遠距離介護日記

2010年12月26日(日) 3年ぶりの日記アクセス

2006年の4月が最終日記で約4年ぶりのアクセスと日記記入。
この間経済的事情で別居を止め元の家に戻りプラス義母との同居も
スタート。さらに間質膀胱炎が判り水圧拡張のため2回入院と振り返れば
結構ハードな4年ちょっとでした。

この間2007年9月に母が一人暮らしは無理と判定され老健に入所し毎日
母への連絡、もろもろの心配からかなり開放され心理的にはかなり楽になり
ました。がそのことで自分の家で暮らしたいという母の希望に添えなくなり
また母は(認知症のため)老健入所の意味を理解できず私を悩ませました。
娘として最良の選択と思いつつ申し訳なさもあり複雑な数年間でした。

老健入所により母の安心安全な生活は確保しましたが、空家になった家の管理
が今度はかなりの重労働なことが判りました。春夏の草取り、冬の雪かきです。空家の管理は大変で庭の雑草は月一回の除草はなんの意味もなく次の帰省
時には前にもましてはこびってがっくりです。おまけに除草中の虫さされもあなどれません。足がパンパンにはれ抗生剤服用でやっと治ったことも。
冬は雪が玄関の前に山のような積雪があるため帰省時直ぐに家に入れないこともしばしば。小さい町なのでシルバーボランティア活動組織がないため本当にとほほ。また町では空家の雪かきの支援はありません。ダブルでつらいです。

一番大変なのが冬季の水道管凍結を防ぐための水抜き。不完全な水抜きのため4年間で2回水道の混合栓を凍らせ2個ずつ取り換え。ボイラーも2回修理で
リュウマチ患者で握力のない私にとって冬季の帰省はトラウマです。
凍結防止のため業者から不在中でもボイラーは種火にしておくように言われている事も、万が一火災の原因にならないかと思うと体によくありません。

ともかく3年ぶりに放置していた日記が残っていたので感激です。
母は12月10日で85歳になりました。もっとも自分は50歳代のつもりで
娘の私が62歳といってもなんとなく現実感がないようです。

次回の帰省は1月7日からなので母に必要なものを買い集めている最中です。
親子とも生き延びられて感謝、感謝。


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