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2004年02月02日(月) 小雨舞う日に

最初に目が覚めたのは……何時だっけ。5時くらい?電気が全部つけっ放し〜、
や、ヤバい、バレたらまた怒られる〜、と思って、ひとまず電気を消した。
れ、レポート、終わってないし〜。うわ〜っ、と思いつつ、また寝てしまう……。

で、母が体調が優れないので、病院に出かけるついでに、私も出かけた。
レポートは家では完成できず、大学へ持ち込むことに。電車の中で、
3限の授業のノートをパラパラと見返す。去年、同じ先生の授業では、辛うじて可。
やっぱり、持ち込み不可の論述は私には向いてない……。

何とか、またしても結論と言えるのかどうか、甚だ謎、という代物のレポートを、
サブラボでどうにか一丁仕上げたのが、12:50近かった。さすがに出しに行ってる暇はない、
ということで、このテストが終わってから出しに行くしかないか、とまずは3限の教室へ。

とりあえず、ノートを読み直す。でも、なかなか頭に入ってこない……。
時専攻なのか他専攻なのかはわからないけど、2年の女の子がずいぶん頑張ってた。
13時を少し過ぎてから先生登場。えーと問題は……「歴史叙述の三つの方法について」だったっけ?
その形式とタイトルを書け、とか何か違うけど、端的にいうとそんな感じ。紀伝体と編年体と、
紀事本末体、っていうのはわかったけど、最後のやつのタイトルが思い出せない……。
とりあえず、わかる範囲で解答用紙を埋めていったら、途中でそれっぽいのをふっと思い出し。
補足的にそれを書いて、あとはもうわからんっ!と捨てた。一番乗りで提出して退出。

それから、まずは書き上げたレポートを出しに。できれば直接渡すべき、とは思ったけど、
部屋の明かりはついてるのに、先生は不在。まだ、この後も試験だし、
仕方がない……と思って、メモ書きを残して、その場を去った。
熱のために期日を守れなかったことを詫びて、評価の対象外でもいいから、
折角書いたので読んで頂けたら幸い、とかそんな感じで。

そして、まだ食べてなかったお昼ご飯を。プランゾでおにぎりと飲み物を。
プランゾもかなり久々だなぁ、と思いつつ。

その後、4限の教室に行って、申し訳程度にテスト勉強。言語だけど、一夜すら漬けてない。
まぁでも、どうにか可はとれたんじゃないかな、という手ごたえ。多少は教科書の復習したし。
……うっかり見落とした、直接話法と間接話法のところは、何が何やら、だった。
まぁでも、6割はとれてる……はず。たぶん。もしテストを返却します、と言われたら、
取りに行こうかと思ったんだけど(ついでに一言二言喋って来ようかと思ったけど)、
特にそういう話はなかった。ちょっと残念。その後、何か息子に話をしたのかは気になるところ。

テストが終わった後は、サブラボへ。19時には帰る(自宅着)の予定だったけど、
母に買い物に連れてかれた。行き先はフィール(旧ナフコ)。一人じゃ今はしんどい、
ということで付き添い。その後、妹を迎えに再び駅まで。モリゾーとキッコロの光る場所(笑)

そうそう、母は病院に行ったら、胃炎か胃潰瘍……?と言われたらしい。
どっちにしても、神経性のものであるのは確か、なのかな。つまりストレス。
それを聞いて私が言ったのは……「それって一番の原因は父さんで、次は弟か?」。
私としては、そんなに母のストレスになるようなことは、してない……はず。
断言はできないけど、おそらく……と思いたいのだけどダメ?と言ったら、
母は笑うだけで、それに対してのコメントは特になかった。

あとは情報学演習のプログラミングと万葉集のレポート。
ちょっと気が抜けた、テスト週間まだ水木金月と4日目でした。
あ、テストは今日で全部終わり。春休み突入は何時……?


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