あたろーの日記
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2005年05月29日(日) 宗教って・・・

 旧暦4月22日。
 朝、増上寺にて大学で受講している先生のお説教があったので、ポタ子(自転車)に乗って芝公園まで。
 昨日は東京タワー、今日は増上寺。お隣同士なんですよね。2日続けて同じ場所に来てる(笑)
 日曜の朝からお寺でお説教を聴くなんて、とても穏やかで清々しい気持ち。
 お話の内容は、現代人と「死」。とりわけ終末期医療との関わりの中で。現代人は「死」とどう向き合おうとしているのか。それは科学的で合理的な「死」への理解と、み仏の教えに導かれての「死」への理解の、どちらであるのか。どちらが人として生きるに死ぬに、気持ちを安らかにしてくれるのか。救いとなるのか。
 今気になることがひとつあります。それは、日常の会話の中で、宗教を、例えば、「ひとつのことを妄信的に信じ込むなんてまるで宗教だ」という言い方で引き合いに出すことです。特定の主義主張や誰かの言ったことや生活スタイルなどについて、自分の理解の度を超えたものについて、人が一線を引くために、相手を牽制するために使う比喩表現。
 新興宗教の教団による凶悪事件が起きたり、特定の宗教団体が社会問題化する中で、日本人ってかなり宗教アレルギーになってしまった。確かに、宗教にはそういう危険な面もあると思う。
 だけど、宗教って、当然それだけじゃない。
 自分の内面と深く見つめ合った時、自分の存在というものに様々な疑問がわき起こった時、「生」と「死」について考えた時、そこに何かある、受け皿がある、というのはどれほど救われることか。
 勿論、宗教は人に勧めるものでも押しつけるものでもない。だけど、簡単に否定しきれるものでもない。今若くて健康で、「死」など微塵も考えない毎日を送っていても、人間いずれは死ぬ。明らかに「死」が自分に或いは自分の身近な人に近づきつつあると知った時、自分にとって宗教とは何かを初めて考える人もいると思う。「死」だけだはなく、人生の様々な場面で、宗教に出会う人もいる。人それぞれだけど。
 洋の東西を問わず、宗教に絡んだ芸術が人の心に深い感動を与えるのは、やはり宗教が、本人は意識せずとも、人間にとって切り離せない重要な何かを持っているからなのではないかと思う。
 そういうことを考えずに、宗教を否定的に捉えるのはお門違いでは、と思う。
 最近、人と宗教の関わり合いについて、あれこれ考えたりしてます。


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