■ゲロッチャ !!■
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2005年05月30日(月) ■思い出話

用水掘の水嵩が増すと思い出すことがある。


私が小学生だったころ、通学路付近に農業用の水路があった。
ちょうど今頃、田植えの時期になると一気に水嵩が増える。
水面は穏やかそうに見える用水堀も、ちょっと笹船など流そうものなら
たちまち激流に飲み込まれて「あっ」と言う間に消えてしまう
大変危険な場所だった。
等間隔で貼られた、危険を促す看板。
「このへんはこわいぞ」の文字と不気味な河童の絵がとても恐かった。


私はその用水堀で、
買って貰ったばかりのパーカーを失くしてしまった思い出がある。
学校帰りに歌いながらパーカーを振り回していて、
誤ってパーカーを水に落としてしまったのだ。
拾う間もなくパーカーは水にのまれて消えてしまった。
私は恐々、母親に失くしたことを告白し、
母親は私を連れてパーカーを探しに外に出た。
もちろん見つかるわけもなく、
私と母親と、弟の3人で
ごうごうと流れる用水堀を小さな橋の上から眺めた。
母は
「お前が落ちなくて良かった。
  もしこれから何か落としても絶対拾おうとしちゃ駄目だからね」と
そう言った。




その堀では、弟の同級生が亡くなっている。
遊んでいて堀に落ちたのだ。
消防署や先生方やPTAや弟の同級生の保護者たちで、堀を捜索したが
なかなか見つからなかった。
陽が落ちる頃、遺体で見つかった。見つけたのは、落ちた子の担任の先生だった。


亡くなった子には姉がいて、姉のほうは私と同級生だった。
皆からキヨちゃんと呼ばれていた。




****



私が小学生の頃、とても仲のよい男の子がいた。
あだ名はゴリちゃん。
彼も私も背の順だと一番前で、朝礼や野外授業など、整列するときは隣同士
席も隣同士とか前後とか、とても近い存在だった。
運動会のフォークダンスでも、必ず一度は接触しあう仲だ。
ゴリちゃんと私はよく、好きな人を教えっこした。
ゴリちゃんは
「1番好きなのはキヨ。2番はお前」と、恥ずかしそうに言ってくれた。
私も
「1番はクニさん。次にアンタ」と、教えてあげた。

子供ならでは だ。
1番好きなのは憧れの異性。その次は、一番仲良しで気心の知れた異性。
ゴリちゃんとはずっと仲良しで(仲良しといってもケンカ友達)
年に一回くらいは、好きな人を報告しあっていた気がする。

聞くたびに
ゴリちゃんはキヨちゃんが一番好きだった。
私は何年間もクニさんの名前を答えた。




中学に入っても
ゴリちゃんはキヨちゃんが好きだった。
私もクニさんが好きだった。
お互いに一番好きな人はずっとずっと変わらなかった。
ゴリちゃんは、いわゆる不良になってたけど、気持ちは優しいままだった。
中学という微妙な年頃の私たちは、仲良しというほど親密ではなかったけれど
でもやっぱり昔馴染みの気楽さというか、幼馴染の馴れ合いというか
そういう間柄だった。
ことあるごとに
「はたやまはヨォ〜、俺の顔をみるたびビンタするから厄介だヨナァ〜」
「そこにゴリちゃんの頬があるからだよ」
と、まぁ そんな感じで仲良しだった。

多分、ゴリちゃんはキヨちゃんに何らかのアプローチをかけてたんだと思う。
私も、クニさんと交換日記をした。
あ いや して貰った。お情けで(^^;) 長くは続かなかったけど。



月日は流れて



社会人になって数年後、同窓会が開かれた。
ゴリちゃんは、キヨちゃんと結婚していて、
私は猛烈に感動した。
だって、小学校低学年の時からずっと好きだった子と 結婚できるなんて
素晴らしいよ!!!
カッコイイ!


同窓会では二人で話すことができた。
やっぱりゴリちゃんは話しやすくて面白かった。
あらゆる昔話をしても、どれもこれも話が通じた。
同じ時間を共に過ごしてきた幼馴染。

お酒の勢いと、場の雰囲気も相俟って、ゴリちゃんは言った。
「一番好きなのは嫁で、二番目は、やっぱりお前がいいかなぁ〜」



そこで話は終わった。
今まで私たちが交わしてきた、
「一番目はあの子。2番目はお前」
お約束のような会話を続けてあげたかったけれど


私の一番目は、その場にもいなかったし
もうこの世にもいなかったから
言えなかった。





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