独白2
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2007年02月10日(土) 瞬間、自己を明確にしてみる

人の死の瞬間に惹かれることがあるというわけではないのですが、戦争映画は昔から好んでみていました
戦争時の虐殺の話とか、ホロコーストについてなどは小学生?中学生位の頃から何故か目が行き、学校の教科書等で何度もその場所だけ読んでいました
おかしな話ですが、そんな私は別にグロ画像とかを好んで見る訳でもなく、むしろ動物の死骸は嫌いな方だと思います
猫、犬の死骸は自分が元可愛がっていたとしても触りたくは無いと思うし、それはきっと人間でも同じだと思う
魚は食べる為に何とか切ったり調理したりできるし、肉は食べれるけれども、魚の目
生の魚の目を見ながら腹は出来れば裂きたくないのです
生理的に受け付けないという言葉は(理由が曖昧すぎるので)好きではないが、簡単に言えばそういう理由で好きではない

私は血が苦手という事はありません
きっと目の前で人が飛び降り自殺をしても、電車に引かれたとしても、交通事故で潰れたとしても、私の予想では顔を顰めるだけで、貧血を起こす、倒れる、といったか弱い女性のような事は絶対にならないと思う
それでも私が死骸に触れたくないと思うのが自分でも不思議だと思う
映画はサイコホラーの映画も見ていたし、異常殺人者の心理等にも興味はありました

ようは私の興味の対象というのは、「死」と言うよりは、死を起こす理由、その瞬間の心理、他者を排斥する理由、その心理など
他を消滅させる際の人の心の動きに興味を示すのだと思った
他人を殺す際、何を考えているか気になるから、猟奇殺人物を見るし、他を殲滅してでも自己の意識を存続する、そのための戦争ものも見るのだと思う

それと共に
私は本来どちらかといえば自己顕示欲が強い方で、プライドが高い
だから私は100か0か
どちらかしか選べないし、選びたくない
そんな私が戦争もの、大虐殺ものの資料や話を好むのは
人は誰しも簡単に、何事も無かったかのように消滅することが出来る、死は特別ではない、人の尊厳とは全くのまやかしであると
そう改めて理解し、そして安心するためでもあるのかもしれない

プライドの高い人間は、きちんと自己を見つめて上を目指すか、全てを諦めて他者をバカにするか
どちらかになると思っているのですが、私の場合はどう考えても後者で、自分が他者の上に立つ事が出来ない、他者の上に立つ為の「努力」が出来ないと知った瞬間から「世界はどうしようも無く無意味である」という証明に勤しんで、「だから頑張っているヤツはバカなんだ」と思う事で安心する部類の人間であると、思っているのです

そういった人間である私は「神」と、「死」というよりは「消滅」について異様に関心を示すわけです
それは私という人間が、プライド、エリート意識、そういったものにとてつもなくこだわっていて、そのこだわり故に何も動けなくなる状態から救ってくれるかも知れないものであるからだと思うわけです
ただ、その救ってくれるかも知れないという「神」については、私は信仰心を持つか、世界の仕組みを余すことなく知ることから始まると、私の選択の結果出てきてしまった

世界の仕組みを知ることとは、世界の全てを知ることで、もちろん誰もそんなことが出来るはずも無く、現存する宗教の神を信じるには私は知識も足りなければ、信じるという心が足りない
だから自分を騙す為に、自己の中で世界を構築し、神の不在、もしくは存在証明をしようと躍起になっている訳です
そしてそれは振り返ってみれば、(種類は真逆な方向に違いますけれども)出来ないといった努力をする事であり、私はそれができない故にまた身動きが取れないという、ばかげたループ状態に陥っているのです
それを打破するのが「死」ないしは「消滅」という選択肢であるが、それもまたふざけたプライド、そして優柔不断さにおいて選択しきれていない
選択肢として出してはいるが、それが認められない所以については、いまだ自分の中でも有力な候補が上がっていない


そういった状態だからこそ、人の尊厳、そういったものが関係なく踏みにじられる瞬間、その瞬間を描いたもの、実際あった出来事を好んでみるのかもしれないと、思った
そしてそれは淡々と行われていなくてはならない
ドラマティックになったようなものではなく、宗教的観測をし、それを幸福と描くようなものでも、そう解釈するものでもなく、ただ事実を
そのままに描かれているものを好むので、戦争ものの映画でも、ハリウッド的な感動映画は好まないのです

死骸についてはたぶん、恐ろしいのだと思う
魂が、「あるかもしれない」というその曖昧なものが
私に絡み付いて離れない、そういった印象を受けてしまうので、恐ろしいのだと思う
それは私が「死」を選択できていないという理由に等しくまだまだ曖昧なもので、候補が上がっていない中で、唯一わかる、自分の感情である
そこから、「何故」を追求していかなくてはならない

世界の仕組みを考えるという事は、一本の糸をどんどん裂いていくような、そんな感じがしますね
一本の糸を裂いて、裂いて、裂いて
偏らないように裂いていく
けれどもどうしても偏りが出てしまう
それは人生そのものにそっくりであると、思った


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