un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年05月02日(金) 追悼・加藤大治郎(続き)

・・・どかがこのタイトルで、
文章を書くのにためらわれた理由は、
まだ、事故の原因調査がほとんど進んでいないからだ。
でもホンダは、原因究明のための事故調査委員会を発足させた。
しかもちゃんと社外の第三者に委託したところに、
ホンダにわずかに残る良心を見た気がする。
委員長は、日本大学生産工学部教授の景山一郎氏。

人の死に、意味なんて無い。
少なくとも、客観的にはそんなの有り得ない。
私たちが大チャンを悼み、嘆き、悲しむ。
そのこととは別のフェイズで、こんな時にも、
ううん、こんな時だからこそ、きちんと人は、
知性と論理を、発揮しなくてはならない。
感情を殺すのではなく、感情と両立させなくてはならない。
人の死に、意味なんて無い。
あるとすれば、かろうじてあるとすれば、
そこから引き出せるのは、悲しい教訓だけだ。

まだまだ証言が少なすぎるとどかは思う。
あのとき、あの瞬間、大チャンの近くにいたライダーで、
ちゃんと、きちんと、証言できていない奴が、
いる、どかはいると思ってる、具体的に思い浮かぶ。
レーシングアクシデントについては、
もちろん責めることはできない、それは不慮の事故だ。
しかし、証言をしないことは、悪だ。
どかはそれを許せない。
事故調査委員会の、活動がスムーズに進むことを期待する。
そして、重ねて、ホンダのなかでも異論があったろうに、
そこを踏ん張って第三者への委託を主張できた、
その担当者の勇気を、どかは最大限に讃えたい。

それでも、辛くて辛くて、大チャンのことを思い出すと、
すぐに涙ぐんでしまうくらい情けない女々しいどかだ。
でも、一方で、大チャンが事故にあった4月20日の深夜、
あるBBSをリロードするたびに
新しい応援メッセージが現れていたあの時間、
どかも心から、本当に心から祈って応援し続けた時間に感じた、
あの連帯へのリアリティ、目に見えない人間の良心を、
朝、太陽が東から昇ってくることと同じくらいのリアリティ。
それを胸に、どかは自分のことを、ちゃんしなくては。
鈴鹿の後のレース、Rd.2南アフリカのウェルコムも、
どかはとても観られなくて、結果もあんましフォローしてないくらい、
今はまだ、ダメダメなどかだけれど。

残された大チャンの家族の無事と、
事故調査委員会へのエールを込めつつ、
小林秀雄が「モオツアルト」の一節を引用して追悼の辞と代えたい。
4番ト短調クインテットのアレグロを評した有名なフレーズ。


  確かに、モオツアルトのかなしみは疾走する。
  涙は追いつけない。
  それは涙にまみれるには、
  あまりに美しすぎる(小林秀雄「モオツアルト」)。


あのときの大チャンの涼しい「横顔」を、
テレビで訃報のニュースで見かけるたび、
どかはこのフレーズを思い出していた。

ICUでの2週間、私たちの祈りを受けてくれたこと、
ありがとう。
私たちの祈りを受けてほんとうに、
ほんとうに生きようと尽くしてくれたこと、
ありがとう。


追悼、加藤大治郎。


どか |mailhomepage

My追加