un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年06月16日(月) 害虫(映画)2

「リリィ・シュシュのすべて」は、男の子や女の子が堕ちていくときの、
その放物線がスーッと角度がキツくなる時の
「加速度」の大きさを描こうとしていた。
「害虫」は、女の子が堕ちていくときのその放物線、
上昇から下降に移りゆくその瞬間、その刹那「加速度」がプラスからゼロ、
そしてマイナスになるその微妙な移行を映しとったと言える。

たしかにテーマとしてはありきたりなんだけど、
映像的にも岩井俊二みたいな「絵本」みたいな煌めきも無いんだけど、
最初から、製作はそれを目指してないんだなー。
つまりさあ、これは「宮崎あおいスペシャル」なんだよ。
2001年時点での宮崎あおいの瑞々しい演技が、
この映画のコンテンツの全てであり、
宮崎あおいの魅力を引き出すための、他の道具立て全部なんだなー。
その割り切りが、コンペティションにおける勝利をもたらしたんだよ。

きっと。

それくらい、もちろんひいき目バリバリのどかが観てるんだけど、
でも、宮崎あおいは、演技、上手だと思う。
演技というか、演技以外のオーラというか、ベンヤミン風に言えばアウラ?
が、もう、素晴らしい、なんというか、
ゴマキが既に失って久しい、アヤヤが失おうとしている、
あの、女の子の一時期にのみ、宿るはかない輝き?みたいな。
それをマックスまで引き出してかつ、自らの演技で裏打ちをしていくから、
表象としてはこれ以上ないくらい、胸に迫ってくるものがある。
映像を撮っているカメラが全く、センチメンタルを介入させないだけに、
なおさら、宮崎あおいが真っ直ぐ、観ている人の胸に飛び込んでくる
(いや、妄想じゃなくてね)。
上戸彩も歌はヘタクソだけど演技はまあまあ、だと思ってたけど、
宮崎あおいは上戸彩みたいく世の男ども全てをがーんと持っていくほど、
美人では無いわけなんだけど、でも映像の中で動くと、
いや、動かなくても「面食い」うんぬんではなく、あのオーラがスーンっと、
響いてくる感じ、分かる?
分かんないかな、分かんないよね、でも。

一番印象的なシーンは学園祭でつきあい始めた彼氏とのシーン、
二人っきりの教室で、彼の不用意な発言。
あおいちゃん演じるサチ子は何も言わず机に手をかけ、
そのままガーッと引きずって教室から出る。
整然と並べられていた机と椅子が乱れていく映像。
それを上から撮って、うん、素晴らしいな。

あと、何と、蒼井優も出てるんだよ、この映画(「W・AOI」きゃー)!
蒼井チャンはサチ子を助ける親友役。
お顔で言うと、明らかにあおいチャンよりも蒼井チャンのが美しい。
でも、アウラの差で、誰がどう見ても、こちらが主人公だと納得する。
でも、蒼井チャンも上手かったよー、うん、上手かったー。
というわけで蒼井チャンは関脇です、かくていっ
(あやたん交え三つどもえのレースか?)

蒼井優は「リリィ・シュシュのすべて」でも出てたね。
なんかいろいろ、どかの好きな世界というのは、
すべからく繋がっていく不思議を感じる。
サントリーの緑水のCMから、岡崎京子とかもふまえて、宮崎あおい。
確かな才能が、確かに福音を受けているのを確認できることは、
この世の中を生きている上で欠かせない、幸せな瞬間だ。

サチ子の放物線はその上昇を止め、まだ下降も始まっていないその刹那・・・

  ネコや犬が轢かれるのってね、
  道路の途中で一瞬怖がっちゃって、
  足が止まるからなんだよ。
  一気に走りきらないと。

  ねえ、クルマに轢かれる気持ちって、
  分かる?

とてもオカザキ的な世界、でも、あおいチャンなら、うん、イイさ。
許す、ってか、赦させてーって。


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