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空想妄想いろいろ日記
青木カナ
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2005年10月02日(日)
おもひで

 父の十三回忌でした。
 車だったのでかなり早めに家を出てみたら、集合時間の一時間前に着いてしまいました。しかしその前にもう着いていたお客さまも! というわけで、早くてよかった。

 いわゆる宗派は違うのですが、従兄弟(父の妹の息子)が僧侶になっているので法事はお願いすることにしています。その従兄弟も含めて参列者は十七人。ああー雨が降らなかったのはいいけどすごい暑かった! ぎーらぎーら太陽だった。パラソルとか立ててもらってもよかったかもしれませぬ。

 墓地での法要後、新宿に移動して食事です。
 わたしは父側の出席者席の末席に座り、ひさしぶりにおじやおばたちとゆっくり話しました。
 話題はもちろん、「今」のこともあるんだけど、父のこともたくさん。いろいろ聞きたいなと思っていたので。

 父方の祖父はわたしが幼稚園のときに亡くなったのですが、強烈なキャラクターの持ち主だったそうです。戦前に鈴木商店(日商岩井などの前身となった、戦前の総合商社)に奨学金をもらってドイツで学び、ちょっとした特許も持って、羽振りがいいときには同じ背広を八着もあつらえ、でも金遣いが荒かったのかひどいときには常に付け馬(借金取り)につきまとわれたク○じじいだったとか。祖母は質に入れられるものはすべて入れて、冬に浴衣一枚で借金取りの応対に出たこともあったとか。

 そういうじじと、二番目の妻である祖母(長生きでした。倒れるまで元気に家のこともしていた、大好きな祖母)二番目の息子として生まれた父は、三男二女のきょうだいのまんなか(じじの最初の奥さんが生んだ長男は戦死)。今日はそのうち存命の三人が揃っていたので、「どんなひとだった?」と聞いてみたのです。

「頑固だったね」
というのがけっこう共通した意見だったかな。
 といっても人当たりが悪いとかきついとかいうんじゃなくて、自分でこうと決めたことはとにかくやり通す。というような頑固さ。一徹というのかな。仲良しのきょうだいたちが共産主義の活動に加わり、勧誘しても
「それは違うと思う」
と距離を置き、当時の家からはずいぶん遠かった大学に決めて通学もきつかっただろうに淡々と早起きして毎日きちんと通いとおしたというようなエピソードを聞きました。自分をきちんと律していたというのかな。

 それから、子ども好き。
 葬儀のあとで、ふだんはあまり交流のない年の離れた従兄が、
「うちの親とかおじさんおばさんはなんかちょっと変わったひとたちで、子どものころぼくはあんまり構ってもらった記憶はないんだけど、ヤスおじちゃんだけは別だった。たくさん遊んでくれて、いろんなところに連れてってくれた。でもきみたちが生まれたらぱったり見向きもされなくなったんだよ」
と、古い写真を手に話してくれたことは覚えているんだけど、よその子もかわいがっていたとは知らなかったです。結婚前には近所の子たちに勉強を教えてあげたりもしてたとか。

 わたしはぜんぜん記憶にないんだけど、歌うのも好きだった、でもうまくなかった。というのも。
 けっこう人前でもいい気分で歌うんだけどうまくないのよね・・・・・・と伯母が笑っていました。わりと高めの声で。

 字はあまりうまくなかった。
 は、知ってるな。金釘流って感じでした。

 ここからはわたしの思い出。
 大学三年生のとき、初めてヨーロッパに行きました。スペインでの三週間での語学研修を含めて全部で二カ月、参加費七十万円以上、銀行で小切手を作って払わなければいけないんだけどそのお金を一時的に現金で手にしたとき震えるような気持ちになったのを覚えています。とにかく行きたくて、成人式の着物とかいらないからと言って半分出してもらったと思う。

 研修のあとはスペイン旅行をへてイタリア、スイスへ。当時はネットなんか当然なし。きちんと行程の決まってる旅行だったから、ホームステイ先やホテルに家族からエアメールが来たことも。あとはたまに電話。

 お土産については父母ともに「なんでもいい」と言ってました。これは父の場合はほんとう。あ、なに買ったか忘れた。母のぶんはすごく悩んだんだけど、一緒に参加していたお嬢様大学の子に教えられてフィレンツェのトラサルディに行き(ドアマンがいてびっくり! しました)、すごく悩んで、時価四万円の茶色のショルダーバッグを逡巡のすえに買いました。

 その後、電話で[お土産買ったよ」と言おうとしたわたしは、母に
「やっぱりカメオを買って来てもらおうと思うの」
と言われてがっくりきましただ。もうお金ないよ。と断りましたが。

 弟なんか、分厚い手紙をよこしておお! と思ったら雑誌の切り抜き満載で、
[こういうボンバージャケット買ってきてください]
でした。奴はその後もお買い物指令でわたしをがっくりさせてきました。

 で父の手紙にやっと辿りつきますが、フィレンツェのホテルにだったかな、日常のできごとを書いた手紙が届いていました。
「隣の犬が小太を八匹産みました」
だったかな。・・・・・・てん、の位置が間違ってたんだよ。こぶとり、またはしょうたになっていました。忘れられん。

 結局あまりにもパーソナルな感情をともなう思い出は恥ずかしくて書けないものですね。
 大好きな父でした。すごく愛してくれました。信じて放任してくれました。
 あんまりお墓参りにいかなくてごめんね。でも、現世にいるとしたらわたしたちの近くにいるに決まってると思うんだ。言い訳だけど、そう思ってるのもほんと。

 じつは行き帰りの車のなかで漏れなく妄想とかエロメールとかしてたんですが、まあそのことは後日。