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2003年03月21日(金) 野島伸司「高校教師('03)」最終話

最終話「永遠の愛と死」

一度観ただけでは、すぐにはなかなか理解できない。ある種の「跳躍」に満ちた脚本、言葉、映像。うーんって、考えさせられる。でもそれはうっとうしい難解さではない。だって、観直すのが3回目だというのに、まだこんなに、泣かされる。この涙はどこから来るのだろう。もう一度、最初から、キチンと、心に納めていかなくちゃ。

その過程をふまえるための「地図」、最終話の名セリフ集。


 藤村 人にはみな、運命がある
    逃れようもない運命だ
    それを切り開くには斧が必要なんだ
    金でも銀でもない、自分だけの斧だ
    それを手にした者だけが、運命を変えられる
   (藤村先生、最期の言葉、郁己に対して)


 → 以前、藤村先生は絵美に対して「それでも君は僕の斧と言えるのか」
   そう詰問したことがあったことからも、ここでは斧とは、
   女性・単なる恋人な枠を越えて、自分と本質をシェアする同志か。
   金や銀というのは一般的な客観的価値・容姿や知性などの象徴。
   自分にとってのスペシャルな相手を手にすることへの希求。
   虚無のスパイラルを断ち切るための絶対条件。
   つまりこれが、ドラマ全編を貫く唯一のテーマ。


 紅子 私は誰かの行き方を否定するつもりはないよ
    だけど人を好きになることをゲームだと思ったらつまらない
    傷つけて傷つけられて、ばんそうこうを貼って笑うんだよ
    「それでも人生はステキだ」って
    愛する人は愛さない人よりステキなんだから
    ・・・愛する人は愛さない人に・・・負けない・・・
   (刑務所の面会室で、悠次に対して)


 → 虚無のスパイラルを全肯定し、そのレールを「享楽」のボートで
   滑り続けた悠次、しかし、最後は藤村に敗れる。
   引用したセリフの中では一番ストレートなものだけど、
   ラストの2行の説得力は素晴らしい。
   人格が崩壊し呆けている悠次がこの2行に涙を一筋、それが救い。
   さらに、このセリフが、どかにはドラマのクライマックスの深度を測る、
   重要な手がかりを含んでいるように、いま、思える。


 橘  精いっぱいやせ我慢して恋人と別れたでしょ
    じぶんを引きずらせないため?
    言葉にすればきれいだけど、本当はどうかしら
    人間を信用していない、とくに女性をね
    ・・・・
    単に男のエゴイスティックな死に方としか思えない
    男の性(さが)が死ぬ性なら、女の性は生きる性なのね
    どんなに見苦しい姿になっても、生きていて欲しい
    愛する人ならなおさら
    自分を忘れてしまっても
    彼のぬくもりだけでも、残して欲しい
   (病院の彼女のオフィスで、雛に対して)


 → 男と女のエゴについて。
   字面だけ読めば、もちろん字面なりの理解は得られるけれど、
   考えると、すごい、深い、迷宮に入ってしまう。
   「美学というのはとどのつまりやせ我慢」というのは、
   有名人のことばだけど(ちなみにその有名人とは「私」なの)、
   「やせ我慢はつまりエゴである」というのが、ズシン。

   男:相手に多くを求めない:相手を受け入れることができない怯え
   女:相手に多くを求める :相手を全面的に受け入れてしまう勇気


   きわめて冷静で突き放した分析、それだけに満ち満ちる説得力、
   ここで橘は野島伸司の左脳を体現しているかのよう。
   しかし、雛がそれをひっくり返す。


 雛  違う
    先生はわざと約束を破ったの
    私がずっと先生を想って生きるって言ったから
    だれも好きにならないって言っちゃったから
    自分が約束をやぶれば、私もそんな約束守らなくていいって
    ・・・・
    やさしいからだよ
    本当は弱いのに
    いっぱい、いっぱいがんばって約束を破ったの
    自分のエゴじゃない、私のためだよ
    私のため・・・
   (郁己を見失った雛、ビジネスホテルの一室で橘に対して)


 → 最初観たときは気づかなかったけど、このセリフで、
   雛(野島伸司の右脳)は、橘の「男女論」をきれいにひっくり返す。

   郁己:相手を受け入れないこと   :相手を想う精いっぱいの優しさ
   雛 :相手を全面的に受け入れること:相手を逆に一人にさせる残酷さ


   優しさは、ついには残酷さになり、
   相手への思いやりは、ついには自らのエゴに帰結するパラドクス。
   どこまでいっても、その虚無のサイクルからは抜け出せない。
   それが世の中の、普通の、恋愛であり、
   そのサイクルの中で普通の幸せを求めることも可能で。
   ホテルを出た後、郁己を探しながら雛は紅子に対して、
   「どうして私と先生の恋はこんなに辛いのだろう」と思わず弱音。
   
   なぜか?
   
   それは、雛が、恋愛に潜む「欺瞞」に気づいてしまったからだ。
   紅子の上記のセリフ「傷つけて傷つけられて」という一節は、
   もしかしたら、このエゴが潜む、二重のパラドクスを暗示していたのか。
   でもね、思いやりの裏側にはエゴが潜む可能性を否定できないように、
   エゴの裏側に、思いやりがあるという可能性もまた否定できないのな。
   だからこそ、恋愛は「欺瞞」をはらみつつも成立する可能性がある。
   「それでも人生はステキだ」と言えるかもしれないから。
   しかし。
   それでもしかし、この「欺瞞」に救われない人がいる。
   あまりに真実を求めてしまう数少ない人たち、例えば藤村だ。
   しかし。
   それでもしかし、「人生はステキだ」と言えない人がいる。
   余命幾ばく無く人生自体がかき消されてしまった、例えば郁己だ。
   この2つのケースに限り、
   恋愛の「魔法」は「欺瞞」にかき消されてしまう、
   つまり普通を越えた究極的には「恋愛は不可能」なのだ。   

   藤村は結局、真実の愛にたどり着いたのだろうか(後述)?
   郁己は結局「欺瞞の」サイクルから抜けられたのか(後述)?


 郁己 君は、バラバラになった僕を組み立てたんだ
    ボンドやノリでくっつけたり、
    さびた部品に色を塗って、
    君は僕を組み立てたんだ
    コツコツ時間をかけて
    時々歌を歌いながら
    忘れ去られたガラクタをひとつ残らずかきあつめて
    君は、僕を組み立ててくれた
   (公園の土管の中、いまわの言葉、雛に対して)


 → ・・・・(後述)
   
    僕たちは生まれながらに、
    いつか死ぬという不条理を生きなければならない
    その意味はわからない
    考えても仕方ない事なのだろう
    しかしもう僕に恐怖や絶望は消えていた
    なぜなら一方で僕は、どんな事になろうとも、
    彼女の物語の中に生き続けるだろうから
    たとえ二人が、何億光年引き離されたとしても
    たとえそれが恋でも愛でもないのだとしても
    君が僕を望む限り
    僕が君を望む限り
    I NEED YOUと望むかぎり
   (ヘリコプターの中、最後のモノローグ)


 → ・・・・(後述)


もう、どかはあぜんとしちゃう。どこまで野島伸司は、視聴者に要求するのか。どこまでテーマを掘り下げて、どこまで視聴者の想像力のロープを伸ばさせようとするのか。はっきり言って、一連の野島ドラマの中で完成度は決して高くないけれど、でも、荒削りな分、脚本家が引き起こした断層は絶大なエネルギーで持って海底を割り、ハッピーエンドと悲劇の皮相を大きくえぐりこんだ内容を目指してるね。やっぱり、小説「スワンレイク」がこのドラマを読み解く大きな鍵になっていると感じる(続く)。


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