日記雑記
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| 2005年12月24日(土) |
「共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人」 |
「共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人」 リチャード・E・シトーウィック
共感覚についての読み物は前にも一度読みました(「ねこは青、子ねこは黄緑」)が、前のが共感覚者本人の体験談だったのに対して、こちらは研究者の書いたものです。 著者が味に形を感じる一人の共感覚者に出会ったことをきっかけに研究をしていく過程を、読み物として書いています。
共感覚は味に形を感じるとか音に色が伴うとか、複数の感覚が同時に現れることです。 比喩表現として使われることもあリますが、この本で扱っている共感覚者というのは、連想ではなく二つ(それ以上?)が分かち難くひとつになって現れる状態。「心の眼」でなくて体の外に知覚されます。結びつきは変らずにずっと続くし記憶に残ります。
不思議なこともあるなーというのが私の正直な感想です。 脳に原因があることは確実ですが、それは結局まだ突き止められていないみたいです。シトーウィック氏はこの本で結論を出しているんですが、それも前に見た説明と違うような気がする…。 生物の授業で脳までやらなかった人にとってはちょっと難しい部分も多々あります。今までの脳の説明は間違っている!と言われるので余計にややこしい。
それでも、実際に共感覚の人がいる、ってことは間違いないのです。 共感覚だけではなくて、この本の中には色々な脳の症状が紹介されています。逆転視とかとか自己像幻視(どういう仕組みか書いてなかったのですごく不思議)とか、写真記憶とか。 いちいち、普段の想像以上のものばかりです。脳ってわからないなあと思います。 わからないなりに、あるものはあるのです。原因や仕組みは置いておいても、すごいなーと感じることは出来ます。こういう投げやりなところが科学者と私の決定的な違いなのでしょうが(笑)。
だからとても楽しく読みました。 もし興味がある人は直に本を読むのがいいかと。何か自分の説明が間違ってそうで怖い(笑)。
著者は、共感覚が主観的であることが、大きな問題だったといいます。 共感覚について彼が関心を持っても、客観的でないからと周囲の専門家たちには相手にされなかったそうです。少なくとも70〜80年代のアメリカの病院では、機械で調べて何も見つからなければ患者本人の訴えはしっかり受け止めてもらえなかったことが多かったそうで。機械を中心にする風潮を批判しています。
それで話が進むにつれて、主観や情動の復権を説くんですね。これは一応は、共感覚の原因の説明で低く見られていた辺縁系を評価するのと重なっています。 でも、共感覚という症状の話に留まらず、実は私たち皆のこれまでの生き方を変えてもいいんじゃないか、という提案が出てくるのです。科学者なのに「主観」的。 詳しい話は省きますが、脳の話をどんどん突き詰めていくと哲学というか、生き方の話になってしまうようです。不思議なようですが、考えてみたら当たり前かもしれません。どちらも私たち自身の問題ですから。 情動と理性とはどちらも大切、とか、自分にも自分は計り知れない(だからこそ、自分で知っていると意識していることよりもっと多くのことも知っている)とか。そういう頭で考えてることが、脳という物体の影響を受けてるなんて、普段は思いませんがね。
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