un capodoglio d'avorio
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2003年03月31日(月) Ort-d.d 「ピノッキ王」

昨日の夜、3/30、千秋楽観劇 with ハルコン、どら。

劇団名は「おるとでぃーでぃー」と読むらしい。
構成演出の倉迫サンは元・山の手事情社の演出助手だったヒト。
で、このOrt-d.dの所属(?)メンバーにどかの大学の後輩がいるの、おかだクン。
ちょっと前に深夜、いきなりおかだクンから電話かかってきて、
「来てください」って、いま何時やあっおーいっ、
でもがんばってるヒトはエラいから、観に来た、北池袋、住宅街、迷った。

キーワードは「コラボレーション」と「力」か?
演劇という手あかにまみれた単語からはこぼれ落ちる舞台表現。
前衛パフォーミングアートっていうデカい倉庫みたいな言葉なら、
なんとか納まるかしらてきな、斬新かつ実験的な手法、葛藤。
ささやいてみたり、どなってみたり、どもってみたり、
1文字抜いて喋ってみたり、コロスがいたり、身体が不自由だったり、
そんなのが、突拍子もなくつぎつぎ展開して、回転して。
下敷きになってるストーリーは、いま流行の「ピノキオ」と、
いまあんまし流行ってない「蠅の王」。
それらを次々レイヤーに重ね合わせてどんな視覚聴覚効果が生まれるのかしら。
というあたりが、テーマだと、どかは観たのだけれど。

一言でまとめると、やっぱ「難解」になるのかしら。

でもね、ただの「難解」ではないのな。
「前衛パフォーミングアート」のほとんどは、
悪い意味での自己満足、自慰行為にしかない。
それは前提としてある、古いスタイルを破壊したくてはじめたのだろうけれど、
もちろん、破壊には、それなりの意味は生まれるのだろうけれど、
その破壊を芸術としての自己表現に高めるには2つの条件があって、
1つは別の価値観を、その萌芽でもいいから提示できること、もしくは、
パフォーマー自身に溢れる才能があること。
どかは、才能さえあれば、次のステージの提示がなくても、
破壊のみでも芸術性を付与することは可能だと思う。
まー、ほとんどはこのどちらの条件も満たしていないのだと思うけれど。

翻って、Ort-d.d。
ここには明確な「破壊」があると思う。
そして、その手法には、確かに揺るぎない才能があると思う。
前述のセリフ術は、それ自体、全く流暢ではなく、
とぎれとぎれでよどみまくってんだけど、そこから生まれる観客を巻き込む流れは、
いささかもよどまず、上演時間の1時間の間、持続して発動する。
この「1時間の間、持続」したのがエラいと思う。
どんな素人だってある種のひらめきくらいはあるから、5分そこそこなら、
「オッ」と思わせる演出をつけられるものだ。
でも、それが「1時間」となると尋常じゃあ無いと思うの、才能だわ。

まったく下敷きのない新しい表現スタイルは、言葉だけじゃなく、身体もだ。
役者は、ある時、壁に張り付いて、腕をねじ曲げた形で静止する。
5分、10分、静止し続ける。
で、いきなりダランと上半身が脱力、Uの時に折れ曲がる。
また別の役者は野田秀樹っぽいスローモーション、
そこからいきなり体操っぽい、全く繋がりのないルーティン動作を繰り返す。
あれ、ごっつい、しんどいって、絶対。
素人の身体じゃ、無理、むっちゃ、鍛え込んでるわー
(って、終演後、おかだクンに聞いたら「まじ辛いッス」って)。
そういう、テンションに満ちた身体それ自体、
観賞に値するものだ、どっちか言うと、演劇よりは舞踏に近いのかな。
無条件に、まっさらな地平から、身体表現を追求していくその手法とかね。

で、まとめ。
どかは恥ずかしいことに「蠅の王」を読んだことが無いの(テヘッ)。
で、ストーリーはリアルタイムできちんと納得するのが、困難だったわ。
悔しいなあ、終演後、どらに聞いたら、なーるほどねえって思えるところ、
多数あったから、あー、もったいない。
あと、どか個人の感想だけど、上記のように、
セリフ、身体、それ自体はそれぞれ素晴らしいレベルにあって、
もちろん、カチカチいってる音響とか、真っ白な有り得ない空間を創出した舞台美術、
伸縮自在の衣装とか(なにげに、衣装が、どかはこの舞台で、最お気に入り)、
ガラスの小物withライトとかも、すごいそれぞれに素晴らしいレベルにあって、
それを統合するイメージが、まだ稀薄だった気がする。
それは、どかがストーリーを、「蠅の王」を読んでなかったからだよ、
と言われてしまえば、はあ、そうですか。
という感じだけど、でも、まっさらな新しい表現を志すならば、
知識としての前提や前提としての知識にとらわれない、
そんなのを凌駕するインパクトが必要ではないかと。

まだ「のりしろ」がそこにあると確信できたし、
きっと、その「のりしろ」が破壊の向こうにある別の何かなんだろうなあって。
んで何より、あの緊張感に満ちた1時間は刺激的ではあったので、
どんどん変わっていってくれることを期待しつつまた観たいなーって思った。

にしても、1時間という時間設定は、的確だわ。
あれ以上、長かったら、観客、持たないッス、とても。
すごい、すごい、濃密な、巻き込み力に、緊張感だった。
演劇好きにもサブカル好きにも現代美術好きにもお薦めできる舞台です。


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