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2004年08月14日(土) 曾祖母の法事〜自分のルーツ

今日は父方の曾祖母……「ひいばあちゃん」と私が呼んでた人の17回忌。
昭和63年の6月7日が命日だったということを今日知った。享年104歳。
私が保育園の年長だった6月に亡くなったことは覚えてた。
身内では一番甘やかしてくれた人、だったと思う。
どういう事情で亡くなったのかはっきりとは覚えてなくて、今日訊いてみたら、
食事中に何か喉に詰まらせて、呼吸困難に陥ってそのまま、だったらしい。
救急車が父の実家に来てたことは覚えてたけど、何か発病でもしたのかと今まで思ってた。

当時、死の概念についてはわかってたけれど、まだ6歳の私はお通夜もお葬式も泣かなかった。
当時は近くに火葬場がなくて、お墓の裏で火葬したんだっけ、ということを、
お墓参りに行った時に確認をとってみたらやっぱりそうだった。
今は普通に草が生えてる場所になってる。うちは2箇所に墓石があって、
1つは家のすぐ横にぽつんと、もう1つは6軒分の集合墓地で、この場合は後者。

後者の墓碑に、3人分の戒名と亡くなった日が刻まれていた。
古い方から、昭和17年、21年、27年。大体誰なのか見当がついたんで訊いて見た。
古い順から父のおじ、父の姉、父の父。おじは戦死したらしい。
幼くして亡くなった伯母がいるというのは聞いてたけど、もう1人の伯母が生まれる前、
ってことは知らなかったんで少し驚いた。まだ1〜2歳で亡くなったらしい。

祖父の亡くなったのが父が3歳頃だっていうのは知ってた。つまり母子家庭で父は育った。
もし、もっと祖父が長生きして父を鍛えててくれたらな……なんて今日ふと思った。
祖父がどんな人だったのか、私は「保(まもる)」というその名前しか知らないけど。
私の名前の一字は、この祖父からとられたのだった。父が幼い時に亡くなった、
ってことは、30代前半くらいだったのか?と思ったら、実は42まで生きたらしい。
生まれは明治45年なのだということを今日初めて聞いた。ってことは、1912年か。
私が生まれた時に生きてたらちょうど70歳だったことになる。大正7年生まれの祖母とは6歳差。
母方の祖父は大正2年、祖母は大正11年生まれで9歳差。昔は結構年の差の夫婦が多かったのかな。

さて、私はこの名の元になった祖父より長生きできるんだろうか。
この伯母と祖父を除き、みんな親戚は存命だ。っていうか祖父母もみんな80代や90代。
長寿の家系と言ってもいいのかなぁ。でも、私自身としては、家族があるならともかく、
もし独身のままだったら、自分は人間50年でいいと思うのだけど。
というか、葬式やら法事やら戒名やら、ごちゃごちゃしてお金かけるのが嫌だ、
と常々思ってたけど、今日も思った。葬式は身内だけで簡素に済ませてくれればいいし、
戒名なんていらないし、法事もしないで、というのが私の希望。

あぁでも、独身だったらともかく、結婚してたら相手の家のしきたりに従わないと、なのかなぁ。
結婚式で○○家△△家結婚式場、って書かれてるのを見ると抵抗感があるけど、
まだまだ世の中は保守なんだろうか……。

で、今朝はちゃんと5時半に起き、6時過ぎに自宅を出発しました。
伊勢湾岸道路(名港トリトン)を通ったら、水平線が朝日で煌めいてて綺麗〜。
桑名のガストで母と妹と3人でモーニング。父は火曜から実家入り、弟は塾で試験のため欠席。
母は一応はガストのところから私に運転を任せてみようと思ってたらしいけど、
私が眠くて運転できる状態じゃなかった……残念。

父の実家は普段人に説明する時は養老、で済ませてるけど、実際は養老郡上石津町。
かみいしづちょう、とルビを振るけど、発音する時はかみーしづちょう。
360度が山に囲まれた中に家がある(っていうか山を登ってったところにある)。
今は年に1〜2度程度だけど、私が保育園の頃は週末になるとちょくちょく来てた。
父が私達を出迎えた時に、「お帰り」と言ったことで思い出した。
今はここに帰ってきたなんて気には少しもなれないのだけど。
そして父は、準備の至らないところを何度も母に駄目出しされてキレてた。やれやれ。
母は「やっぱり男の人はいかんねぇ」と言ったけど、それは単にあの人が、なだけだと思う。

10時少し前に法事が始まった。法事と言っても今回は伯母夫婦とお坊さんを呼んだだけ。
ちなみに祖母はこっちの施設で留守番で、法事のことを教えてないらしい。
この地方の方言なのか、お坊さんのことを「ごえんさん」と呼んでる。
そのごえんさん曰く、浄土真宗は10の宗派に分かれてるらしい。へぇ。
うちは何て言ってたかな……通称お東、というのは覚えてるけど正式名称は忘れた。
何種類かのお経を読んで、幾らかのおしゃべりを聞いて、12時前に終わった。

それからお墓参りを済ませ、伯母夫婦と6人で食事。1人3500円もするセットだった。
刺身に天麩羅に酢の物に鰻に鮎に……と量が多すぎて食べ切れなかった(>_<)

義伯父が孫の面倒を甲斐甲斐しく見るのを伯母が「子の世話は全然してくれなかったのに」、
と言うと義伯父は父に「孫が出来ればきっと面倒見たくなるよ」と言ってた。

それを聞いて思わず私はそのシーンを想像し……げげげ、と思ってしまった。
私の子に触ってくれるな、と。っていうか、子供がいるってことは、大抵は結婚してるはずで。
ってことは、結婚の承諾をとりつけに……相手が父に頭下げたりするのか!?
うわわ。というか、えええ、というか。えー、あの父に!?、というか。
もう成人なんだし双方の合意があればいいけど、やっぱり慣例的にはやるのかなぁ。
私でさえ頭下げたことなんてないのに、相手が下げるのも何だかなぁ。
むしろ結婚を機に縁を切るなり駆け落ちなり(過激)……なーんてね。

よく娘は「父親に似た人を好きになる」って言うけど、私に限っては有り得ない。
今まで好きになった人を思い返しても、共通点なんて異性である以外、どこにもないはず。
……まぁ、冷静に考えればみーんなただの妄想で、そんな相手の目処もどこにもないし、
大丈夫といえば大丈夫だ(何が?)。単なるたわ言の暴走。
ただ、今日は法事の間中、父の斜め後ろに座って父を見てたら、この人も老けたなぁ、
と皺なんかを見て思った。まぁ今年で55にもなるし立派な中年、か。

伯母夫婦はこの後祖母を見舞うことになり、私達は家に帰って後片付け。
今日の一連の準備&後片付けを通じて、私は姉の立場を5つ下の妹に進呈……かもしれない。
私は何かぼけーっとして過ごしてしまい、対照的に妹はこまごまと働いてた。
すすみません役立たずで……。時々兄か姉がいたらなぁ、と思うのは、
自分が不甲斐なくても正当化できる立場が欲しいだけだったりして。
我が家の兄弟の中で、間違いなく私が一番こういう時怠け者だ(爆

15時過ぎに母と妹と私は家を出てきた。ちょっとだけ寄り道して、山の麓にある滝に寄った。
養老の滝なんかとは比べ物にならない、小さな小さな隠れた滝。
蛭避けに長靴を履いて車から降りて行った。少し入っていったところに滝はある。
確かまだ中学の頃?に一度だけ来てみたことがあった場所。
今は動物避けの電線が張り巡らしてあって、気をつけないと危なくなってた。
でも、久しぶりに見た滝はひんやりとして気持ちいい。思わず妹と撮影モード(笑)

久しぶりにここに来てみたけれど、ここに将来住みたいとは思えない。
近所にやたら同姓が多くてややこしい。養老町と上石津町の電話帳をぱらぱらと見て、
一体何軒あるのか数えてみたら、100軒超えたところで面倒になってやめたけど、
200軒は軽く載ってた。人口の合計が4万人、って2つの町でそんなにもいる。
それに大都会、ではないけれどそこそこの街中の暮らしに慣れた私はここには住めない。
将来的にこの家の処分をどうするか(兄弟の誰が相続するのか)って問題も残る。
でも、この滝を見られたのは、今日ここに来て良かったなー、と思った。

一度家に帰宅したのが18時手前。それから19時半過ぎにアピタまで買い物に。
そしたら、西隣の市でやってる花火が!!うわ、今年初めての花火だ☆綺麗〜。
やっぱり心が洗われるなぁ。たとえ、車の中から母と2人で見てるんだとしても。
帰り際に明石焼きを頼んだら時間がかかるということがわかり、私はここで待ってて、
母は家まで花火を見せるために妹を迎えに行った。すごいなぁ、母さんは。
まぁ人ごみの中で暑い思いをせずに花火を堪能できたのは良かったかな。
でも、来年の夏には誰かと2人でどこかに花火を見に行けたら……というのが野望(ってことにしとこ)。


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