あたし、日記書く。  2004年01月07日(水)
04.1.7(Wed)

あたし日記書いてるけど日記じゃないから、日記書く。
では。えー。

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●1/3(土)

・・・卒論は軌道に乗りッ放し。
題目は『人間の機能補助品と倫理観の揺らぎについて』
哲学系なので
フーコー様が必ず出て来ます。
というより
担当(助)教授がフーコー専門なので


〜12月のある日〜


ひがk先生「卒論どうですか、出来そうですか」


マー君「フーコー使わないとあかんノリです」


ひがk先生「まあ、まあまあ、まあそうでしょうね、ま、適当に、まやってください」



〜〜ということでした。へい。
記述に間違いがあってはいけないので、慎重に。
しかしフーコー使うのは最後だ。
第2章はダゴニェを全面的に使う。へへへ。
こいつぁ結構強ェ。


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●1/4(日)

家庭教師で受け持ってる高校生がむちゃくちゃを言う。


「僕ぁダメなんですよ」


「もう大学なんてどうでも」


「ああ 何もせんで入りたい」



『そう言いながら、全てを諦めたポーズを取って、自分のプライドとかと自我が色々衝突して心がややこしくなったりするのを、君、避けてるだろ』


「うっ」


『泣かすぞ』



俺が泣きたい。


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●1/5(月)


『記憶の海へと 愛を探して 独り彷徨う』


と相川七瀬は『Nostalsia』で歌っているが



記憶はその場その場で適宜、更新されながら発生されている。脳内で特定のパターンに基き、ニューロンが発火しているわけではない。もっと曖昧に揺らめいている。

記憶とは、身体電気信号の総体が見せる錯誤である。実体は無い。


様々な解釈、感情、身体的状態が前提条件としてあり、その総合的投射として、映像や言語部位が感じる幻が、記憶である。



つまり

記憶だけをもし純粋に、自己の個体内で追求したとき、

自我は他者(外界)との意思疎通反応から遠退く。

そして

虹のようなものとだけ対話し続けることになり、

その追求時間が増せば、何時か、

人はネットワークの内部で蒸発(消滅)する。



誰でも判ってることを
いってしまって はずかしい。
(><)"


相川七瀬は最後に


『もう届かない幻 

    Get out from my heart(出て行け)』



ってちゃんと言うてるから
偉いと思うんです僕。ねえ。判ってらっしゃる。
ほれるわ。


一日中寝ました。
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●1/6(火)

カテキョ担当の中学2年生が

傍のタンスにひじをぶつけて


「この ばかたれが!!」


と一喝したので、俺は爆笑した。



深夜、弟に農業経済学の話をしてもらう。


「地球温暖化なんて実体はやっぱり無いらしい」


経済学部でもやはりそう習うのか。


「気温が50度まで上昇しても人間は一応やっていけるらしいで」


それは国家レベルでの農業や経済のやりとりが可能だという意味で? それとも熱中症で死なないという意味で?


「わからん」


はーい。



深夜までドラゴンボールのビデオ観。

メタルクウラすっげえええ!!!!
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●1/7(水)

一回生の時に授業で使った哲学概論のプリント、
『ミシェル・フーコーについて』と
書いてある見出しのところに



『⇒近所のおばさんと
  なんちゃって結婚を
        しました』



としか書いていない。

むう。


19、20の私はそういう子だったようだ。
熱い。


近所を散歩してたら初恋の人(小4)のことを
不意に思い出して

『あんたは王者のような奴だった!!!!』


などと心で吼えて、少し

泣いた(・_;)。




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