先日のお月見イベント(^^ゞで、問題にさせていただきました、秘仏のお話。
そう、絶対秘仏のお話です。新聞を読むまで知らなかったのですが(^^ゞぽりぽり
何度となくお参りしている、浅草の観音様、ご本尊の聖観世音菩薩像は
千二百年余、絶対秘仏として誰も見た事がないそうです。
・・・・・・が、明治の初めの「神仏分離」この時、政府の役人が三人、
国の命令だから調査を、とやってきて、強引に禁を破ってご本尊を見たそうです。
似たような事が奈良でも・・・フェノロサが夢殿で開扉したのと同じ、
ただし法隆寺では寺僧の心配をよそに何事も起こらなかったのに対し、
その秘仏を見た役人三人が、一年以内に皆亡くなってしまったのだそうです;。
なので災いを恐れて、益々秘仏の扉は固く閉ざされ、ご本尊も再び安寧の日々を
取り戻す事に。。。。。。。
・・・益々固く閉ざされたって、なんとなくわかる気がする。。。
時代が代わっても(明治といえば近代だけど)信仰心は急には変わらないんでしょうね。
で、三人の役人の一人が残した秘仏のスケッチが残されていたそうです。
それを戦前に見た人が何人かいるとか。そのスケッチが戦禍をまぬがれていて
今から十年余り前にたまたま偶然に見つかったのだそうです。
桐の箱の脇に、みだりに開けるべからず、と後の大僧正が記してあり、
判が押されていて、今もそのまま厳重に封印されているそうです。
スケッチを見た人がどうなったかは??ですが、その見聞話は伝わっていて、
見た人の見聞話と、縁起のに書かれている仏像とは、少しちがいがあるとか・・・
でもそれは縁起のままでいいのではないかな、と私は思ったりします(^^)
絶対秘仏なのだから、誰も見ていないはず。縁起のままのはず。
縁起のご本尊が秘仏になった理由もちゃんとあり、
浅草寺の開山となる観音堂を建立した僧が、夢のお告げによってご本尊を秘仏に。
それは、僧が仏像を拝んでいると、身の回りのものが見つからないという災いがあり、
これはもったいなくも観音様を直接拝んでいるからだ、と秘仏に定めたら、
不思議なことに、うせ物が次々と出てきた・・・と言うエピソードが寺伝にあるそうです。
実際、縁起に書かれている頃に本堂があったのは事実で、
空襲で焼けた本堂の焼け跡から、奈良朝末期のいろいろな物が出土して、
その観音堂があったという事実は、考古学的に裏付けもあるそうです。
そうだったんだーと改めて(^^)
ご本尊は、本堂の左側のお厨子(御宮殿)で、絶対秘仏のご本尊はその中に。
思ったより身近に安置されているのに、誰も(一般人は)見てないのかと思うと
なんともフシギ、というのか、長い長ーい年月の信仰を感じるのでした。
秘仏には「お前立(おまえだち)」という分身が造られることがあるそうで、
浅草寺では平安時代に刻まれ、このお前立本尊は絶対本尊と同じ厨子に安置され
毎年12月13日に、この厨子の御宮殿の開扉法要が営まれて、
観音経の読経の間だけ、お前立本尊の扉が開かれるそうです。
時間にして”6、7分”!!!!
これも知らなかった〜って、何も知らなかったσ(^^;)ですが〜〜〜。
そうなのかぁー!今度の12月13日、行ってみようかな。
あ、、、12月13日って、、、妻くんのバースデーだ(^^;)あはは〜
そうそう、牛にひかれて善光寺、の、長野の善光寺もご本尊は秘仏なのよね。
数回、善光寺には行ったのですが、ご開帳にも行った事がある!
でもやっぱりご開帳されているのは、お前立本尊だそうです。
数年前にご開帳だったのよね。子供達を連れて行きたかったけど、行かれず。
確か次回の頃には、子供達も育っている年のはず、なので、
一度連れて行きたいなぁ(行くだろうか(^^;))))))お蕎麦食べてこよう〜♪
7年に一度、と思っていましたが、6年に一度だそうです。
他にも秘仏の仏像は各地にあり、日にちを決めてご開帳されている場合もあるみたいね。
絶対秘仏ってなんとも意味のある言葉。いろんな歴史があるんだろうなぁって。
本当に観音様が絶対秘仏だとは知りませんでした。気軽にお参りに寄ったりしますが、
今度はお厨子をじっくり見てこようかな。
本堂は広くて、左右と中央にお厨子があり、それぞれ意味があるんだろうなぁとは
思っていたのですけど・・・(^^)
日本の歴史って長いのね。改めてしみじみ。
そしてこの日記も長くなりました。どうもお疲れ様でした〜最後まで読んでいただいて(^^ゞ
( ^^)_旦~~~ どぞ、お茶でも♪
↑8月21日(日)日本経済新聞”美の美”からの引用です。
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