un capodoglio d'avorio
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2002年10月11日(金) 日本総合悲劇協会「業音」

略して「にっそーひ」。
これは今をときめく劇団、大人計画主宰の松尾スズキの
プロデュース公演のユニットである。
青山の草月ホールでネコバスくんとソワレ観劇。
劇団公演では無いので、看板役者の一人でありサブカル界のプリンス、
現在メディアの寵児である宮藤官九郎は出演せず。
しかし片桐はいりと荻野目慶子という二人の「生ける凶器」が出演。
そもそもこのプロデュース公演を打つ理由というのは、
荻野目慶子を舞台に上げたかった松尾様の悲願に拠るらしい。

しかして、荻野目慶子。
先週あたりからワイドショーを賑わせている「女の業」そのものな彼女を、
舞台で生で観るのは少し怖いのな、「うわ、観ちゃったよ、どしよ」的な怖さ。
しかも、彼女を脱がせるという荒技を軽々やってしまう松尾様。

  薄っぺらい人並みな良識の徒は、歯ぁ磨いてさっさと寝てくださいね。
  ほらほら、目、つぶれますよ、汚いでしょ私ら。

と、ほくそ笑んでいるかのよう、人生を下から観るのはつかこうへいと一緒だけど、
つかは下から上を見るのだが、松尾は下からそのまま下を見るのだね、なるほど。
下から上を見上げるのは、骨が折れる作業。
首も痛いし目もつかれるし、自分もみじめになってくるし、嫉妬もあるし。
そんな骨の折れる作業だからこそドラマツルギーは生まれ、
つかは役者の「熱さ」でこのドラマツルギーを裏打ちしていく。
では、松尾の場合は、何をもって舞台を成立せしめるのか。

つかが例えば各種「熱海」における浜辺のシーン、続くパピヨンのシーンで、
どん底から一気に至高の極みにまで舞台を引き上げる魔法を、
松尾スズキは忌み嫌い、徹底して排除する。
いや「魔法」自体を厭っているのではなく、
「魔法」を成立させる必要条件であるところの「熱さ」が大嫌いなのだ
(なぜなら、彼はシャイだから、基本的に舞台で叫びたくない)。
世界の下から下をどんどん連鎖で辿っていく、
そこにはいっさいの救いは見えてこない、
だれもその位置に満足はしていないけれど、
だれもその位置から脱出したいのだけれど、
みんながみんな「ぬるい」から出て行かれない。
「ぬるくてぬるくて」それがだんだん麻薬的に舞台を染め上げていき、
ジャンキーとなった役者と観客はボォっと軽妙な笑いにつつまれた「地獄」を巡る。
この「地獄」の艱難辛苦のジェットコースターに乗せられる観客のなかに、
もういいよ、お腹いっぱいだよ、偽善ぶった私らが悪かったよ、
と思わず役者に頭を下げそうになる観客のなかに初めてドラマツルギーは生まれる。

つまりこうだ。
ぬるくてぬるくて、人生だめだめで、そろそろガンバロっかな、
なんて今更思うのはこれまでぬるかった自分に申し訳ないから、
捨てるの忘れた不燃ゴミの山に埋もれて今日も人生ボイコット。
でもその不燃ゴミはたまっていくとどうなるの?的な。
その不燃ゴミの象徴としての、春樹風に言うと「アイロニー」としての、
主演女優、荻野目慶子なわけだ。
もう、キャスティングの時点でこれはノーベル賞ものでしょう(続く)。


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