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つけたりつけなかったりぃー
悠都
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2003年04月18日(金)
弔い


どうか眠りが安らかでありますように。

午後9時23分。
父方の祖父が肺癌のために亡くなりました。

お昼に携帯に連絡があって。
病院に着いたら呼吸も浅く、目は見開いたままで。
反射もあまりなくて。
呼吸と呼吸の間が、時々長くなったりして。
母が電話しているときに、病室に来てくれと言われ。
中に入れば、呼吸は止まっていて。
祖母や伯父や父や祖母の友人とその娘さんも泣いていて。
親戚の人、みんなが悲しんでいて。

あぁ、人ひとりの命ってこんなに重いものなんだ、と痛感しました。

12月に検査入院をして。
1月には退院して。
2月には最後の旅行に行って。
その後は動くのも億劫なほど。トイレから帰ってきても、倒れこむようにしなければ横になることもできなくて。
再び入院した時にお見舞いに行けば、随分と痩せていて。
あんなに元気だったのにな、と思ってもその影はなく。
最後は骨の形がわかるほでした。

不思議と遺体を見ることにはなにも感じず。
ただ感化されて、泣いている状態で。

『亡くなった人の体を拭くのとか、そういうのは怖くないよ』

と看護婦である母は前に言っていました。

そうだなぁ。

上下しない胸。
開かれたままの瞳と口。
微動だにしない体。

着替えを手伝いました。

≪あぁ、ほんとだ≫

そんなことを思いながら。

祖母の家に帰れば、写真が1枚机の上に置いてありました…。
元気だった頃の祖父の写真で。
死んじゃったんだな、と。
亡くなったのはわかっていても、じいちゃんが死んでしまったという感覚がありませんでした。

思い出すのはなによりも日常で。
元気で笑っている姿で。

泣き喚く人をどこか遠くの意識で見てました。
涙が溢れてきていても、頭の片隅はどんどん冷えていって。
まわりがざわつくほどにわたしは、ほぼ冷静にものを見てました。

やっぱりまだ温かくて。
でも動かなくて。

それがどれほど、悲しいことか。

「苦しんでても、息してくれてる方が良い」

伯父が言っていました。

それだけ【死】という存在は重い。

問題はまだまだ残っていて。
今度はとても現実的な話。

悲しんでばかりではいられないというのが、現状でしょう。

わたしも月曜には学校に行きますし。
時の流れは変わらないし。

誰もが辿って、辿る道を歩いたに過ぎないと。
受け止めれば前に進める、と……。

すべてを糧に。