あたろーの日記
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Niftyの新しく始まったウェブログサービス、「ココログ」は、結構楽しめることが分かってきた。でも、こちらはこちらで当面続けていこうと思う。 それにしてもこの日記もよく続いてるなあ。自分でもちょっと感心。大したことは書いてないけど。だけど1年続いてるなあ。 でそこに一昨日から始めた「あたろぐ」。それと、最近紙のノートに日記も書き始めた。これはもちろん誰にも見せない、自分だけの日記。 夜寝る前に、この日記と、「あたろぐ」(こっちは不定期更新の予定)、それから紙の日記の3種類書いてる。わりと記録魔なのかな。マメな性格ではないんだけどな。
ネット上で数え切れないほどのサイトが作られて、私と同じように日記を公開している人も数限りなくいる。たまに耳(目)にするのが、こういうフツーの人がありふれた日常を日記にしたり、大したことでもないのに書き綴って公開してることに対する批判的な意見。素人が簡単に自分のサイトを持って勝手気ままに公開する風潮に釘をさすような。 え?それがなんでいけないの?って思う。別に、いいじゃん。テレビと違って、迷惑な画像や音声を垂れ流ししてるわけじゃない。自分が行きたくないサイトには行かなきゃいいんだし。文章の上手い下手なんて関係ないじゃない。そもそもそんなものあるの?書くことは喋ること、読むことと同じ、自然な欲求だし、みんなの権利だもんね、プロぶって人の文章をああだこうだ批判することほどばかげたことはない。他人の書くものに玄人ぶって評価を加えるのなんてナンセンス。肩書きなければ皆同じだもんね。あ、さすがだなあ、上手いなあ、という人はいるけれど、そもそも書く人にプロとアマという区分けは必要ないと思ってる。読む人にそういう区分けが不要なのと同様。 そういう観点からも、私はウェブ上にいろんな人の書いたものが溢れることには大賛成。何もないよりは何かあったほうが、新たなものがそこから誕生する可能性は大きいし。ただ、書くにあたってのマナーが必要なのは、ものを書いて収入を得てる人とそうでない人の両方に言えると思う。故意に他人を傷つけるようなことを書いたり、悪意のある書き込みをするなんて問題外だよね。 たとえ読みに来てくれる人がいなくて、自己満足のみのウェブログになったとしても、それはそれでいいと思う。書いた本人が、何か書いて表現するという楽しみを体感できれば。 それに、最近思ったんだけど、江戸時代の日記なんか読んでみると、結構大したことじゃないのにこまごま書いてあるものもあったりする、これって、形こそ違えど、今私が書いてるような日記と書く動機は同じだよなあって思ってしまう。そんなのが今の世に残って現代人を楽しませてくれるんだもん。面白いよね。
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