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| 2009年10月15日(木) |
道具と大脳皮質のハナシ |
言葉や道具を使うなどの人の知的行為には大脳皮質が関わっている・・らしい。 生物の進化の過程で、脳は各部位がそれぞれ膨張し、 特に人間は大脳皮質が膨張して高度な知能を持つようになった・・・と言われているらしい。
最近、脳科学の分野では、 「ニホンザルに道具(熊手)を使って餌を取る訓練を施し、関連する大脳皮質の信号強度が増す事を観測した。」そうである。 「道具の使用が人に至る脳の進化を促したとする説を実際に目で見て納得する日が来る・・ことへの、第一歩か?!!」だそうである。
信号強度が増すという表現が素人にはわかりづらいが、 それはその脳の部位が膨張する事を示すのだと言う。 そしてこれは人の進化の中で大きくなった脳の部分に対応するのだと言う。 つまり人の進化を実験的に再現できたことになるのだそうだ。
*********ぼんやりと考えてみる。 進化を?実験的に?再現? ちと不気味な気がする。 我々は進化を再現できるほど進化の外側に立っているのだろうか。 現代人は既にたくさんの道具を使って生活している。 そして道具を駆使しているという実感があまり無い。 サルが熊手を使ってりんごを手繰り寄せようとするくらい画期的な道具の使い方って、 現代人にとってはどんな事だろうと考えても、容易に答えが出てこない。 ひょっとしたら、脳の信号強度を解析するためにMRIを使うとか、こいうことが答えなのかなぁ。**************
******************で、実際に身の回りを見てみる。 やっぱり何かのための物という物ばかりである。 ノートや時計、電気とかティッシュペーパーとか、掃除機とかガスレンジとか。 水道や机や、めがねも携帯電話も、このパソコンもそうである。 本もそうかな。
もっぱらそれ自身のためにそこにあるものは道具ではないだろう。 リビングに飾ってあるモジリアーニのレプリカとか、 娘が横浜の中華街で買ってきた、鉄でできた豚の置物とか。。。 (あの豚はいつも私にお尻を向けている。) 本はこっちにはいるのか?
どっちにしても、 こういうものも人の心を癒すための道具ということになるのだろうか。 言葉や文字はある種の道具だろう。 口述から書き言葉への変化は進化なのだろうか。
**************最初に戻って、 そうか、この大脳皮質のハナシは「人に至る脳の進化」がテーマだから、 いいのだ進化の外に立ってても。
私が気になっていたのは「人の進化」だった。 人はどこかに「至る」道の上にいるのだろうか。
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