遺書

2007年12月18日(火) 1713 自己透析

気持ちの悪いことを言おうと思う。
くだらない自己分析だ。



俺は我が侭であって、極度の気分屋で、そして構ってちゃんだ。

俺は人間として非常につまらない人間なので、
我が侭は許されないし、
気分屋はただの迷惑であるし、
構ってもらいたがったところで構いたくはなりはしないのだ。

それは俺にとっての日常であり、
楽にこそならずとも苦にはさほどならない。
俺は自分に対し辛くないふりや、
弱くないふりをするのが得意なのだ。
このように。
(それとも、本当に気づいていないだけなのかもしれない。)

我が侭で構ってもらいたがりで、気分屋であると言うことは
どういうことかと言うと
自分の好む構ってもらいたがり方で、自分がどんな時であろうとも構ってもらいたい。
のだ。



前置き1終わり。



俺は面倒くさがり屋でもあるし、構ってあげたがりでもある。
ただ、後者は凄まじく自重している。
それは俺はつまらない人間だと自覚しているからだ。
相手を喜ばせる自信などない。俺と話しているときっと不快になるに違いない。
ならば適当なところでやめるべし!
といった風に。至極、自虐的であるが、
懸命な判断ではある。と思っている。

面倒くさがりについて言うと、
これは気分が絡むのであるが、
他人との関わりが面倒だ、と感じる程に発達している時がある。
そもそもに、コミュニケーションの面において面倒くさがりの面は、
その程度しか発揮しないとも、思う。



前置き2終わり。



俺は馬鹿でもある。
それは、どうしようもないほどの馬鹿だ。
考えればわかることを、考えずにしておく。
これは自衛でもある。



前置き3終わり。



#01
自分がやっているのと、同じことをしている人を見て、
ひどく嫌悪感を覚えるときがある。
自分がやっていることと何一つ変わらないのに、だ。

時と場所さえ変われば、自分がやっていることになることなのに。

嫌悪感を感じても、僕は馬鹿なので忘れたふりをする。
他人が僕と同じ思いで嫌がっている、と知っているのに、
忘れたふりをして、同じことを、する。

したいから、する。


#02
他人との関わりは嫌いではない。必要なものだとも思う。
ただ、面倒になることもある。

それでも、やはり誰かに構ってもらいたいとは思う。
一方で、誰かに構ってやりたいと思うときもある。

まあ、そういう関係は、この世にそう多くないのだけど口にしない。
俺には縁の遠い関係であって、

つまり、俺は望んだモノを手に入れることが出来ないのだ。
入れようとしたところで、相手を不快にさせるだけだ。
相手を不快にさせるのは、嫌だ。

したくないことだから、しない。

#03
我が侭である。
という事は自分勝手だと言うことにもなる。

相手を不快にさせるのは、嫌だ。
と言うが、実際は
相手を不快にさせるつもりがない行動の結果、相手を不快にさせてしまった事が嫌なのだ。

つまり、自分のしたくないことをすることが、嫌。

他人が嫌悪感を覚える。不快に成る。
わかっている行動でも、
自分がしたければ、する。

つまり、自分のしたいことをするのが、好き。

きっと、こうだ。



自己分析終わり。
自分が良くない人間に部類されることがわかって、
もっと嫌いになりました。


#04
そして、いつだって俺の構ってもらいたい方法で
俺を構ってくれた人が居た。
その人は、今居ないのだけど。
その人と会話してる間は癒された。
疲れがとんだ。

その人が居たおかげもある。
僕は馬鹿なのだ。
その人に面と向かって感謝なぞ、一度もしていない。
大切にしたことも、一度もない。

僕は馬鹿なのだ。


疲れてないふりも、辛くないふりも、
ごっこ遊びのようなもの。
今日も今日とて、といつの日も続くわけではない。

疲れるままに、俺の精神は疲れちゃって。
疲れると、どうも、俺のダメ人間度は加速するようで。
面倒になったのだ。すべて。


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