独白2
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2001年09月18日(火) 昔日記

まあ昨日のも誰も見てないだろうからいいだろうけど。
とにかく今はカカサス語ってる場合じゃないです。
表の日記の書いたけど、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』みました。
独りで夜中に見てたせいでもあるかもしれないけど、本気で泣いた!!
恥もねーっつの!!だってみんな寝てるし。ティッシュが!!
こんなに映画見て泣いたのは久しぶりだよ。
いいもの見ました。『ジャンヌダルク』なみに私の好きな感じです。

まずとにかく曲!ビョークの曲は枠にはまっていないと思う!ホントに!
だいたいあの人歌も歌えて演技もできて…。
はじめミュージカル始まったときはビックリしたけど。

てかね、ただの同情話じゃないんだよね。話の先はホントにわかりやすいけど。
ひたすら不幸になりますって感じ。ネロとパトラッシュみたいな。最後死んじゃうしね。しかも彼女なりに悔いはないって感じで。『ジャンヌダルク』そうだけど、死ぬのが泣き所ではないわけです。
私の大好きな友達が描いてました。

「死ぬのは怖くないけど、『死ぬ』かもしれないと言う概念が怖いなはなんでだろうね」

私はこの言葉を見たとき、「すごいこと考えてるよ。私みたいな薄っぺらい人間には考えもおよばない言葉だ」とか思ったわけです。
でも!その時私は本当には分かってなかった。
「死ぬのは怖くない」
では死と言う概念とは?
これは私的な意見でしかないけれども、自分が「死」んだことにより、自分のやってきたこと、存在、生きてきたという事実、やり遂げられなかったことなど、などが同時に「死」ぬこと何だと思います。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『ジャンヌダルク』がなぜ私にこんなにも影響を与えたか。
それは彼女たちが、「死という概念」を乗り越えたと思ったからだと思います。
人は死ぬときはやっぱり未練を残したくなくて、死ぬというその瞬間までも他人に思ってもらいたいんだと思います。
他の人がどうかは解りませんが。少なくとも私はそう思う。
それと、もう一つは彼女たちが結果的に『死んだ』というのも私が涙した要因の一つだと思います。
なぜなら私にとって、というかある意味人にとって『死』というものは安らぎだと思うからです。
ビョークが殺した彼。彼は正にそう。「死」は安らぎなんです。
すべての人に平等な安らぎを与えるとは限りませんが。
今アメリカではいっぱい」人が死んでいますしね。
でもこれも一つの考え方だと思います。

もう一つ。私は人間が好きです。『人間』が好きなんです。
だから私は『理想』だらけの綺麗事は見ても感動しません。
セルマは人だった。ジャンヌも人だったんです。当たり前のことですが。
自分が死んでも子供の目を治してやりたい。
これって一見すごくいいことしてるし、感動の言葉なんだと思う。
でも本当にそうか?違うだろ。
だってこれって自己満足じゃん。残った人のこと考えてないじゃん。
もし本当に存在していたということそのものが消えるのならありだろうけどさ、人の「死」ってそうじゃないでしょ。
自分がやってあげたいから無理にでもそうする。生きてるのがつらいけど自分で死ぬことが出来ないから殺させる。自分が生きてて欲しいから自分勝手に生かそうとする。
コレってみんな自己満足。すべては自分のためでしょ。
でもいいんです。私はこれがいいんです。
人間ってそういうもんでしょ。まったくの善意なんて無いと思います。でもそれでもいいんです。自分のためにしか行動できない。でもその自分のためが、他人のためになる。
そういうのが人間関係なんだと思います。
私は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』からそう感じました。


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