++ Wasabia ♧ japonica ++

平凡で退屈な日常の中にこそ、目を向けたい一瞬がある。
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◆ 2005年03月09日(水)
自立と言う名の虚構 1
私の短大での専攻ゼミは「家族社会学」なのだが、
実は前の夫のゼミも大学は違うけど同じ「家族社会学」だったりする。

私たちはお互いに育ってきた「家族」というものにそれぞれの思いがあり
これからの家族のあり方に対して随分とディスカッションしてきたものだ。
お互いが進歩的な考えを持っていると信じ、それを実現できると信じてきた。

お互いが自立し、高めあう存在として家族を形成できればという思いは
同じはずだったのに、現実はそんなに甘くはなかった。

私が思う進歩的な考えは、ただなんとなくかっこいいという上っ面の
ものだけであったものを今更ながら痛感している。
論ずると実行するは天ほど違うものなのだ。

実際、経済的なものを負担するのにはそれほどの苦痛はなかったものの、
それが精神的なものや社会的なものまで全てひっくるめ家庭を支えているという
このあまりにも思い責任感を一人で背負っていることにかなり参ってしまっていた。

これからの家族の方向性や家庭のあり方を精神論で語ることは、
夜なべをしてでも語れるのに、具体的な話になると及び腰の彼。

例えば子供を作ること、古くボロボロになっている家の建て替え。
車を購入すること、風呂を修理すること。ローンの話。結婚式のこと。
彼の就職の話。冷蔵庫を買い換える話(笑)

事の大小はあれども、具体的なことはどれをとっても社会に早くから出ていた
私がこなすほうがスマートで失敗がなくソツなくこなせるもので、
結局は相談を持ちかけても冗談話が先行し話が前に進まない。

しかしスマートにこなせると言えどもそこはそれ、学生の彼と比べてというだけで
若干23歳の私にとっても右も左もわからないペーペーな社会人だったから、
右往左往の連続で冷蔵庫一つ新しいものに買い換えるのも何を選んでいいものか
さっぱりとわからない。。

もともとわからないことがあっても自分で調べて勉強する気質があった私も
何もかもを私の独断で決めるには、年が若すぎたのかもしれない。

そのうち、いろいろなことは私が考え形になった最終的なものを彼に提示する。
彼はそれを吟味するという関係が出来上がっていった。

吟味と言うのもかなり簡潔だ。
「おれ、それはイヤ。」とあっさり拒否されるか
「したいなら、すれば?」と結果の責任はこちら側という他人事のような賛成の
どちらか。

かといっても彼から何か代案がされることもなかったし新しい問題提起されることもなく。
イヤと言われれば次の代案を私が探すのである。
彼にとってはそれで十分話し合いになっていたと信じていたみたいだが、
私からすれば、もっと考えてくれっ!と叫びたい気分だった。






彼が思う自立と言うのは、お互いがお互いのやることにノータッチでいられることで
お互いが自由で束縛されない関係を形成しようとしていたのだと思う。

それが夫婦お互いが自立していると言えるのだと信じていたのかもしれない。
確かに私は私のやり方に何一つ文句を言わない彼に感謝していたし、
仕事で遅くなろうが家事がおろそかになろうが、笑顔で「ご苦労様」と言ってくれる
彼に安らぎも感じていた。

しかし言い換えれば、家庭を営むことにそれほど興味を示していないこともあらわしていた。
食事の買出しもしてはもらえなかったし、当然食事の用意もされてはいない。
決まった時間に食事を取るという生活習慣がなかったせいで、腹がすいていないし、
自炊すら興味がないのである。食事の用意が出来てなければ夜中にコンビニに行って
カップラーメンをすすればいいわけで、彼は何一つ困らないからだ。


そのうち、食事の用意をきちんとしても「後で食べるから置いといて。」と言われるだけで
同じテーブルで食事することもなくなり、一生懸命食事の用意をすることも面倒になった私は
別々に勝手に食事の用意をするようになった。


お互いが自立している生活と言うよりは、ただ同じ家に住んで勝手にやっているだけの同居人、
個室が別々で共用スペースが同じなのでルームシェアしていると言ったほうが
ぴったりきているかもしれない。



周りの友人たちは、「理想」だともてはやしていた。
何せ私は独身よろしく、旦那や家庭に縛られることもなく自由に遊びたい時に遊び、
どれだけ遅くなっても咎められる事もなく、午前様になろうと朝帰ろうと
旅行に行く時も旦那の許可など取る必要などなかった。
誘われれば、スケジュールさえあえば即OKで遊びに行く。

自分で稼いでいるので小遣いも自由だ。
どれだけ家に消費し、どれだけを自分の小遣いにしても誰にも文句が言われない。

私の友人を家に招き入れれば、人懐こく社交的な旦那様が「いらっしゃい。」と招いてくれ、
知識が豊富で話術が適度にある彼がもてなしてくれる。

友人たちからのうけは良く、好印象に取られていた。
仕事をして経済的に自立している奥さんに、自由人の旦那さん
誰からも「理想の家庭」だと賛美された。



だけど私はそんな自由な生活に徐々に疲れ始めてきた。
結局何を決めるのも何をするにも誰にも関与されないのだ。
自由があれば責任もある。

当たり前のようだけど頼ることが出来ないことは、とてつもなく孤独だ。
何のための結婚生活なのかもわからなくなる。
これでは一人で独身でいるのと何一つかわらないからだ。


いや、相手の分の生活の責任を負っている分余計にしんどかったかもしれない。
傍目から見れば、お互い自立して自由になっているように見えていたが、
家庭の運営に関しては全て私がやっていたし、彼は自分の生活エリアが犯されなければ万事興味がない。
彼の私へ対する依存率は相当高かったように思う。


しかしそれもこれも、彼が学生のうちだけで就職すれば変わるのではないかと期待していた。
責任感や自覚が育ってくるだろうし社会性も培われる。


そう思っていたが、現実にはあまかったのだ....。


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次回に続きます。
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