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| 2003年06月20日(金) ■ |
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| コトバ |
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それは癒してくれるものだったり。
それは傷つけるものだったり。
それは慰めるものだったり。
それはそっと背中を押してくれるものだったり。
――それは諸刃の剣である。
わたしは常に言葉というもの恐怖を抱きます。 他人の考えることなんてなにひとつわからないので(予想は別です。ただ、それは100%の信頼を得た答えではないのです)相手の反応にびくびくしながら、相手の返事を待ちます。 こう云ったら、まずいんじゃないんだろうか。 こう書きたいけど……それを相手はいい意味で取ってくれないんじゃないだろうか。 そんなことをよく考えます。
特に文章。
話すのではなく、喋るのではなく、目で訴えるでも、ジェスチャーで伝える物でもなく。 文字というコトバで伝える時に、より恐怖を覚えます。
え、なんでかって?
そりゃもちろん、相手の反応が怖いから。 としか、いいようがないでしょうな。 ふだん相手のことなんて気にしてませーん。人は人って思ってる人もそういうこと考えるんです。 いや、ほら……自称対人恐怖症ですから。 文章で辛い目にあったこともありますしね〜。 話すという行為はほとんどが直感で行われると、わたしは思っております(相手が相談してきた場合は別。これは直感と合わせつつきちんと脳みそを通すべきである、とわたしは考える)。 だからさして気にもしないのですが……。あぁ、気にすることもあります。考える間がある場合は。あとにできた場合とか。でもまぁ、ほぼ直感的なものです。 フィーリングで答えてるね。
なんかよく知らないんですが、たまに云われるのが優しいだの、ありがとうだのの言葉です。 ほぼいただいたのは文章ですが。 優しいは行為にあたるのでしょうけれど、まぁ一緒くたにしてしまいましょう。 自称はあてになりませんが、あたしはまーそれになりに冷たくてひどい人ですね。 さらっと毒吐くのは朝飯前のようです。大体本人が自覚してない言葉に、相手は傷つくことが多いですね。 まぁ、そういう人間だと思われてます(話は半分くらいに聞くと丁度よいでしょう) だけどま、云われるのですね。 無意識の行動が相手を傷つけ、また相手に優しくしている、励ましている、という事実がある、と。
すべては無意識の産物。
言葉とはやはり意識下で構成される部分もあると思いますよ。 その人の人となりというものが、反映されますから。いわゆる経験云々。
コトバで人を殺せるのは……事実ですからね……。 傷つけない、なんて奇麗事は云いません。ていうか、奇麗事はよく使いますがけっして好ましくないです。 たぶん、ほんとうは。 正しいのと、その場に相応しいのはちがうから。
嘘も方便。
コトバって奥が深いですね。
(けっきょくなにがいいたいんですか) (コレ ハ タダ ノ 散文 デス)
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