| 2003年09月09日(火) |
ショウがDAICEを脱退 |
ここのコメントでもお馴染みの DAICE のDr.ショウ が、正式にバンドを脱退した。
何日か前に、DAICEのHPで、リーダーのスケから発表があった。
リーダーのスケのコメント通り、急な話ではなく、メンバー同志は以前から話し合っていた事だった。
ショウが、ずっと悩んでいるのも知っていた。
私がDAICEを知ったのは、ほんの偶然だった。 2002年1月17日(木)PM6:30頃、私はベッシーホール1Fでコーヒーを飲んでた。
その日は、あんまだに出てくれた JADE の無料ソロライブがあったのだ。 スタート時間まで、ベッシーの1階でカウンター越しにスタッフと語り合いながらコーヒーを飲んでると、綺麗な少年が2名、入ってきた。 タカアキとヒロだった。
その2人は、ベッシースタッフに挨拶し、24日に行う札幌初ライブの話をしていた。 ベッシースタッフが彼らに私を紹介してくれて、「機会があったら一緒にやりましょうね」 と、少しだけ話してその日は終わった。 (彼らは車を路駐してたらしく、「レッカーされそうだ! ヤバイ!」 と帰ったのだ。)
彼らが帰った後、「函館から札幌に拠点を移して頑張るらしいよ」 とベッシースタッフが教えてくれた。
さっそく、24日、DAICE札幌初ライブを見に行った。 「あ、これならいける。 イジリがいのあるバンドだ」 と、ピンときた。
それから何日かたったある日、いつものパワースレイブスタジオに行くと、DAICE が練習していた。
私 「あーっ! 札幌来たばっかりの時、ベッシーで挨拶したの覚えてる?」
タカアキ 「覚えてますよ〜。 あれ、なんでここにいるんだろうって思ってたんですよ」
私 「このスタジオ、私の音楽仲間がやってるんだ。 いい所みつけたね」
ジョナサンがやってるスタジオで練習してるなら、私が出る幕じゃない。 サウンド面はもちろん、バンド活動の悩み相談、ライブの企画、バンド以外でも、人としての礼儀・行動など、ジョナサンが彼らをみてくれるだろう。 (私はジョナに絶対的な信頼をもってる。 彼の存在が近いバンドは安心)
そして DAICE は、札幌での活動を活発にしていった。
でもね、いつからか、メンバーそれぞれが悩んでるのに気づいてしまった。
話をするわけでもないので、悩みの内容はわからない。 メンバーもそんなそぶりは見せない。 いつも元気でにぎやかで、うるさい奴らだ。
私がライブで感じるのは、メンタル的なこと。 ステージでは、技術よりも心の動きを感じる。 訴えてくる音に意識を集中する。 DAICE の変化も、やっぱり気づいた。 そして、それから発表してきた新曲などで理解できた。
2003年5月5日、DAICE at 函館フライデーナイトクラブ
私とタカシは、どうしても行かなくちゃならなかった。 ショウを感じる為に。 彼のドラムをはじめて聞いた時、 「こいつとは長い付き合いになりそうだわ」 と感じた。 タカシもそう感じていたらしい。
DAICEスタッフとしてお手伝いしながら、舞台ソデでショウのドラムを叩く姿と音を聴いていて、涙が流れた。 隣りを見ると、タカシも涙を流していた。 感じてる事が一緒だった。
そして、2003年8月25日(月) at メッセホール
ショウが札幌で DAICE としての最後を終えた。
私はライブ中、涙が止まらなかった。 メンバーの気持ちがステージから押し寄せてきていた。 そして、ショウは、私が最後に命令したことを、しっかりとやってのけた。 伝わったよ、ちゃんと。 あの会場にいた人達は、何かを感じたと思う。 音楽はそういうもんだよ。
ショウは、コンサートプロスタッフの仕事もしながら、自分のやりたい事に向けて動いていくでしょう。
DAICE は、現実に流される事なく、『意志』 のまま、上へ突き進んでほしい。 強くなってほしいと願ってる。 ジョナや私や、札幌の最高の仲間達が、いつでもいることを、忘れないで。
そしてなによりも、キミたちには、ずっと見ていてくれてるファンがいるではないか! 大事に、大切にしてほしい。 人の心って、あったかいんだよ。
歌や、音楽に関わってるキミ達なら、これから何をするべきか、わかるよね?
つまずいた時は、信頼ある大人に頼りなさい。 それは、恥ずかしい事でも、かっこ悪いことでもないんだよ。 自分をさらけだせば、助けてくれる手もでてくるよ。 その差し出される手は、DAICE や ショウ の味方になってくれる手だ。
今のままでは息ができないんだろ?
ちっぽけなプライドは捨てて、本物のプライドで、人生を勝負しようぜ。
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