気持ちの悪いことを言おうと思う。 くだらない自己分析だ。
俺は我が侭であって、極度の気分屋で、そして構ってちゃんだ。
俺は人間として非常につまらない人間なので、 我が侭は許されないし、 気分屋はただの迷惑であるし、 構ってもらいたがったところで構いたくはなりはしないのだ。
それは俺にとっての日常であり、 楽にこそならずとも苦にはさほどならない。 俺は自分に対し辛くないふりや、 弱くないふりをするのが得意なのだ。 このように。 (それとも、本当に気づいていないだけなのかもしれない。)
我が侭で構ってもらいたがりで、気分屋であると言うことは どういうことかと言うと 自分の好む構ってもらいたがり方で、自分がどんな時であろうとも構ってもらいたい。 のだ。
前置き1終わり。
俺は面倒くさがり屋でもあるし、構ってあげたがりでもある。 ただ、後者は凄まじく自重している。 それは俺はつまらない人間だと自覚しているからだ。 相手を喜ばせる自信などない。俺と話しているときっと不快になるに違いない。 ならば適当なところでやめるべし! といった風に。至極、自虐的であるが、 懸命な判断ではある。と思っている。
面倒くさがりについて言うと、 これは気分が絡むのであるが、 他人との関わりが面倒だ、と感じる程に発達している時がある。 そもそもに、コミュニケーションの面において面倒くさがりの面は、 その程度しか発揮しないとも、思う。
前置き2終わり。
俺は馬鹿でもある。 それは、どうしようもないほどの馬鹿だ。 考えればわかることを、考えずにしておく。 これは自衛でもある。
前置き3終わり。
#01 自分がやっているのと、同じことをしている人を見て、 ひどく嫌悪感を覚えるときがある。 自分がやっていることと何一つ変わらないのに、だ。
時と場所さえ変われば、自分がやっていることになることなのに。
嫌悪感を感じても、僕は馬鹿なので忘れたふりをする。 他人が僕と同じ思いで嫌がっている、と知っているのに、 忘れたふりをして、同じことを、する。
したいから、する。
#02 他人との関わりは嫌いではない。必要なものだとも思う。 ただ、面倒になることもある。
それでも、やはり誰かに構ってもらいたいとは思う。 一方で、誰かに構ってやりたいと思うときもある。
まあ、そういう関係は、この世にそう多くないのだけど口にしない。 俺には縁の遠い関係であって、
つまり、俺は望んだモノを手に入れることが出来ないのだ。 入れようとしたところで、相手を不快にさせるだけだ。 相手を不快にさせるのは、嫌だ。
したくないことだから、しない。
#03 我が侭である。 という事は自分勝手だと言うことにもなる。
相手を不快にさせるのは、嫌だ。 と言うが、実際は 相手を不快にさせるつもりがない行動の結果、相手を不快にさせてしまった事が嫌なのだ。
つまり、自分のしたくないことをすることが、嫌。
他人が嫌悪感を覚える。不快に成る。 わかっている行動でも、 自分がしたければ、する。
つまり、自分のしたいことをするのが、好き。
きっと、こうだ。
自己分析終わり。 自分が良くない人間に部類されることがわかって、 もっと嫌いになりました。
#04 そして、いつだって俺の構ってもらいたい方法で 俺を構ってくれた人が居た。 その人は、今居ないのだけど。 その人と会話してる間は癒された。 疲れがとんだ。
その人が居たおかげもある。 僕は馬鹿なのだ。 その人に面と向かって感謝なぞ、一度もしていない。 大切にしたことも、一度もない。
僕は馬鹿なのだ。
疲れてないふりも、辛くないふりも、 ごっこ遊びのようなもの。 今日も今日とて、といつの日も続くわけではない。
疲れるままに、俺の精神は疲れちゃって。 疲れると、どうも、俺のダメ人間度は加速するようで。 面倒になったのだ。すべて。
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