた事。
私も、例えば映画感想の「感動できませんでした」という表現にもやもやしたものを感じていました。
感動できる筈だと考えていた事に対しての「できませんでした」だと思うんですよね。予め感動を期待しているのって何か過剰な期待というか、ちょっと動機が不純な気がします。

しかし、先日TVで、映画を見て涙を流すための同好会が取り上げられているのを見ました。
この人たちは、日常人前ではなかなか泣けないけど涙を流すのはすっきりするよ、という趣旨で一緒に映画を見ているそうです。
この新書の筆者は「少なくとも大量に安売りされるような感動や涙、勇気は買わないように。」と〆ているので、まさしく涙を買ってるこういう集まりを批判するかもしれません。
それでも、私はこういう涙の消費の仕方もあるんじゃないかな、と思います。
誰に批判されようが現代日本の社会人が疲れているということは変わらず、それならば涙を活用するのも効果的です。(まあ私は学生ですし、幸い今のところそこまで追い詰められてはいませんが。)その場合はきっと、「涙」や「感動」が意図的なリフレッシュ用とそうでないものに分かれているのでしょう。

むしろ、問題は「泣けます商法」にあると思うんですよね。感動をあなたに、とか、今年一番泣ける、とかいう売り込み方。押し付けがましいこと甚だしいです。
そもそもは、話の内容があって、それによって感動するかしないかは個人の問題の筈です。感想としての「泣ける」ならばともかくも、「泣ける」で売り込もうとするのってどうなの、と。この本で読んだ「感動」の商品化に他なりません。内容を売り込むことを放棄して何をやっているのでしょうか。
だから、泣けます系の作品はなるべく避けて通ります(笑)。


まあそういうわけで、大筋でうなずける内容でした。我に返ったときのディズニーランドのむなしさとかね。「ネタ」の話は「電車男は誰なのか」の方が面白かったような気もするなー。リアルタイムではない感じもあります。
因みに、おじさんくさいというのは言葉の端々のことです。妙に若者風の言葉づかいを差し挟んでみたりだとか。現代という単語は全て「いまどき」に変換されているのだろうかと途中で恐れをなしました。「いまどきニッポン」って…おはよう日本じゃないんだから。
かなり大まかな流れで説明を試みているので、もうちょっとつっこんだ内容でも読んでみたかったです。授業として聞いたら面白そうだと思っていたら、やっぱり元は授業だったそうです(笑)。


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