店主雑感
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人間の本性は善でも悪でもない。 人間に限らず生物すべての行動というのは、 あくまでも生存上そうすることが有利だと本 能が教えるからただそうしているに過ぎない。 身も蓋もない話だが仕方がない。人間として は、いろいろと考えているつもりでも結局最 後にとる行動が生命戦略上の決定に基づいて いるとしたら、一々悩むだけ馬鹿らしい気も する。しかしそれを踏まえた上で人間社会を 観察してみると、どう振る舞えば有利(ある いは不利)なのかがおよそ見えてくる。
わざわざ神を持ち出すまでもなく、人間は 力ずくで他者から奪えるだけ奪うというやり 方が、長期的に見た場合必ずしも有利に働か ないことを知っているのである。 背信行為が専門の様なギャングですら、不必 要な場面での反社会的行動は慎んだ方が有 利なことを知っている。
人間以外の生物にも利他行動があることは よく知られている。 だが蟻や蜂の利他行動は、否定的に人生を 語る場合よく引き合いに出される。「働き蜂 の様な生涯は送りたくない」などといったふ うにである。 この場合働き蜂が悪く言われるのは、たく さんいて幾らでも取替可能にみえる存在感の 薄さが理由だろう。 「女王蜂」であれ、「物書き蜂」「絵描き 蜂」「音楽蜂」「スポーツ蜂」「社長蜂」何 であれ、要するに誰も彼もが少数のエリート 蜂になりたいのだ。 人間の体で言えば、最初は脳や心臓といっ た花形器官を目指して細胞分裂を開始したの に、何の因果か生涯を通じて皮膚や爪を形成 し続けるはめに陥った脇役細胞の嘆き、とで もいうべきか。 本来は不可逆性であるその脇役細胞を遺伝 子操作で花形細胞へ変身させる研究も現在で は実用化しつつある。 しかし脳細胞ばかりの人体はあり得ないし、 社長ばかりの会社もあり得ない。天才芸術家 や天才スポーツ選手ばかりの社会もあり得な いということは小学生でもわかる。
おもしろい小説を読む楽しみ、美しい絵や 音楽に接する喜び、高度な体技を見る興奮、 健全で業績の良い企業が提供する安心で良質 な製品や労働の対価としての安定収入、危機 管理能力の高い国家が約束する安全保障、全 ては受益者である我々働き蜂の見識如何にか かっている。
人間でも蜜蜂でもそれぞれが固有の存在で あることなどに何の値打ちもありはしない。 その構築した社会が概ね健全に保たれている ことに値打がある。 「嫌な仕事を我慢してやり続ける人が多いが、 その場合には、仕事を変えろ。どうせ生きる のであれば、仕事をするのであれば、好きな ことをしろ」こういうことを言って受けのよ い時代になってからは、たかだか半世紀しか 経っていない。 それ以前の何世紀ものあいだは、ふつうに こう言っていた。 「嫌な仕事を我慢してやり続けられない人が 多いが、その場合には仕事を変えても同じだ。 どうせ生きるのであれば、仕事をするのであ れば、その仕事を好きになれ」 どっちが正しいかは問題ではない。どっち が生存上有利かが問題なのだが、この半世紀 は「好きなことをやれ」と言った方が有利な のである。 では誰にとって有利なのか。他者から力ず くで奪うのではなくて、他者の愚かさにつけ こんで、世界中ペンペン草も生えないような ありさまにして豪も恥じない、ほんの一握り の人々にとって有利なのである。
世界を変えることなど本当はたやすい。 「その仕事を好きになれ」と言った方が、 大多数の人々にとっては有利なことを思い出 させれば良いのだ。個の力がものをいうのは、 まさにこういうときである。多数者の価値観 に反するものを作っても売れないし、政策を 叫んでも当選できない。むずかしく考える必 要はぜんぜんない。むかしどこの家にもいた、 普通のおばあちゃんが言っていたようなこと を思い出せばよいのである。 グリーンゲイブルズのマリラ・カスバート やレイチェル・リンドさん、ウォルナットグ ローブのインガルスさんやオルソンさんの奥 さんなら、きっと言いそうなことである。 国際経済の仕組みや環境破壊の実態などは 知らなくても一向に構わない。世界変革にそ んな知識はかえって邪魔にしかならない。そ れよりは日常生活で日頃から他人の立ち居振 る舞いにもっと目を光らせるべきなのである。
「愛」や「思いやり」で世界は救えない。 「嫌悪」や「軽蔑」こそが世界を救う鍵と なる言葉だ。大勢の人々から嫌悪感を抱かれ たり、軽蔑を買うことは、生存上大変不利に 違いない。問題はどんなに不快で軽蔑に値す る輩でも、不当に扱って良いということには ならないてんだけである。だからこそ彼らは、 より不快で軽蔑すべき人間なのだ。
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