独白2
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何をするにしても判断というのは難しい 自分の希望と、判断基準を読み間違えると面倒な事になる わけで
どうしようも無い事ってあるわけです いい訳ですけど 何かしたいなあと思っても、出来ないっていうのは、もう自分がすでにやる気が無いってことなんですよね だから、やりたいなあと思っていても出来ない その場合、したくないという気持ちの方が、したいって気持ちよりも強いわけです だからしたいと思っていることも、無意識にしたくないを選択しているのでうまくいかないわけです
意識していることと無意識というものの齟齬はとても人を混乱させる けれども、自分が実際どう行動したかによって、無意識の希望を推し量れると思うわけです 通常 無 意識というくらいですから、意識しない希望というものはわからないわけですが、最終的に自分がどう行動するか それによって自分の 無 意識を初めて認識するわけです という事は意識するという事は常に過去に関してしか発生しない事柄なのかもしれない なんてことをふと思った
いい訳ですけど
今日は会社を遅刻しました この自分への前フリはつまりはいい訳なんですけど 元々行きたくなかった けれども月曜日というのは通常どの曜日よりも忙しい それはわかっている でも職場には自分が行かなくてもさしたる差は無いと思っている 自分がそれほど役に立っているとは思いがたい 忙しいとわかっているのに、どうしようもない事情などないのにサボるのはとても感じが悪い それも理解しているけれど、行きたくもないし、自分が行く価値がそこまであるとは思えない
というような無駄な思考を繰り広げていて、最終的に自分の無意識の希望としては行きたくない、に落ち着いた ので、寝坊をした
一度おきていて、再度寝た時にうすうす起きれないだろうということはわかっていたわけですが、それでも寝たので、もうそれは間違え様もなく行く気が無かったわけです でもその後会社から電話があった時には、他人の感じる自分の印象を優先させたのでそのまま会社へ行きました 行ってしまえばきちんと働くのですけどね
正直な話、何事においても100%責任がもてないなら、生きている事をやめろというのが最終的な目標なのですが、さすがにそこまで完璧には行きません 9割は達成できるように頑張ってはいるので、その後の判断としては、もうこのまま行っても今の職場で緊張感を取り戻せるという自信はまず無い だからやめようと思う 出来ないことはしたくない
潔さは大切だが、私のようなダメな人間は結局は何も出来なくなるだけだと思う それを逃げというか、潔いというかは他人の判断によるのである
判断を間違えたとすれば、そういう9割達成できなければしないという意思を決定した時点ですでに判断を間違えている
この決定をしている時点で、どんなに自分が綺麗に生まれても、どんなに頭がよくても、所謂幸せな条件をたくさんもっていたとしてもすでに生きる事には価値を見出せないと思った今日
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