| 2006年01月27日(金) |
一日三詩 No.7 (私の) |
no.1020 (+48 (私の)言葉に意味はあるのか
生きているだけで 吐き気のする世界で
私は私の言葉を吐いた
もう誰かが口にして もう誰かが聞き取った
そんな言葉でしかあらわせない私
誰も口にしたことがなく 誰も聞き取ったことのない
そんな言葉は私から出たことはない
私の想いは有り触れた言葉で表現され 私の想いは聞きなれた言葉で想像される
違う、私の想いはそんなことじゃないんだ
生きているだけで吐き気がする 私と、私の言葉のすべてが
もう、どこかで使われているものでしかないから
思いがひとつもこもってない言葉は もう、この世界と言語には存在しない気がするから
それでも、仕方なく私は吐きつづける 有り触れた言葉の、つまらない焦燥を
私は、
no.1020 (+49 (私の)生活に意義はあるのか
生産しては 消費され
生産しては 消費され
私の詩は作られてすぐに 誰かの心に食されます
そして
誰かの心に何も残すことなく 心から落ちていきます
私の存在意義が 誰かに覚えられることにあるとするなら
食べている瞬間にしか 感じてもらえない私は
ずっと覚えられるものの作れない私は 休み無く詩を生産するしかありません
今日もまた有り触れた言葉を繋ぎ 誰かに消費されてゆく 日常
no.1020 (+50 (私の)嗚咽に意味はあるのか
私の助けてや寂しいの声は ぐっと、喉の辺りまで出かかるのに 口は出してくれないから
飲み込むしかないの
それを繰り返すうちに 身体中が助けてや寂しいの声に満たされて
なんだか吐き気がします
助けてや寂しいは そのままの形じゃ出てくれないから
ゆがんだ形であらわして 誰も、気づかない
のです
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