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| 2003年10月28日(火) ■ |
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| 制約。主観(未来日記) |
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えぇ、ただ単純に呟きですとも。 未来日記はいくつまで行ったか憶えておりません。なのでもーかかん。 たぶん14〜17の間のどれかまでは行ったと思う。ですが、調べる気にはなりませんでした。
制約、とはあった方がいいのか。ない方がいいのか。 一般的に制約がないというのは、自由を意味するのでしょう。 しかし、果たしてそれは本当に自由か否か。 制約のない中で人はどれだけ生きていけるのだろうか。
たとえば忙しい、という。 けれどその人に暇を与えても、その人はすることがなくて逆に困る。 そういう例が多いと思う。 普段から考えてはいても、実際にその時になると、以外に出来ないもの。
私たちは多くの制約の中で暮らしている。これは明白。 社会という制約。常識という制約。規則という制約。人であるという制約。 基本的には覆すことができないもの。 それが制約。
日常のひとコマひとコマにも制約というのは、必ずついてくるだろう。 よく「〜してはいけない」という。これは制約の代表格だろう。 でも「〜するべきだ」というのもある意味で制約ではなかろうか。 するということを促し、限定し、それができてあたり前だし、あなたはする義務があるのよ。と言っているとも取れる。 つまり行動の制限。 やはりどちらも制約であろう。
逃れたくともできない。縛られている。いわゆる日常的な柵。 ソレであると私は思う。
私が私であることも、一種自分に制約をかけているという考え方もできなくはない。
私が私でなくなれば、それは他人。されどそれも自分である。 とは思うけれどね。
私は主観で世界は変わると、思っている人。 角度を変えれば見え方は変わる。 あたり前をあたり前と思わないところから、ネタは創っていける。
この話をして少し前に随分陰鬱な気分になったことがある。 まぁ考え方なんて人それぞれだからいいのだけれど、私が言ったことが全部無駄だったのだと思えてしまうから、その辺に苛立ちは覚える。 この間の日記が不機嫌だったのはその所為。
これは理解されない考え方なのか。 理解されなくとも、まったく問題はない。 私の中ではそう答えが出ているから。 だから他人の意見で曲げるようなことは、よっぽどのことがない限り、ないでしょうね。 私の今までの経験と、思想と思考と、夢と現実と失望と希望と……そんなものが入り混じって形作られた「私の考え」だから。
特に意味はない。 ただちょっと書きたくなっただけ。 次は生理的な……。問題の話。 提議だけして、放置系かも。これもそう。 いや、ゆってみたかっただけ。
ちなみに私は制約がないと生きていくのは難しい、と思ってます。 だってなにするか決まってるのは、楽じゃないですか。 それに従うかは個人の自由。
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