思えば・・・私の祖母が亡くなった時(小学校6年生だったから・・・2*年前だわねぇ))))
お葬式には行列を作りました。火葬場まで、お坊さんも交えて、それぞれが役割を持って
ぞろぞろと・・・おひねりをまいたりもしたものよ。今は火葬場も閉鎖されたので
さすがに行列はしなくなったようです。
9月の25日がお通夜。雨の降る、しっとりした日となりました。
翌26日が告別式。朝7時半に、車で30分程の焼き場へ出発(は、早いよねぇ)、
午後から地元のお寺での式となりました。昨日とはうってかわって、蝉が鳴くくらいの(^_^;)
晴天となって、着物を着た私はちょっと暑かった〜!!秋の虫と蝉が一緒に鳴いてた〜。
お通夜にしても、告別式にしても、いなかの風習なのかしら、
おもてなし、は”近所総出で作る”のよね。もちろん仕出しもある程度あるけど、
お寺で食べたモノは、ほとんど手作りのものじゃないかなぁ。
お握りやら、お萩やら、煮物やら、サラダもあった、和え物・・・・
近所、といっても、集まってきてくれるのは、おば様方。若い人は少ない。
過疎化・・・が進んでいるからねぇ、、、、
なので、けっこう大変な仕事のようです。(感謝、感謝、、、)
しかし、おば様と言っても、やはり手際がいいわ。何人かの顔見知りのおばさんにも会って
挨拶したり、いろいろ話しもしました。口々に、急な事で・・・って。
式が終わると、初七日と三十五日のお清めを、旅館のような所で。
一連の行事が終わったのが、夕方。やれやれと終わったのでした。
2日とも夜は思ってもみなかったのだけど、温泉に行かれた。
ゆっくりして来たら、って地元の伯母さん達の計らいもあったのだけれども
(Dの家では家事にお湯を使い果たして、入浴分が沸かせなかったらしい)
温泉に入れて、ゆっくりできました。
さらには・・・私は2泊とも、私の実家で(^^ゞ Dのうちが出入りが多かったのもあるし。
2泊目は、お義母さんとお義兄さんとDと”川の字”になって寝たそうです。
寂しくないようにって、お義母さんを真中にしたんだって。・・・家族で話もできたかな。
Dの仕事もあったし、運動会もあったので、26日に帰ってきました。
義兄がしばらく居られるっていうから・・・私達は帰ってきちゃったよーーー。
なんだか急な事で、まだ落ち着かない感じもするけど、、、、
でもお悔やみに来てくれた皆が、「義父は優しい人だった」と口を揃えて言ってました。
酒飲みでねぇ(^_^;)、小さい頃は、酔っ払っては楽しくお喋りしてるオジサンって感じで
まさか、お義父さんと呼ぶようになるとは思ってもみなかったんだけど、
息子の事も、娘の事も可愛がってくれました。息子は初めての男の子の孫って事で
なんだかとっても嬉しそうだったのを覚えています。そう言えば・・・・
義父の一言で「この名はどうだ」って、息子の名前が決まったんだった。
自分で運転もしていたし、畑仕事もしていたけれど、娘が生まれた頃からは、
足の具合もよくなかったようで、一緒に遊んだっていうような事は少なかったけど。。
やっぱり具合が悪かったのかなー夏に遊びに行くと、義母にはなんだか辛く当たって
お義母さんがかわいそうだなって思っていたりしたのですが、孫や私には優しかったわ〜
皆が言うように、心の優しい人だったんだろうねぇ。
あの世で、酒盛りしてるんだろうなぁって、親戚の誰かが言ってました。
享年70歳だわ。まだまだ・・・な年なんだろうけど、、、、
ご冥福を祈るばかりです。合掌。
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