日記ふう雑感 ひとりごと
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| 2002年06月16日(日) |
サッカーW杯の楽しみ |
いよいよW杯も中盤に入り、世界各地での熱狂振りが話題になってきた。ロシアの暴動はじめ韓国では予選一位に感激したサポーターが投身自殺したとか。日本でも道頓堀に飛び込んだり渋谷駅前では暴動寸前になったりといったことがニュースなどで取り上げられている。 そんな中で私の気になったのはこうした暴動、行き過ぎだお祭り騒ぎのみをあげつらっての批判だ。あの騒ぎ即ちW杯と思っておられるらしい。私もそうだが、サポータやW杯ファンのほとんどはさすがに少々興奮してはいるが、礼儀を守って楽しんでいる人たちなのだ。人に迷惑をかける無法者のような行為をする輩は真のW杯のファンとは私は思っていない。 サッカーの魅力はやはり国を超えて理解できる団体競技というところにある。誰もが一度は何かを蹴っ飛ばす、という経験はしているだろう。あのすっきり感は万国共通である。この人間の単純で原始的な行動がスポーツになった。そこにはルールがあり、勝敗がある。単純であればあるほど感情に左右されるということ、故にきちんとしたルールが必要であるということをサッカーファンはよく理解しているのだ。 よく、紳士のスポーツなどと言いながら相手チームにブーイングをしたり、試合前に偽りの情報を流したりと全然正々堂々としていないではないかと言う人がいるが、ファンにとってはそういうことも全部ひっくるめてW杯なのである。アルゼンチンのようにまさに国を挙げての真剣なイベントとして取り組む国もあれば、ほとんど国内では話題にならないアメリカのような国もある。それぞれ良くその国の様子を表している。そういったこと全部がW杯なのだ。本当にW杯を楽しんでいる人たちはそれをを理解している。熱狂あり、欺きあり、ブーイングあり、すべてがありである。だから、ルール違反、暴動、殺人などの問題の起りうる。これらは人間として決して許してはいけない行為である。が少なくともスポーツとはかけ離れたことも起きることを理解して初めてW杯なのだ。だから私達は無法者の輩とは類を異にするにもかかわらず、こういった連中即W杯とみなして受け付けない人たちとも悲しいかな違った立場に立たされてしまう。 負けているときの焦り、勝っているときの気の緩みなど国や人種の違いに関係なく伝わってくる。そういう感情をいかにコントロールして勝負をつけるかの過程が目の当たりで繰り返される。それが面白い。つまるところそういうことだ。ほとんどのW杯ファンは少ない時間をやり繰りし、少々ハメをはずしてたまの世界的イベントを楽しんでいるそれだけのことである。
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