この先も、浪人生。  2004年07月11日(日)
(・_・)”

はあ。

なんかいやだな。

さっきまではとても楽しかったのに。



今日は東京写真美術館へ。
報道写真の特集があって、それはそれは、イラクやチェチェンの現状が。ありのままの死体や流血や銃が写し出され、重くて、良かった。


それが私にとっての自由なんだなあとか感じた。人間の重さ。やるせなさ。痛切なもの。そういうのを感じ続けることが私の私らしさだったんだなと。




休日の度に、とても自由な自分に戻ってしまうから、次の日から、会社に合わせて自分を押しとどめたりするのが、とても面倒だ。


このまま、正体不明のバイタリティのままで、生き抜いていかせてほしい。


この願いは高校1年の時と同じだ。


高校1年の時は、丸1年、ずーっと、辛いと言うか、不協和音しか出せなくて、どうしようもなくて、自分を消すことだけをやり続けた。


2年生になったら、全てのことに諦めていたし、ある程度、自分が消えている状態に慣れてきたから、消えること以外に何も出来なかった。


そんな中で、アート、特に写真に出会った。
きっかけは、芸大を目指していた友人とのかかわりの中で。


そこからはまるでモンスターのように、暴れ始めた。


高校3年では異常な変形したエネルギーがあふれ出して止まらなかった。結果、勉強が全く出来なくて浪人した。


浪人して初めて私は、自分の素直で粗暴なパワーを発見し、自由に戦った。そして、戦いは成功した。

写真も滅茶苦茶に撮りまくった。誰のためにも撮らない、ただ、撮るということを試し続けるだけのような、意味不明の写真ばかりを撮った。



私は何がしたいのだろう? 自分の環境に抗ったり、それを破壊することが楽しいわけでもない。自由に生きたい、というのだろうか。では私にとっての自由とは何か? 私は何故、戦争のように荒廃した、現実的な写真に、己を動かされるのか? 倫理や正義や、主義や政治ではない、もっと原始的な、力が現われてくる。



浪人生かー。高校時代かぁ。

会社でも同じことが起きるかもしれない。


どうせ私はこの先も浪人生なのだ。誰の言う事も、聞き入れることが出来ない。他の人よりは人生がうまくないし、うまく立ち振る舞えない。だから脱落するし、消えてゆく。そして、脱落したり消えてしまった人間たちと出会い、手を組む。



私の先輩が『ただ今ワシは、絞り3.5縛りを自分に課しております』とメールを呉れた。3.5、魅力的な数値だと思った。


私は感度100のベルビアで絞りを3.5〜4.5にして、恵比寿から目黒を撮り歩いた。広角28mm、単純に楽しかった。



この先も浪人生になる時が来る、いや既に、もうそんな感じで、力強く逸脱の期を迎えているのかも知れない。―いずれ自分の目標へフィットするための逸脱―。何かに、成功して、咽喉を潤したい、そんな気分だ。



寝よう。
クソアホども、見ていやがれ。おやすみやせ。





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