un capodoglio d'avorio
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2002年07月21日(日) 蜷川幸雄「オイディプス王」1

まずはじめに私の自己紹介をします、私はどかさんが所属している民族舞踊団体の後輩です。
今回「オイディプス」の感想をどかさんに話したところ
「それを文章にしたらHPにのっけてあげるよ」
という言葉をいただいたので、自分の感想を文章化するという初めての経験をやってみることにしました。

私は演劇も狂言も、詳しくもなければこだわりをもって鑑賞することもありません。
高校時代に演劇部で、大学生になってからは有名どころの芝居を見ることだけが私の舞台経験です。
そんな私はかなりミーハーなものの見方をします、つまり、かっこいい役者、美しい舞台、荘厳な音楽・・・、
そんな単純なことに感動する性質ですので、その芝居にいくら崇高な思想や主張が流れていても、
ミーハー的要素が流れていなければ面白いと感じることが出来ません。
ですから、これから述べる感想も、ミーハー女が観るとこんな感想になるのかと流してください。

さて、この舞台はギリシア悲劇の名作を蜷川という私の好きな現代劇の大御所が演出し、
狂言界のプリンス野村万斎が主演、そして雅楽のプリンス東儀秀樹が音楽と言う豪華で、
私のミーハー心を満足させる布陣でした、だから、当日券に張り切って並びました。

なのに・・舞台が始まったとたん???・・・でした。
最初にテーバイを襲う不幸に民が嘆き悲しむシーンで始まるのですが、
坊主頭の役者10人ほどが「ウォー」と叫びながらなんども床に体を投げ出しています。
その様子に全然私自身が感情移入できないのです。
私は大げさで、非現実的演出は嫌いではありません。
というか、演出は派手なほうが好きであったりします。
しかし、この舞台を眺める自分の冷ややかな眼差しに自分で驚きました。
「でも!まだ万斎さん出てないし、東儀さんの音楽もこれからよ!」
と自分に言い聞かせて舞台を見つめました。
そして万斎さん登場!なのに私の心ははずみません。。。
たしかにかっこいい、声もいい、王様としての威厳もある。
しかし私はこの舞台の万斎に惚れることが出来ません。
彼の持っている飄々とした爽やかさが王様の威厳で全て消えていたような気がします。
もちろん、これは悲劇なので主人公が爽やかだと都合が悪いのでしょうが、
なんだか息苦しい空気しか感じることが出来ませんでした。
全てが明らか(父親を殺し、母親と関係を持って子供まで出来た)になり、
その悲劇を嘆くシーンもさすがに迫力はありましたが、それだけでした。
人間的な弱さ、悲しみが表現されていないと思いました。
東儀さんの音楽は、全編を通じて流れていました。
が、なぜ東儀さんの音楽でなければならなかったのか、
つまりあれだけ存在感がある音楽を流す効果がはっきりしません。
それまで私は「きれいな音楽ならいいじゃん」と思っていましたが、
それは良質の舞台を見ることができた、その結果の話であったのだと痛感しました。
要するに、音と演出がずれ、その音が素晴らしい分だけ違和感が増していったのです。


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