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2003年12月12日(金) つかこうへいダブルス2003「飛龍伝」<大阪厚生年金会館1>

(参照→2003年12月04日「飛龍伝」<青山劇場>)


実は2001年の「新・飛龍伝」のときも、東京公演の日程が終了したあと、大阪のシアター・ドラマシティーに移ってから俄然、出来が良くなった(とくにあっくん)と聞いたのね。それで、大阪が観られなくて悔しくてたまらなかったのを覚えている。大体、演出家つかこうへいの性を考えたら、東京から大阪に移るときに少しだけ得られる日程的な隙間を、舞台の向上のために積極的に使わないわけがないし。ステージの広さは国内最大級の青山劇場から比べたら、かなり狭くなってしまうから、舞台に上がる役者の人数は少し減っちゃうのだろうけれど、それでも。


12月12日ソワレ@大阪厚生年金会館・芸術ホール・・・したら、予想通り。いや、予想を超えた衝撃、有り得ない。完成度が全く別の次元に到達してたのっ。<青山劇場ver.>は「いろいろ言いたいところはあるけどでも良い舞台」だった。でも、この<大阪ver.>は「完璧」だ、いや「完璧」という言葉の限定的で固定的な響きがそぐわない。もっと、こう「無限」で「永遠」な印象で、そう、違う戯曲のセリフだけど・・・


  私とあなたが愛しく思い合うその力は銀河の果て、
  漆黒の闇の中、荒ぶる魂として白く屹立し、
  宇宙の何処かで必ずや、あいまみえる日は来るのです

  (つかこうへい「銀ちゃんが逝く」より)


このセリフに端的に顕れる、希望に満ちたまぶしい「絶望」が、もし形をとることを許されるならば、それはこの「飛龍伝」の舞台でしか有り得ないだろう・・・。静謐な理性が整頓される「完全」さではなく、混沌の感情が渦巻く「宇宙」。それはつかこうへいが求めて止まなかった、理想そのもの。


・・・


ここまで劇的な改善に結びついた動因は2つあるだろう。ひとつは会場の違い。もうひとつは追加されたつかの演出である。

大阪厚生年金会館・芸術ホールも、決して小さくないホールである。キャパは1,000人くらいか。でも国内屈指の大劇場・青山劇場と比べると、決定的に、舞台と客席が近い!東京のいろんな劇場を見てきたどかだけど、これはかなりビックリした。客席のもう、目の前がすぐ、舞台なの。で、どかはしかも前から5列目の舞台下手(しもて)より、絶好の席順。筧が、春田が、広末が、小川が、武田が、息づかいまで感じられるほどの位置。その会場自体の凝集感だけでなく、ステージ自体の大きさも無視できない。幅は青山とほぼ同じらしいけど、奥行きが大阪は半分になってるらしい。それだけ緊密な関係性が実現することになる。歌舞伎やらミュージカルやら、あの手の壮大な形式美を求める芸術ならいざ知らず、いわゆる演劇の冠せられる表現なのであれば会場なんて小さければ小さいほど良いに決まってる。しかもつかこうへいの戯曲なんて、絶対小劇場向きだもん、あんな濃いい情念の芝居。青山のときと同じように、役者はみんな超小型マイク付けてた。でも青山ではさすがに必須だろうが、大阪ではいらないんじゃないかと思って観てたどか。とにかくこの厚生年金会館という場それ自体の「ポテンシャル」によって、スカスカ感は一掃された。殺陣の迫力もすごいしなー、ダンスや歌のシーンも引き込まれるし。神林への怒りを爆発させる山崎の、あの射抜くような狂気の眼差しの延長線上のすぐ近く、泣き濡れるどかはいたのだし、何より横浜国大委員長・伊豆沼の慟哭!あの名セリフ名場面が、どかの位置からだとホントにすぐ目の前だった。そりゃ、泣くさ。あれで泣かなかったら、きっとその人は、涙腺が文化的寒冷前線の影響で凍っちゃってるんだよ。

で、しかもつかは、青山で弱かった部分を徹底的に鍛え上げてくれた。どかも先で触れたように、あまりにも筧と広末の2人が浮きすぎていて他のキャストが置き去りにされたような寂しさが青山では拭えなかった。どかのこの印象は間違ってなかったらしい。つかこうへいは大阪にて、この青山の「欠点」を確実に潰してくる。大筋ではあまりセリフは変わっていないように思えるが、若干、助詞や文末に細かいリファインがかけられていて、役者に馴染むよう改訂してきた。また、成長し伸びてきた役者にはあらたな見せ場を作り、反面、ちょっと厳しい役者は容赦なくセリフを削る。大阪で一番見せ場をゲットしたのは、北田理道サンだろう。どかがレビューでも書いたとおり、小川岳男伝兵衛ver.の「熱海」で健闘した彼は、勢いそのままにこの大舞台でも見事、つかに認められていた。11.26最終決戦のシーン、早稲田大学の学生が神林を迎えに来る場面、早稲田大学の北田は自らの不義理を詫び壮絶に切腹する。クライマックス怒濤の流れの中、その流れを止めて自分の見せ場を作っちゃったんだもん、どかはビックリしつつ感動したよ。北田クンが最も目覚ましかったけど、でも、青山では結構「うざかった(暴言多謝)」嶋サンや友部サンもかっちり修正してきて言葉が届くし、他の役者も弛緩しつつ怒鳴ってただけの青山から、かっちり気持ちと言葉を重ねてテンションをあげて来ていたので、「ああ、つかは良い仕事をしてるなー」って本当に感心する。あっくん、武智サンに成河サンなど、準エース軍も俄然説得力が違う。音声じゃなくて気持ちを相手に届けるということを、一番高いレベルで実行できているから、同じようなセリフを音声に換えてただけの一週間前とは次元が違う。つかが目指した「名も無き学生ひとりひとりのキャラ立ち」が、確かに実現していた。「キャラ」が「立」っているからこそ、あの11.26最終決戦にて散っていく彼らの最期、神林に向かって差しのばされる腕が、まぶしく光るのだ。

素晴らしい脚本に、素晴らしい役者が集まった青山、それに加えて、さらに素晴らしい演出に、この上ない最高のホールが揃った大阪。どかは、この瞬間を6年間、ずーっと待ち続けてきたんだ。つかこうへいの台詞は、心は、志は、あまりに強すぎるから、いつも役者をどこか追い越してしまっていた。役者がそれに引きずられていた。若く拙い役者たちを、演出家つかこうへいは叱咤激励し、時には激賞して時には恫喝して、なんとか台詞に食らいつけるよう手がかりを提供してきた。けど。それでも、その台詞に追いつける「スピード」を持った役者は揃わなかった。とくに2000年中頃〜2002年上期頃は演出家としてのつか自身がスランプだった。舞台上、役者にも演出家にも追いつけないかわいそうな言葉としての台詞が、ただ空しく痙攣していた、そんな時期もあった。どかはその舞台に取り残されてしまった言葉が心が、志が、不憫でならず、哀れに思えてならず、もうつか芝居は観るのをよそう。そう思ったことさえあった。しかし2002年初夏「モンテカルロ」、2003年春「ストリッパー」と復調の兆しを見せてきたつか芝居は、ついに、2003年初冬「飛龍伝」においてある極みにたどり着いた。つかこうへいという類い希な才能による極限の「スピード」を宿した台詞や心、志に対抗して、素晴らしい役者達の努力とあるひとりの天才舞台役者の華の結合が同じだけの「スピード」を達成するに至った。これまでの戯曲の独走勝利から、舞台上で全ての要素がサイドバイサイドの激しいドッグファイトを繰り広げ、至高のグランプリレースとなった。

この舞台に出会えた幸運な人生を、どかは何かに感謝せざるを得ない。


  山 崎  私はこれからも、学生さん弾圧するのに手を抜きません
       それは、一生懸命戦っていらっしゃるあなたに、
       失礼にあたると思うんです
       そして、それが僕の愛の証だと思ってください

  神 林  私もこれまで以上にあなたを犬とか百姓とか呼んで罵ります
       そしてそれは、私のあなたに対する愛の証だと思ってください

 山崎・神林 そして、11.26最終戦争、お互い笑って見送ることを誓います

  (つかこうへい「飛龍伝」より)


神林が山崎の部屋に来たあとの場面。何気なく交わされるこの会話、客席からはクスクス笑いすら起きる。でもこの会話はネタでも何でもない。ここで笑ったり微笑んでしまった観客は、あとで100倍にしてツケを返される。「飛龍伝」の本質は、ここに、ある。



↑12/12夜の大阪厚生年金会館
(この翌朝、広末結婚の報道が日本を駆けめぐる・・・ある意味、革命前夜か)


(続く)


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