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2003年03月23日(日)
今まで 自分の「我」を ずっと 折リ続けていた部分が 在る。
でもね
これからは 何の躊躇もなく「我」を強く立て、通すことにした。
そんな私を「違う!」といって 蔑んだり 毛嫌いする人も きっと出てくるだろう。
だけど、「正しく」は無いけれど、これは私の考え。
ちゃんと間違った分の 責任も ジブンで負うのですから。
ちゃんと吸収すべき 言葉や態度や雰囲気は 飲み込むのですから。
学ぶべきコトは、まだ沢山 この世の中に あるのですから。
私、
少しだけ、
少しずつ変わります。
+++ 人に逢う。ってことについて、少し。 +++
智恵子抄の『人に』という詩。
これは 誰かと会う時,何時も思う事、
または思い込もうとしている事が 載っています。
遊びじゃない 暇つぶしじゃない あなたが私に会いに来る −−画もかかず、本も読まず、仕事もせず−− そして二日でも、三日でも 笑い、戯れ、飛びはね、また抱き さんざ時間をちぢめ 数日を一瞬に果す
中略
愛する心のはちきれた時 あなたは私に会いに来る すべてを棄て、すべてをのり越え すべてをふみにじり また嬉嬉として
たぶん 私はこんな風に 誰かに「必要とされたい」し、
誰かを「必要としたい」と思っている部分が在るんです。
それでも 世の中は そう上手く行かない事が 多いでしょうから
無闇に「会いたい」と連呼するしかできなかったりもします
私は、そんなにも器用でもなくも物知りでないから
「会いたい」って言葉でしか表現できないんです
その言葉は一言だけど、
そのうらには無数の感情が、まぁ時には含まれている事もあります。 (単に会いたいって思うときも在るけど)
「誰かと一緒にいるときに<あぁこの人じゃないのよねぇ>って感じることある?」
って聞かれたけど
正直いってなんかね、頭にカチンと来た。
たぶん、ジブンの中にある 数少ない 他人には 見せたくない 真実の ヒトツだからだ
たぶん
聞いた本人と居る時も、誰か違う人と居る時も
心のどこかで(妥協してるって事になるけどさ)そういう風に思う部分は少なからず在る。
だからこそ、少しずつ
<あぁ、この人で良かった>って
思える所を見つけたりしよう!って、思えるんじゃないのか?
最初から、何時でも、<あぁ ハマリすぎるぅ〜>なんて人いたら
ちっとも 面白味もないし、興味も沸かないよ。
これは 酷く乱暴な 例えかも知れないけれど、「家族と他人」に似てると思うよ。
見えない部分や、重ならない部分が在ればこそ、興味は沸くし、反発することもあるだろう。
それが、理解しようとする力や、惹き付けられる力になるんじゃないかしら。
ま、これは私の考えだけどさ。
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