大体、そんな青臭い台詞を堂々と登場人物に言わせるだけの度量、持ち備えている人間なんてよっぽどの莫迦か、よっぽどの智謀派、あるいは真っ直ぐな信念揺るぎ無き者である。「約束」って何だよ、そんなんあったっけ? あー、あったかもしんねー、けど忘れた! けど断る! それが現実でしょう。という冷めた落ち着きどころを求めてならないのがこの私なのだ。しかるに、できれば、「僕らの、約束の池へ!」という方が本来は、好ましくてならんのである。 では約束の池とは何か。それは釣吉三平とか、漁業権で揉めている漁師とか、ダム湖に沈んだかつての村民とか、そういう人達を思い浮かべてしまう。それではいけないと思う。もっとこう、気の抜けた、「えっ、約束の地って、もっとこうかっこいいとこじゃねえの?」と期待に胸を膨らましていた人間達が一気に意気消沈、熱い友情とか過去の約束なんて胡散霧消です。そういうのが好ましい。なぜなら、私は、真っ当なものに興味を欠いてしまっているからである。 私が真っ当で、きちんとしたことを言うとき、入れ替わりに、刺し違えるように、舌の影から小刀を手にした影なる小鬼が現れる。そいつは私の言語の心臓に刃の先を押し当てており、私が世間一般でいうところの正しい文脈、世間的に正しい情念と視線でモノを言うのとほぼ同時に、ちくちくと刺すのだ。小刀はわざと刃の手入れを怠ってあり、わざと王将の油でべとべとにしたようなヤニめいた汚れがひどく、しかるに言語の心臓を貫いたり血管を断ち切るだけの力を持たない。ただし強迫や萎縮にはそれで十分なのだ。 私は影なる小鬼に打ち勝とうとして、例えば就職の面接だの上司への報告の時だの、先輩諸兄に対峙する時だのには細心の注意を払って、色々と調伏の心積もりは重ねてきた。しかしときに舌の上の魔獣、鬼神などを巧みに共謀し、これを己の人生の武器として使いこなすとんでもない人物もいるものである。 そうした業師の姿をテレビ、公演、ネット、なんたら、かんたらでちらとでも見てしまうと、どうしてもそれが欲しい。欲しくてたまらなくなる。そこで、わざわざ影を作る。舌下に影を作るのはたやすいこと。己の言葉に自信を無くし、心の拠り所を失わせれば事足りる。自分の発言をあくまで疑って信じないこと、にも関わらずに取り繕って空虚と思わしき言葉を乱発すること。これにより舌下の賊はたやすく発生する。 問題はこれがちっとも凄い鬼だの魔獣だのには成長してくれないことである。当たり前のことだが発生の原理がまず全く異なる。才能や努力を介さない自己不安や自滅から生んだものは、いたずらに自らの手足を傷付けているのと変わらず、大した働きをしてくれるでもない。 というところまで分かった上での話しなので、いっそ池にでも漬けてみようかと思う。すると、たいがいのフィクションでの池、沼では、�‘況◆▲瀬鵐献腑鵑�ある �⊇斗廚塀賛諭▲魅靴�いる ということが多い。これは池にはめてみようと企む。そういうわけで、池とか電池とかいう言葉は基本的に好きだ。好ましい。できれば良い交際ができればと思う。電池の「池」なんて最高だ。読み方も申し分ない。ぜひ私と一緒に。といいたくなる。 こうしたことを述べていますと、人生がときに、ふすまや障子に映し出された映写機のおぼろげな像のように、ゆらゆらと、まとまりや流れを欠いた、崩れた虹のようであり、私は、一層、心があやしくなるので、このへんでやめときます。自らの言葉で自らに魔性を呼び寄せてしまうというのはよくあることだから気をつけなさい、と、誰も言ってくれなかったがきっとそうだろう。ぬるぬる。生茶を飲んで寝ることにします。ごずめず。 |
| writer*マー | |
![]() |
★↓729参加・総合リンク↓★
☆テキスト・アート☆
☆☆ダークゾーン☆☆