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2004年04月09日(金) イラクで日本人が誘拐される

まあ、これだけ色んな国籍の人々が襲われ、連れ去られ、最悪の場合は殺められている状況なのだからいずれは起きるだろうとは思っていましたが、ついにその日が来てしまいましたな。

今なお混乱状態が続くイラクで、3人の邦人が武装グループに拘束された。その謎のテロ組織は、日本はイラク国民との友好関係に対して(米軍に協力するという格好で)敵意を返してきた、日本は3日以内に自衛隊を撤退させるか、3人を殺害するかの二者択一をしろ――という旨の犯行声明文と人質の様子を撮影した映像入りのCD−RがアルジャジーラやAPTNに送り付け、現在もまだ解決していない。

ただただ事件の早期解決を願うばかりだが、間違っても相手の要求を飲むようなことはせず、国は毅然とした態度を貫き通して欲しい。一度でも要求に従ってしまえば、それ以後は間違いなく世界中で国民が不逞な連中に誘拐されまくってしまう。お金のみならず、脅せばいとも簡単に気に入らない政策を転換させる事が出来るようなカモをテロリストが放っておく訳がない。兎にも角にも、卑劣な誘拐犯の脅し文句なんかには絶対に応じずに、政府は3人の救出に全力を注いで欲しい。

こういう事を書いていると冷酷な人間だと思われるかも知れない。でも、自衛隊を撤退したからといってこの正体不明のテロ組織相手が人質を解放してくれるという保証は全くないのだし、図に乗って更にあれこれ無理難題を吹っ掛けてくる可能性も低くはないのだから、ここは脅迫に屈することなく地道に犯行組織の特定など、出来うる限りの事をやって頂きたい。それに、個人的にはこの被害者の方々には心底同情する気にはなれないんだよなぁ...。

例えが悪いが、この人達には数年前にダム管理事務所や警察の忠告を無視して中州でキャンプを続けた結果、水難事故に遭って命を落としてしまった玄倉川事件の犠牲者の方々に対するのと同様の感情をどうしても抱いてしまう。

イラクの地には昨年の春からずっと全土に対して退避勧告・渡航危険情報が出されている。外務省がとてつもなく危険だ、大使館の中ですら生命の危機を回避するのが難しい状態で、下手したら出国出来なくなるかもしれない…、と現地の緊迫した状況を何度も警告しているにも関わらず、自ら地雷原のような所、しかもすぐ近くで米軍が戦闘行為を繰り広げているような地域を真夜中に陸路タクシーで移動して、案の定武装したテロリストに捕まる。どう考えても自己責任でしょ? 2人の外交官が志半ばで凶弾によってその尊い命を奪われた一件を他人事としか考えていなかったのか?

気の毒だな、早く助かるといいのにな、と思うのと同時に、実質戦場と化しているイラク北部に自分の意志で足を踏み入れていったのだから、あとは運命次第としか言いようがない。アメリカが引き起こした憎悪の連鎖に巻き込まれるべくして巻き込まれた被害者、とも言えなくはないが。

勿論、自己責任ではあるけれど、私はこの3人の行動を全否定はしない。

カメラマンの方は現地の様子を間近で伝えたい、というジャーナリスト精神と大マスコミが近寄らない危険地帯を取材することによって高額の報酬を得る、という商売論理や冒険心が原動力となったのだろう。今回の被害は安全に使命を果たすという戦場カメラマンとしての手法がほんの少しだけ狂ってしまった結果なのかも知れない。

ボランティアの女性はそれこそ現地の子供達の為に自分が何とかしなければ、という義務感や奉仕心に突き動かされての行動だったのだろう。アフリカをはじめとする世界の至る所や国内にだってボランティアの救援が必要な所は山ほどあるのに何故イラクなのか、という疑問もあるが、この方にとっては危険を冒してでも現在のイラクの子供に愛情を注ぎたかったのだろう。数度の訪問で少し緊張が弛緩してしまったか。

市民団体代表で絵本作家の少年は…うーん、純粋に正義感に燃えまくっていたんだろうなぁ。劣化ウラン弾被害の取材ならば旧ユーゴスラビアとかアフガニスタンに加えて後遺症に悩む帰還アメリカ兵にアプローチするという方法もあっただろうし、大学でちゃんと科学的専門知識を学んでから調査した方が該当の問題を深く掘り下げられるんじゃないかなぁ。今回のイラク入りが自らの名を売る為だったのならば別に構いわせんのだが。というより、誰も止めなかったのかいな、周囲の大人は。未成年を戦場へと煽動するなよな。

以上、あーだこーだと殆ど憶測で書き連ねてきたが、リスクを背負い込んで現地取材に赴いたであろうカメラマンの方は別として、残りの2人は純朴な献身意識・慈善思想・自己実現願望で突っ走った結果、起こり得るべくして起こった事件という感が否めない。そうした感情意識は当たり前ながら決して悪いものではないし、尊敬されるべきものである。だけど、退避勧告の出ている真っ只中に軽い気持ちで踏み入れて人質になり、多くの人に心配を掛けるのは正しい事とはいえないし、迷惑を掛けるだけだと思う。

なんだか各所で他人の書いた日記の類に目を通していると、時々「人質=悲劇の主人公」「政府・自衛隊=アメリカの手先となってイラクの人間を苦しめる絶対悪な存在」てなお花畑みたいな構図でヒステリックに喚き散らす内容のものがちらほら散見されて気分が悪かった為、したらば吾輩はと少し被害者にきつく書きましたが、勿論事件の早期解決、人質の無事救出とテロリストの検挙を強く願う次第であります。


2003年12月10日(水) ワンコインで満喫する大阪北東部バスの旅

数年前より、大阪の街には「赤バス」と呼ばれるちっこいバスが住宅地を縫うように走っている。これは、近年各地で続々と誕生しているコミュニティバスの一種なのだが、独特のフォルムに真っ赤な塗装となかなか個性的なバスである。その中身はどんな感じなんだろう、と実際に乗ってみた。

お天気は晴れ。抜けるような青空を綿菓子みたいな雲がふわふわ漂っている。絶好のドライブ日和の昼下がり。大阪拘置所近くの専用バス停に立つ。

今回乗るのは、京橋駅前から都島区役所・地下鉄野江内代駅を経て旧淀川沿いの毛馬で折り返し、再び野江内代駅・都島区役所を通って京橋に至る、という路線の復路部分である。この赤バスは車両台数を増やさずに本数を確保する為に一筆書きの一方通行パターンの運行が多いそうなんだが、この地区は人口が多い故か、幹線バスがある程度網羅されているからなのか、方向転換する毛馬地域以外は両側通行の路線である。バス停の時刻表をみると1時間に3本ないし4本が運行されていて本数も多い。その時刻表の下には赤バスの乗り方が掲示されている。このバス、扉が前方のひとつしかないので、お金を払うのは乗車する時なのか降車する時なのかどっちなんだろ、と不安だったのだが、この掲示のお陰で降車時に支払うことが判り一安心。

定刻から15分ほど遅れてやっとこさやって来たバスに乗り込む。予想外に天井が高いのと結構な本数の吊革がぶら下がっていることに少し驚く。座席数はざっと15席ぐらいか。乗客は5人。内訳は主婦と老婆が2人づつと大きな荷物を肩にかけた自重0.1tのむさ苦しい男が1人。

さて、見た目は米穀店の配達車みたいな感じの車両だが、実際に乗ってみるとやはりバスである。電光掲示板もあれば当然車内放送もある。だが、やはり普通のバスとは決定的に違うな、と感じるのは車窓からの眺め。そして、予想以上に路面の凸凹の様子が足下から伝わってくる。旅館の送迎バスと同じ様な乗り心地である。

バスはひたすらノロノロと決して大型バスでは走れないような狭い道をジグザグに突き進む。裏通りのゴミゴミした車窓がゆっくりゆっくりと流れていく。やがてバスは城北筋へ。すると、今まで続いてきた亀みたいな走行の反動とばかりに物凄い勢いで野江の街を疾走していく。都島本通を西に折れる。まだまだ快速走行は続けられる。車両が小さいだけに法定速度でもなかなかのスリルがある。その後、バスは再び都島区内の路地をクネクネと進みつつ細かく設けられた停留所で客を拾っては降ろし、区役所や京街道を経て京橋の降り口に横付けされ、約25分の小さなバス旅は終わりを告げた。

うん、思ったよりもいい感じ。運転手さんも毎回乗客がちゃんと着席するのを鏡越しに確認してから静かに発進していて非常に好感が持てた。今のところは本数も少なく迂回しまくりで速達性に欠けることもあってか、かなりの赤字が出ているようだが、大阪市にはこのバスシステムを地域のお年寄りの足として末永く育てていって頂きたいものである。そして、路地だらけで不便な場所が沢山ある我が京都市にもこうした新しい交通体系の構築を早急にお願いしたいものである。いや、その前に市バス〜市営地下鉄の乗り継ぎを大阪みたいなシステムにしてくれぃ。

<追記>その後、この路線の赤バスを何度か利用しましたが、朝・夕・休日とほぼ座席が埋まっておりました(正午過ぎに乗った一度だけは途中まで空気輸送やったけど)。このまま地域の足として根付いていくかな〜。


2003年05月24日(土) 湖国で燃えろ!!春季近畿地区高校野球大会(1)

春の高校野球を観に行こうと思う。春の高校野球、といっても甲子園で行われる選抜大会ではなく、6府県の上位校が頂点を目指す近畿大会である。この春季大会というのは勝ち進んでも全国大会が待っている訳でもなく、有力校は夏に向けた戦力の底上げを図る為に控え選手を中心としたチーム編成で試合に臨んだりするのであまり盛り上がりはしない。そんな大会ではあるのだが、半年前に秋の大会を初めて観たから今度は春の大会も観てみよう、というしょーもない動機と、個人的に好きなチームの試合がこの日に集中している、という理由で大会第1日を観戦すべく、目覚ましを8時にセットしておく。で、就寝。ほんで、起床。おー、いい天気だ。空が青いねぇ。ふと壁に掛かった時計に視線を転じると、短針は方位磁針でいえば北西、同じく長針は真南を指している。第1試合のプレイボールは午前11時。あと30分切ってるやんけー。

速攻で身支度を済ませ、11時台最初のバスに乗り込む。道は混んでいた。11時45分、山科駅前。ホームに上がって程なく新快速電車が滑り込んできたが、運悪く湖西線に乗り入れる列車だった。次の電車は12時03分発。案内によると、駅から試合会場までは徒歩20分。まあ、試合終盤のおいしいところは観られそうだなー、と思いつつ、柱に貼られた所用時分表を見て驚愕。彦根まで新快速で最速40分!!彦根って、守山のちょっと先ぐらいのイメージだったんだが、米原の一駅手前だったのね……。

重い足取りで電車に乗り込む。補助椅子しか空席がないという中途半端な混雑ぶりが追い打ちを掛ける。おまけに発車したら速攻でトンネルに入って景色は見えんは耳ツンは鬱陶しいわで踏んだり蹴ったり。が、大津で車両の端っこの4人掛けボックス席がごそっと空いたのでそこを占有してちょっといい気分。やっぱり車窓というものは誰もいないボックスシートを占領して、進行方向左側座席から眺めるのがいちばん贅沢だと思う。

よくよく考えると、東海道在来線を東へ向けて上っていくのはどえらく久しぶりである。つい5日前にも浜大津に行ったばかりだし、滋賀にはちょくちょく足を伸ばしているのだが、汽車に揺られて湖国を縦貫するのは、名古屋で連れを待ち合わせて下呂まで日帰りした99年のGW以来の筈。その丸4年ぶりの景色を特等席からたっぷり味わう。もっとも、車中から見えるのは殆ど水田と宅地ばかりではあるが...。

途中、石山から向かいの座席に座ったいかにも遊びまくってそうな風貌の女子高生が、下車する守山に近づくと髪を整え、ネクタイを締め、指輪やピアスを外し……、と席を立つときにはすっかり優等生ルックになっていたのに驚きつつ、12時43分、いよいよやって来ましたキャッスルシティ彦根。なかなかいい感じの駅前から、前日頭の中に入れた地図イメージを頼りに道を進んでいくと程なく照明灯のやぐらが見えてくる。後は道路の反対側に出ればいいだけなのだが、いちいち地下道を上り下りするのが面倒くさかったのと、お堀に沿ったこちら側を歩いた方が気持ちよさそうだったのでそのまま歩を進める。ほたら全然信号がありまへんがな...。歩道が車道よりも高いところに設けられているから自主的に平面横断も出来ない。結果、泣く泣く野球場を通り過ぎて数百メートル先の陸橋まで歩かされる羽目に。おまけに陸橋は進行方向とは逆さまのコの字型だった。うーん、もすこし余所者向けに案内表示を付けといてよ滋賀県さん。で、クタクタになりながら辿り着いた彦根総合運動場には、まだたっぷりと訪問者の足を収容可能な無料駐車場が実に広大に拡がっていた。電車賃だけで片道950円、夏の様な陽気の中を汗だくでここまで歩いてきた拙者の立場は...。

さて、私がさっきからどうしてこんなに余談に何行も費やして一向に観戦記に入らないのか、不思議に思っている人もひょっとしたらいるかも知れない。答えは簡単。こうしてゼェゼェ言いながらやっとこさ現地に着いた頃には終わりかけていたんですよ、ゲームが。入場券と大会パンフ(←秋にも同じ様な事書いたけど、高校生のクラブ活動の大会で計900円も徴収するか、高野連)を購入し、スタンドへの階段を上がっていたらワーワー聞こえてくる(その後、どんな珍プレーがあったのか判らんが、場内は何故か笑いに包まれていた)。急いで階段を駆け、スタンドに出てみるとスコアボードに「6」の文字が。シートに腰を据える間もなくバッターが凡退してチェンジ。大会第1日第1試合。天理高校対近江兄弟社高校。それまでずっとリードを許していた天理が8回裏に一挙6得点して試合をひっくり返したのだが、私はその大逆転劇が起きたまさにその直後にスタンドにやって来たのであった。ちくしょ〜!!

9回表、兄弟社の攻撃。相手の雑な内野守備エラーで出塁するも、後続が抑え込まれてゲームセット。実際に観戦した部分を記すとこれだけで収まってしまう...。う゛ぁ〜、天理の猛攻も観たかったし、近江戦で12奪三振したという兄弟社のエース松居くんの投球も観てみたかったよぅ。加えて、この雑記欄で「メンターム打線が天理投手陣に襲いかかる」とか「その後なかなか相手投手を打ち崩せないメンソレ戦士達」等と書く事を密かな楽しみにしてたのに...。

で、秋に続いてこの春の大会でも天理は鳴り物応援がありませんでした。あるのはお揃いの紫タオルを首に巻き付けたおばちゃん達の歓声ばかり。逆に近江兄弟社の吹奏楽部の皆さんが出塁時に天理風のファンファーレを吹き鳴らしておりました。嗚呼、そろそろ天理のブラスが聴きたいよう。試合終了後、♪てんり〜せ〜ねん〜 す〜すめわ〜れら〜、という懐かしい校歌(校歌兼天理教青年歌?だっけ)を耳にすると、ますます天理のマーチングバンドが恋しくなってくる。是非ともこの戦力、この勢いを夏の予選決勝まで保ち続けて久しぶりの甲子園での勇姿を、そして久しぶりの天理マーチを切に切に希望致します。


2003年05月23日(金) 湖国で燃えろ!!春季近畿地区高校野球大会(2)

インターバルの間に初めて訪れたこの県立彦根球場をウロウロと探訪する。テレビで観ている分には西京極を遙かに上回ってそうな構造物というイメージがあったのだが、実際のそれは思っていたよりしょぼかった。しょぼい、といってもNPBの試合なんかを誘致するには何も不足しないスペックを十分に持ち合わせている野球場ではあるのだが。まあ私個人が勝手に物凄く立派な球場と思い込んでいた分だけの落差がしょぼさを感じさせただけの話である。逆に言えば、西京極を過小評価し過ぎていた、という事になろうか。あちこち回っていたら尿意を催してきたのでトイレに行き、誰もいなかったのでついでに駅から早足で歩きまくっている間にすっかり汗まみれとなった顔を洗う。便所の水ながら、心なしか無臭で気持ちいい感じの水ですっきりする。それが琵琶湖のお膝元だから、ちょっと遠出してきたから、という先入観によるものに違いはないが、浄化された滋賀県民の下水が幾分か含まれていて、夏は墨汁の様な臭いのする我が京都府の水道水よりは確実に上質の水なんだろう。

さっぱりとした気分でスタンドに戻る。やはり春季大会というのは相当に人気がないようで、移動するにも困る程の観客はおらず、席が探しやすい。結果、バックネット裏中央出入口の真上という上等なシートをゲットする事が出来た。よっこいしょ、と尻を降ろし、周囲を見渡す。バックスクリーンの向こうには先程歩いてきた道路が走り、高さの揃わない駅前商業地のビル群がごちゃごちゃと建ち並んで少々うるさい。折角、国宝の彦根城が南西隣にあるのだから、どうしてセンター方向に天守閣が見える様な造りにしなかったのか不思議に思う。それだけで集客効果があるかどうかは判らないが、プロ野球や各種大会を誘致する際に球場の付加価値としてアピール出来る様な気がするんだが。

さて、間もなく試合である。第2試合は平安高校対比叡山高校、真宗本願寺派と天台宗の代理戦争である(んな事言ったら第1試合も宗教対決だし、京都の有名私学対決なんてみんな宗教対決だが)。ま、鎌倉大乗佛教系と密教系が、某巨大新興宗教とその敵対宗派みたいな険悪な関係にある、なんて聞いた事もないけども。ほぼ同時に一塁側と三塁側で坊主頭の少年達が合掌礼拝してグラウンドに駆け出していくのは清々しくもあり滑稽でもある。関西は坊さん系の強豪校が多いので見慣れた光景ではあるが、他地域の人からすりゃあ、ひょっとしたら奇妙に見えるかもしれない。

両校のシートノックが行われる。それにしても、平安の原田監督のノックは見ていて惚れ惚れする。堅守平安を象徴する試合前の一シーンだろう。そのノックの間、スタンドにはいつもの様に校歌が流れていたのだが、何故か平安の時にはそれが鳴り終わって暫く経ってから再び♪む〜ら〜さ〜きにおう〜 く〜もの〜か〜なた〜、とスピーカーから流れ出してきた。何故に一番が2回も(高校野球用に一番だけが入ったテープなんだろうけど)、どうしてそれを最後まで(機器操作の誤りで連続再生してしまったが、途中で止めると格好悪いので全部流した、とか?)という疑問を我々観客に抱かせつつノックが終了し、両校のボールボーイが仲良く放水ホースを持って水を撒く。グラウンドを綺麗に慣らしてくれた整備員の皆さんが撤収し、両チームの選手がダッシュの構えをしながら一列に並ぶ。それまで騒がしかった場内も急に静かになる。生観戦でいちばんワクワクする瞬間。が、一向に審判員の皆さんが出てこない。往々にしてよくある事だが、ワクワクした状態で静寂がずっと続くと何故かイライラしてくる。きっと自身に集中力がない故なのだろうけれども。そんなこんなでいよいよ試合開始である。

1回表、近畿大会秋春連覇を狙う平安の攻撃。おっ、京都大会でも上に勝ち進まないと滅多に来ない(何せ、この秋の近畿大会も地元開催にも関わらず決勝まで全試合やって来なかった)吹奏楽部が応援してるぞ。でも、同じ応援テーマなのにちょっと迫力に欠けるのが正直悲しい。まあ、京女や東山に京都学園といった府内各校の友情応援で質的にも数的にもボリュームのある甲子園大会のそれと比べてやるのは可哀想だけど。今日は鳴り物の応援があるからいつも声が嗄れるまでアカペラで応援している控え部員達はさぞ嬉しかろうと三塁側スタンドを見てみると何かいつもと様子が違う。あのお馴染みの特大赤メガホンを誰も手に持っていない。人数分のメガホンを用意すると移動時にかさばって仕方がないからなんだろうか、今日は荷室に楽器も入れんにゃならんし(ちなみに球場横には平安学園のバスが2台だけ停まっていた)。しっかし、青々とした坊主頭の少年の集団が音楽に合わせて一心不乱に手拍子しているのは少し滑稽な風景である。そんなこんなを観察しているうちに平安が先制、なお一死満塁。さあ、選抜八強の平安が大西投手の立ち上がりを攻め込んで一気に勝負を決めてしまうか、という局面であるのだが、平安の応援スタンドはしーんとしている。おいおい、ブラバンの連中はよチャンステーマ吹いたれやー。静寂のまま、プレーは続いている。何してんねん、早く、早くぅー。そうこうしている間に後続がファーストライナーでゲッツー、チェンジという最悪の展開に。この実に幸先の良くないスタートが、この日の試合の流れを決めたような気がしてならない。

さて、春の京都大会をエースの服部くんを温存して勝ち抜いてきた平安の本日の先発は背番号12をつけた日笠くん。三番手以降といえる番号を背負っているとはいえ、やはり強豪の投手陣の一角を担っているだけあって、なかなかいいピッチャーである。初回は危なげなく相手打線を封じ込める。しかし比叡山とてれっきとした強豪校、なめられてたまるかと早くも2回に日笠投手を捉え、二死満塁。続く長尾くんもヒットを放つ。同点打で済むと思われる浅めの当たりだったが、ライトがその打球処理に手間取っている間に二塁走者まで生還してしまう。堅守の平安らしからぬプレーにより、叡高が労せず逆転。以降、平安サイドからすれば走者を出しながらも得点には至らないという嫌なムードで試合が進んで迎えた5回裏。比叡山は馬場くんが大活躍。見事なセーフティバントで出塁しチャンスメイクしたかと思えば犠打で二進した後に三盗を決め、更にチャンスを拡大。彼の頑張りが呼び水となったのか、叡高打線はそこから3連打し2点を追加。6回には二死一三塁で二盗の間にあっさり本盗を決めて1点、7回には4番石暮くんがレフトスタンドに叩き込むという効率の良い加点の仕方で6−1に点差を拡大。8回に平安は2点を返して意地を見せるも既に時遅し。結局、終始比叡山のペースで進んだ試合はそのままゲームセットを迎えた。

この試合、本気モードで必死に勝利を掴みに行った比叡山が夏に向けて戦力の底上げを重要テーマとして試合に臨んだ平安に勝っただけ、という見方も出来るだろうが、私的には少し平安はこの夏大丈夫かいな?また昨年みたいに無様な負け方するんとちゃうやろか?という不安がよぎるばかりの試合内容だった。まずは投手陣。この日は日笠くん、井上くん、芝村くんという3人の3年生投手がマウンドに上がったが、全て叡高打線に打ち込まれた。失礼な物言いだが、例年平安以上に打線の非力さでの敗戦が目立つ比叡山の打撃陣に13本ものヒットを食らっている様では、昨夏の成美みたいなチームと当たった時にはちとやばいのではないだろうか。夏の連戦を勝ち抜く為にもエース服部くんを途中できちんと休ませられる控え投手陣の存在は言うまでもなく必須だろう。加えて守り。この日はあまりにもしょうもないミスが多すぎた。6回の本盗なんて、口があんぐり状態。京都一の守備力を誇るチームがこんなことをしていては、春の甲子園出場で慢心しきっている、と批判されても仕方がないだろう。そして何よりも打撃。背番号17を付けた1年生の池田くんがこないだまで中学生とは思えない様な三塁打を打ってその存在を大きくアピールした程度で他に特筆すべき様な事は何もなし。いや、各打者が別に不振だったという訳ではない。問題は、安打数は比叡山と同じながら残塁数11という見事なまでの打線の繋がらなさっぷり。強打者が揃っていてもそれが線にならなければゲームには勝てまへん。まあ平安からすればこの日は悪いところを全て出し切った、ダメ出しするにはちょうど良い試合内容だったと言えましょうな。各自課題を克服すべく、亀岡で地獄の練習頑張ってくれい。

反対にいいところがいっぱい出ていたのが比叡山。13安打4盗塁6得点、そして甲子園八強に対して3失点、と打って投げて走ってみんな大活躍。滋賀大会準決勝でライバル近江にコールド負けを喫して以降の暗いムードが一気に吹っ飛んだのではないだろうか。特に、打たれながらも要所を締めて相手打線を封じ込めた2年生バッテリーには大きな自信が生まれただろう。来年はチームを甲子園に導いてくれるかもしれない(今年は、と書きたいけど、今シーズンの近江は恐ろしく強いしなぁ〜・ω・)。


2003年05月22日(木) 湖国で燃えろ!!春季近畿地区高校野球大会(3)

さて、私は繰り返すまでもなくずぶの野球素人。上述した様な偉そうな事を書いてはいるが、半分以上は間違っているかもしれない。だが、素人の私でもこれだけは断言できる。この第2試合、応援の差が何割かは勝敗に直結している、と。あまりにも比叡山が元気で、平安が間延びし過ぎていた。

得点圏に走者が進塁しても三塁側からは一向にチャンステーマが流れてこず、平常時の穏やかな楽曲が延々と繰り返される事が多々あった。ご存じの方ならよく判ると思うが、またこの各回の応援テーマが本当にのんびりまったりしていて攻め立てている感じが沸いてこない。昔、平安の吹奏楽部員の人間から「よう負け試合でおっさんどもからお前らの吹き方が悪いから負けたんじゃ!的な罵り方されて困る」という話を聞かされ、流石は古くから理不尽な罵倒や暴動を繰り返す平安ファンやな〜(府の高校野球史にもその種の記録が幾つか残っている)、と同情したものだが今日は少しだけその様なオールドファンの気持ちも判る様な気がした。平安を応援している時には押せ押せの雰囲気に、平安の相手チームを応援している時にはひたすら胃が痛くなる、あの独特なチャンステーマがしかる時に流れていれば、場内が独特な空気になってひょっとすれば違った試合展開になっていたのかも、という気がしないでもない。昨夏の西京極では実際にスタンドの大きな後押しが勝負そのものに影響を与えていたであろうゲームが多々見受けられた。

その様な意味で、この日の一塁側は背番号のない選手達が本当によく実際にグラウンドに立つ選手一人一人を支えていた。予想通り鳴り物こそなかったものの(何せ皇子山での夏の決勝が行われている時すらないもんなここ、というか滋賀の学校はアカペラ応援ばっかだし)、大声で迫力があり尚かつレパートリーが豊富で実に飽きの来ない応援であった。7回の攻撃時でもまだまだ新曲が出てくるのには本当に感心した。基本的にベタな応援曲と甲子園を賑わす各校の応援テーマのパクリの連続だったが、口ラッパで奏でられるジョックロックや横高応援歌はなかなか新鮮だった。しっかし、実際に試合をしている相手である平安のチャンステーマを堂々と歌ったり、アルプス一万尺に併せてライバル近江のチャンス時と全く同じ様に「勝利は近いぞ、えっ・いっ・こうっ!!」とやってるのには笑った。いいものは気兼ねなく取り入れているからこそ、応援も楽しくなるんだろう。まあ、ネット裏に陣取るおっさんの野次が少々鬱陶しくはあったけれども(余談だが、2回に大西くんに死球を当ててしまった日笠くんに対し、このおっさんが謝らんかいこのヴォケ!等とどなったところ、日笠くんが帽子を取って改めて深々と頭を下げていたのが印象的だった―そして彼はその直後に逆転打を許す)。

そんなこんなで球場を後にする。

折角ここまで来たのだから彦根城にも足を伸ばしたかったが、平安の負けっぷりに精神疲労が激しく、時間も遅いのでまたの機会にして速攻で彦根駅へ。電車全くな〜い(実際には高槻まで各駅停車の快速電車があったが、んな鈍足ライナーに乗りたくなかった)。端っこのホームから発着している近江鉄道に乗ってみようと思うもこちらも20分以上待たねばならない。突如として襲ってくる空腹感。彦根市街にはなんなと食い物屋があれども悲しいかな既に改札を通ってしまった身の上。仕方ないので停車中の長浜行きにダッシュで飛び乗り米原へ向かう。

程なく右手に新幹線の試験車両らしき3種類の電車の展示が見えてきて米原着。見慣れぬ東海方面の電車が停まっている他は何もなく、相変わらず殺風景なところである。駅前に魅力的なところはこれといってない。近畿圏と中京圏・北陸圏のジャンクションとして鉄道・道路ともに交通の要衝ではあるが、こと米原の駅前そのものに特筆すべきものはない。実際の米原町内をじっくり堪能してみたいが、歩きではちとしんどい。そうこうしている間にもますます腹が減る。平和堂の軽食コーナーで取り敢えず空腹を満たしてもいいけれど、彦根にもあったし、醍醐・宇治・城陽と家の近所にもいっぱいある。何より平和堂は好きだけれども、遠路はるばるやって来てスーパーで食事する、ってえのは侘びしすぎる。かといってホームのベンチや車内のシートで独り駅弁を貪るのも恥ずかしい。駅蕎麦が無性に食べたいが基幹駅だけに構内の規模がでかく、汽車時代の名残で恐ろしく長大なホームを少しうろついただけでは見つけられない。そうこうしているうちに、新快速が入線してきた。これの次はまた暫く時間が空くのだろう。結局、何も果たせぬまま短時間で米原を去る。尿意が催してきたので車内トイレで用を済まし(今の新快の便所って扉も排水も自動なのね)、そのままトイレのある先頭車の前部の座席に腰を下ろす。電車は快走してあっという間に再び彦根へ。ホームには人が鈴なり。さっき見た顔もある。つまり、私が米原へ往復している間に京都方面へ向かう電車はなかった訳だ。

一気に満員となった電車は西進を続ける。車内はおっさんおばはんの会話で非常にやかましい。みんな野球の話ばかりしている。車内後方であるおっさんグループが大声でこんな会話をしていた。「スケジュールに併せてわざと負ける事もある。今日はそのケースや。」と。確かに、春の甲子園行きや夏のシード権を獲得したら次の試合で適当にダラダラやって敢えて勝ちに行かないチームは全国的にあるし、修学旅行と神宮大会が重なるから地区大会でわざと負けた、と噂されたチームもある。しかし、この時期で大事なスケジュールって何なんだ?ちゃんとした野球場で行われる(平安には亀岡に立派なグラウンドがあるのであまり関係ないかもしれないが、京都は野球場の絶対数が少なく、秋春の大会も序盤は各校のグラウンドで行われる状態なので球場を使った試合は非常に貴重な機会だったりする)公式戦より大事な練習試合ってなんぞや?他地域の強豪校が関西遠征に来るのか?で、平安関係者は自らが出場しているにも関わらず近畿大会期間中にわざわざ練習試合を組んだのか?

かような疑問を感じていると、別のおっさんがこう合いの手を入れた。「そやそや、あんな相手なんてこっちが本気でやったらコールドで楽勝や。」おいおい...。確かに今日は控え投手陣が打ち込まれたのが大きな敗因やろうけど、甲子園経験メンバーで殆ど揃えた打撃陣が叡高の2年生バッテリーに抑え込まれたのは無視かいっ!!更におっさん達はこう続けた。「広陵なんて高陽東に負けて中国大会すら出られへんかったんやろ。ワシらは甲子園優勝校よりは上やっ。」………。

阪神電車の車内で一部の熱狂的・狂信的タイガースファンを見ている様だ。この人達は野球のプレーそのものよりも、自分の贔屓球団や母校の勝ち負けや優劣ただそれだけを見る為に野球場に何年、何十年も足を運んでいるのだろうか。それとも、熱狂しながらもただの興業、ただのクラブ活動、と日本型野球を一歩引いた目で見ている私が冷め過ぎているのだろうか。それでも、私は中年になってもこのスタンスで純粋に野球少年のひたむきなプレーだけを見ていたいと思う。と書きつつも、まあ欲を言えば5年に一度くらいは我が母校の後輩達に甲子園のアルプスへと連れて行って欲しいけれども...。


2003年04月07日(月) 慣らし運転と巨大ショッピングモールと飛行場と

鉄腕アトム生誕の日。

春到来とはいえまだ少し寒さが残る平凡な昼下がり。お天気は晴れ。
納車当日にちょびっとだけ乗ったヴィッツたんの慣らし&練習勝手ら尼崎へ。

勧修寺から大津淀線で藤森を経て竹田へと抜け、南インターへ。見慣れた風景ながら何となく新鮮に感じる。ループ勾配をぐるっと半周して名神高速へと乗り入れる。うわっ、めちゃくちゃラクに走れるやんっ。排気量660ccの軽自動車と1.3Lの普通乗用車を比較する事自体がナンセンスだが、ミラで高速に乗ってた時はどうしても加速時にその非力さを感じさせられたし、走行中エンジンからは悲鳴にも似た音が聞こえてきたもんだが、当たり前ながら今度のヴィッツにはそれがない。チェイサーはあっという間に高速度域での巡航に達してしまってある意味怖いがヴィッツにはそれもない。加速に難あり、との評判だが、実に自分のペースでまったりと高速走行できるクルマだといえる。約40分で尼崎インター着。もう少しこの高速走行を味わいたいな、とすら思える名神処女走行を終える。

ところで何故唐突にこのアマの地へやって来たかというと、この新車の窓ガラスに撥水加工を当地の友人のやってる洗車屋さんにて施して貰う為。往復の燃費や高速代を考えるとそんなに得する訳でもないが、どうせするならやっぱりタダがいちばんだし、信頼できる人間にやって貰った方が安心だし、此度の相棒のお披露目もやりたい。そんなこんなでアマまでやって来たはいいが、クルマを預けてしまえば何もする事がない。過去に何度も来ているので周辺は散策し尽くしているし、そもそも何もない場所である。仕方がないので近くの駅まで送って貰い、福知山線で伊丹へと出てみる。目的はダイヤモンドシティ・テラス。

私は史跡や町並みを見て回るのも好きだが、ショッピングセンターをうろうろする事をそれ以上に好む。京都近郊は勿論、出掛けた先にその手のものがあれば大津だろうが加古川だろうが光明池だろうが足を伸ばす。てな訳で、尼崎北部を訪れて暇をもてあそぶとなれば必然的に行く先はダイヤモンドシティとなった。

伊丹の駅を出て立体歩道橋へ。うっわー、えりゃあ人ゴミ。いざ、その前方にそびえ立つ建物の中へと潜入。でかっ。外からみた感じでは最近各地でぽこぽこ建っている大型ショッピングセンターと大して変わらない気がしていたが、実際中に入ってみるととてつもなく巨大なシロモノだ。みていて壮観。欧米の大型ショッピングモールってのはきっとこんな規模なんだろなー、とふと思った。そしてどこを見渡しても人・人・人。始業式の日の午後とはいえ、老若男女がそこかしこにひしめき合っている。思わずつかしんに同情してしまう。ここも年月が経て老朽化し、近くに同じ様なモールが出来た暁には閑散としてしまうのかもしれないが。

そんなこんなで北から南へ、地上から最上階へとウロチョロしてみる。床の絨毯がなんとも心地良い。そこかしこに長椅子が置かれているのもグッド(余談だがテナントの本屋にも一人掛けの椅子が置いてあった)。30代の子持ち女性がターゲット、と開業当時のニュースで言っていたがこれなら年齢層問わず集客しているのもうなずける。通路には小物を扱う屋台が出ていて博多のキャナルシティを彷彿とさせる。兎に角物凄い活気がそこにはあった。

が、活気があまりにもありすぎてひどく疲れちまったよ。人が多すぎて自分のペースで歩けない。物凄く空腹なのにどこも激混みで食事にありつけない。まだジャスコ部分が未見ではあるが、僅か半時間の滞在でヘロヘロになりながら駅へと戻る。

さて困った。まだクルマを取りに行くには2時間ばかり早すぎる。残り時間をどう活用したらいいもんかいな。近所の武家屋敷?それとも梅田か三宮に出る?あれこれ思案していると頭の上をジャンボジェットが通過していった。そうだ、空港へ行こう。Let's go KUKO. ジャン、ジャン♪愛っを捨てっないでぇぇ〜

ところで飛行場へ行くと決めたはいいけれど、行き方が皆目検討つかない。漠然と頭の中に地図を描いてみても池田・豊中との境目にあるから駅の東にある、という事しか判らない。歩いたら結構遠いだろうな、でも川西か梅田から乗り換えて蛍池に出るのも馬鹿らしいしなぁ、それならタクシー使った方がいいかも、そーいや尼崎からエアポートリムジンがあったような...、とふと路線バスの存在を思い出した。確か、JRか阪急のどっちかの駅と飛行場を結ぶのがあった筈……。

果たして、駅舎の階段を降りてバス乗り場に向かってみるとでっかく「空港ゆき」と書かれた看板があった。しかし、停留所の表示を見てみると阪急伊丹へ行くのか大阪空港に向かうのかよく判らない。ん、ひょっとしたら道路の反対側のバス停かな?でも空港って確かに書いてあるしなー。詳細を路線図で確かめようとしたところでバスが滑り込んできたので思わず乗る。結果、それは数百メートル先の阪急の伊丹駅へと走るバスなのであった。がーん。

数分後、本日もご乗車ありがとねー、てな旨のありきたりな終着アナウンスが流れる。うわー、200円損したぁ。これから往復するとしたらバス代600円かよ、と妙にセコい悲しみが全身を襲う。うーむ、何とかせねば。「あのー、このバスって空港には行きませんよね?」としらじらしく運転手さんに尋ねてみる。すると「そうですね、このバスは次が終点ですし。乗り間違えですか、そしたらこのバスは折り返しで空港行きになりますんで降りはった場所で10分程待っといて下さい。」と即答で返ってきた。有り難う、運転手さん。ちなみに復路に乗ったバスの運転手さんも非常に愛想が良かった。発車時刻も電波時計できっちりゼロを刻んだのを確認していたし(両方とも運転席の後方の座席だったのでよく見えた)、全国的、いや今や国際的に評判の悪い我が街の公営バスとはえらい違いである(誰じゃ、伊丹だって某容疑者を排出してるやん、とか言ってる奴はっ)。

震災ですっかり変わってしまった駅とその周辺を眺めて前述の運転手さんのバスへと再度乗り込む。どうやらこの系統、阪急伊丹から伊丹空港を経て阪急伊丹へと戻る循環型の路線らしい。ほたらあそこに「空港ゆき」の看板出すなよ、と自分のそそっかしさを棚に上げていると懐かしいJR伊丹に。ところがバスは減速する事もなく駅前を通過。はて、駅だから拠点停留所扱いなのかと思ったらえらい冷遇されてんのね、等と駅舎を眺めているとバスがいきなり右折して車庫の様な場所(発車待ちらしいバスが数台停まっていた)に突入。えっ、と驚く間もなくその場でバスは転回して左折し、私がさっき乗り込んだバス停でお客を吸い込んだ。なるほど、こういう仕組みだったのかー。普段利用している人々はいちいち道路を渡らずとも阪急伊丹or伊丹空港ゆきのバスに乗れて便利だけども、余所者にはちいっと判りにくいような気もする。もう少し案内表示を増やしてちょんまげ。

猪名川を越えて東へ進み、飛行場の地下をくぐった後、阪高池田線の高架沿いに北上したバスは伊丹駅を出てからきっかり25分後にターミナルビルの前に到着した。親切な運転手さんに丁重にお礼を言ってバスを降りる。うーん、何もかもが懐かしい。国際線ターミナルが全日空系列のターミナルになり、目の前にモノレールの駅が出来た以外は殆ど変わっていない。流石に旧国際線ターミナルの免税店や外貨両替所はなくなっているが、ガラス張りのレストランや旧国内線ターミナルの土産物店等は昔のまんまである。はしゃぐ心を抑えつつ、暫く建物内をウロウロしてからおもむろにエレベータで屋上に向かう。

空港展望台。幼い頃、海外出張に赴く父を見送りに幾度となく訪れた伊丹空港の展望台。当時とは少し場所が違うが(確か国際線ターミナルの寂れた階段を上がり、途中にある機械に50円玉を放り込むと金属のバーが回転して屋上に行けた)、目の前に拡がっているのは紛れもなくあの頃に見ていたのと同じ風景である。ますます心が弾んでくる。やっぱり自分が旅客機に搭乗するよりも、童心に返ってヒコーキを間近で眺めている方が何万倍も楽しい。滑走路をフルに走ってからおもむろに飛び立っていく小型機があるかと思えば、離陸姿勢に入ったかと思ったら一瞬ですっと空に上がるジャンボ機があったりと全く飽きが来ない。1km程先にある消防署の全車両がいきなりヘッドライトを点灯し回転灯をピカピカ光らせ出して“なんじゃ、燃料切れかなんかのトラブル機が急遽ここに着陸するのか?!”と思ったら数分後に何事もなかった様に消灯するのもあの時のまま(これ、一体何なのかご存じの方がおられましたら是非ともご教示下さいませ)。繰り返しになるが、本っ当に何もかもが懐かしい。私は以前ここで書いた様にKIX開港したからには伊丹廃止、神戸建設などもってのほか、という考えだが、やっぱり伊丹残しとくべきかも、とさえ思えてくる(まあ、我々京都人からすりゃそもそも伊丹の方が遙かに便利な訳なんだけども)。

そんなこんなで航空機の離発着や貨物の搬入作業、給油作業に牽引作業をひたすら眺め、あっ、レインボーセブンや、えらい油膜だらけの窓やなー、めっちゃギラギラしてるやん、とか思っていたらあっという間に90分以上が経過し、クルマの受け渡し時間に大幅に遅刻したのでありました。やっぱり時間潰しってえのは手近なところで程々にしとかにゃあきまへんな。


2003年03月30日(日) うぇぇ〜ん、またクレしん映画に泣かされちまったよぅ

くそぅ、いい作品作りやがってぇ、原監督め...。

毎年、この春の番組改編期に次回作の宣伝も兼ねて放映している『クレヨンしんちゃん』の劇場版。昨年に公開された『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』が大評判だったので、録画しつつ鑑賞する。

いつもこの時期に何気なくテレビを付けていると1年前の映画版作品をやっているので幾つか観る機会があったが、クレしん映画は私的には本当にハズレがない。特にここ3年間は素晴らしい出来になっている。2000年の『嵐を呼ぶジャングル』では物凄いアクション描写と男に生まれたからには誰もが一度は通るヒーローへの憧れをたっぷり練り込んだストーリーに涙し、翌2001年の『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』では物がなくても希望があった過去の時代に夢を見続けている悪役に共感しつつ、いま現実の世界に希望を見い出し必死に未来へと生きようとする野原一家の姿に号泣(これ、30代後半以降なら絶対泣くと聞いてたのに78年生まれのおいらですらわんわん泣かされた)したワタクシ、当然この『戦国〜』でも涙が止まりませんでしたよ。

身分の違いに阻まれた悲恋モノのストーリー、劇中での車に馬がどんどん引き離されていく場面や合戦前夜に庭の木から花が次々と落ちていく場面などの暗示的な描写、泣く映画という評判からしてこの作品の準主役である又兵衛が命を落とす事は予想できたものの、まさかあんな風にして亡くなるとは...。命の儚さをまざまざと見せつけられた気がする。又兵衛が息を引き取る間際に受け取った脇差しで金打(きんちょう)するしんちゃん、現代に戻った後に「あっ、おまたのおじさんの雲だ」と空を見上げる野原家族、天正の地で同じ様に涙を流しながら空を見やり、「おい、青空侍」とつぶやく廉の姿で締め括られるまでの数分間は涙なしでは観られない。そして、クレジットとともに流れるダンス☆マンの「♪遠く遙か向こうずっと見つめてる君は何を探しているの……」という歌声にまた涙が止まらない。けれど、悲しいながらも実に爽やかというか、清々しいというか、重苦しく終わらないところが唯一の救いといえるのではないかな、と個人的には思う。

それにしても、この映画、恐ろしい程に時代考証がしっかりと為されている。特に合戦シーンは見応え十分。畑を荒らして相手を挑発したり、鉄砲・弓矢に続いて投石で攻撃したり、竹垣でそれらを防ぎつつじわじわ進軍したり、日が沈んだら引き上げたり、と当時の戦ってえのはこんな感じやったんやろなー、と思わせる描写と迫力ある動画にただただ圧倒。しかも、お子様に配慮して敵兵を殺すえげつない場面は極力フレームアウトして声だけで表現している。この一連のシーンは近年の大河ドラマ以上と言っても過言ではない。その他にも、廉が水を飲む所作であるとか、手を振ってお付きの人間から「はしたない」とたしなめられるくだりで姫から目をそらす家臣であるとか、城郭の構造とか、兎に角リアリティがありまくりで本当に感心した。

時間移動の描き方も秀逸。しんちゃんが文箱を埋める事によってはじめて他の家族が天正2年にやって来る事が出来る、というのは無理がなくていい。最後に野原一家が元の時代へ戻っていく様子も見送る廉の表情ひとつで表現されているのも素晴らしかった。元々落命する運命にあった又兵衛がしんちゃんに命を救われながらも結局は亡くなってしまうという歴史改変モノの王道を取りつつ、又兵衛に大切な人と国を守る働きをさせる為にやってきた存在であるしんちゃん達がその又兵衛の死によって現代に帰れる事になる、という設定もこじつけ臭くなくてとても良かった。

ギャグ漫画の映画にも関わらずあまり爆笑する場面のないこの作品ではあるが、ちゃんといいタイミングでテンポ良く笑かす所を挟み込んでクレしんらしさを保っているのも流石。敵の本陣で刀と間違って手にしたボディブレードでの一撃、続いて股間への頭突きで敵の大将をノックアウトさせるシーンには腹を抱えて笑い転げた。やっぱり喜怒哀楽全ての要素が詰まっているからこその『クレヨンしんちゃん』だと言えるだろう。そしてクレしん作品全般の根底に流れ続けている家族愛。「しんのすけのいない世界に未来なんかあるかっ!!」と方法も判らないのにすぐさま過去に行こうとするひろし、敵将に斬りつけられる我が子を捨て身で守るみさえ。家族の大切さ絆の重さを決して説教臭くせずに受け手に伝えているのも好感度大。「おじさん、偉いんだろ。おじさんのせいでこんな事になったんだぞ。それなのに逃げるのか?」のシーンは是非ともフセインとブッシュに見せてやりたいもんだ。

いやー、しっかしホントにいい映画っす。個人的にはしんちゃんがいつものキャラでちゃんと大活躍する前作の「オトナ〜」の方が好みだけど、この作品もとてもイイ!!批評サイト等をあちこち見て回ったら“別にクレしんでやらなくても”的な感想をちらほら散見したけれど(中には実写で出来る、というのもあったけどコレの合戦シーンを実写で出来るだけの予算が今の日本映画界にあるんだろうか?)、やっぱり適度にギャグが挿入されていて、しんちゃんがいつもの様にバカやったり悪者に啖呵切ったりするからこそ、重くなりすぎずに爽やかに笑って泣ける映画に仕上がっている様に思う。ま、この作品は間違いなく臼井儀人さんの『クレヨンしんちゃん』ではなく、『クレヨンしんちゃん』の枠組みを使った原恵一さんの時代物活劇ではあるけれど...。

そんなこんなで、録画しておいたのをもういっぺん頭から観ると更に泣ける泣ける。初見の時には何とも思わなかった、廉の握った塩の利きすぎた不格好なおにぎりを又兵衛が誰が握ったとも知らずに口に放り込む場面でもう嗚咽。ひろしから未来の話を聞いた春日城主が乱世の虚しさを悟るシーンで、結局はこの後に野原家族が活躍したところで廉の想いや願いは成就しないしこの春日という国も少し延命しただけでいずれは消滅するんだなぁ、とまた涙。しかしそういう悲しさ切なさと同時に、日本の先人達が築き上げてきたものの大切さ、日本人の持ち合わせてきた心意気、ぼーっと青空を眺める事が出来るのがいかに幸せであるのか、という事を教えてくれた様な気がした。子供にとっちゃあ難解で悲しいだけの映画かもしれないが、きっと何かを感じ取ったに違いないと願う。『フランダースの犬』をはじめ、子供向けでバッドエンドな作品がそれに接した子供に好影響を与えた例だって幾つもあるんだし。

ところで、クレしんって未だに“子供に見せたくない番組”の上位なんだってね(逆に見せたい方は『ドラえもん』や『サザエさん』等だそうな)。一応、今作品は文化庁メディア芸術祭大賞をはじめとして色々な賞を受けている様だけれども、それでもやっぱりPTAを牛耳るザマス眼鏡をかけた厚化粧なおばはん(←こんなステレオタイプな奴はそうはおらんとは思うが...)どもは「こんなお下品なの観ちゃ行けませぇぇぇ〜ん」とかやってるのだろうか。んなテレビアニメの影響をずっと受け続けながら大きくなる奴なんざいる訳ないし、悪影響とされるものから隔離された子供がどんな風になるかを考えた方が怖いし、第一に親がちゃんと躾してりゃ済む話だし(つーか、作品中でみさえは毎回げんこつ食らわせたりして悪い事はダメとやってるし)、そもそも原作は大人視点から見た子供の行動を描いた話が主であってその辺のガキが自然にやってそうな事をデフォルメしてるだけなんだから目くじら立てる程のもんでもないと思うんだが(親の立場だと捉え方は全く違ってくるだろうけど)。もし、今現在でもクレしんは害悪!とかやってる人がいたら、その人は恐らく中身を見ずに表層的なところでしかものを見る事が出来ない可哀想な人なんだろなぁ、と思う。

ところで、クレしんって現在40ヶ国以上でテレビ放映されているらしい。世界各地(たぶん規制掛かってる国もあるやろうけど)でガキが「ぞぅさん」とか「ケツだけ星人」とかやってるのかなぁ...。


2003年03月20日(木) イラク開戦(1) 妄想正義VS恐怖独裁――正しいのはどっち?

いま、こうやってキーを叩いている間にも次々と人命が奪われている、と思うと本当にぞっとしますな。一刻も早く終結へと向かって欲しいもんです。サダムとジョージ、はっきり言ってどっちもどっちだが、圧政で苦しんだ挙げ句に爆撃で更に苦しめられるイラクの一般市民が気の毒すぎてならない。

しっかし、アメリカの突っ走りっぷりはえげつないな。イライラ戦争の際に兵器類を供給しといて、いざイラクの軍事力が強大になりすぎたらそれを徹底的にぶっつぶしにいく。で、石油利権や軍需産業の在庫一掃セール&新兵器見本市の為に多くの非戦闘員が巻き添えで殺されていく。まるで日本国内で道路を整備するのと同じ様な感覚で安易に戦争をしかける。戦争なしではやっていけんのだろうか、あの国は。

他方、イラクはといえば、クウェートに攻め込むは、クルド人を虐殺するは、国民に言論の自由は与えないは、と独裁者による恐怖政治が延々と続き、幾度となく出された国連決議を徹底的に軽視。アメリカの国連無視も大概だが、イラクの側も自らの態度によって戦争に突入すべくして突入した感が強い。フセイン大統領がどっかへ亡命さえすれば戦争は回避され平和的に解決できたのに、結局は自国民の命を危険にさらす道を選んだ。逃亡もせず、かといって最近の国連査察を拒みもせず、という態度はちょっと不思議だが、ひょっとしたらフセイン大統領は亡命後にメリケン人による一方的な国際手配・軍事裁判を受けるぐらいなら徹底抗戦をした挙げ句に自らの死をもって戦争を終わらせ、歴史上の英雄になるつもりなのかもしれない。

それにしても、この戦争はどのようにして終焉を迎えるんだろう。イラクにはまともに反撃できる航空戦力なんてないだろうし、そもそも力の差は歴然とし過ぎている。でも、これだけ国際世論が反戦ムードに傾いているんだし、長期化すればアメリカは不利になるだろうなぁ。長引いて数十人ぐらい戦死者が出れば、アメリカ国内の「正義の戦争」だと信じ込んでいる層も掌返した様に反戦を叫び出すやろうし。そうなれば実質の勝者はイラク、という感じになるのかもしれない。国連決議を途中で放り出し、イラクに“存在するであろう”大量破壊兵器を使わせない為の先制攻撃で、デイジーカッターみたいなおっそろしい兵器をバンバン使用したら、それこそアメリカは世界を敵に回す事になるだろうし。

ただ、何となくアメリカは迷う事もなしに生物兵器なんかも含めた破壊兵器を使用しそうな気がする。湾岸戦争時のオイルにまみれた鳥の映像の件を考えりゃ、自分らで使ってそれをイラクがやった事にする情報操作なんて、少なくともアメリカ国内では容易そうやし。で、それを元に「ほれ、やっぱり向こうは大量破壊兵器を持っとったやんけ、国連もフランスその他も黙って俺の言う事聞いときゃいいんじゃっ!!」とこの戦争を正当化しそう。でも、例えそうなったとしても、誰もアメリカの暴走を止められやしないんだろうなぁ。ぶっちゃけ、アメリカVSその他の国連合で戦争やったってアメリカが勝利しそうだし。地球外生命が侵略してこない限りはこれからずぅっーとアメリカの世界支配が続いていきそうだなぁ。

まぁ、そんなこんなでこの戦争が終わった暁にはイラクにアメリカの傀儡政権みたいなのが誕生するんだろうけど、国内がきちんと民主化されれば結局はそんな親米政権はいらない、とあっさり次の選挙で引きずり降ろされて親イスラム政権が樹立される様な予感がする。もしもそうなったらアメリカはまたまたイラクを攻めに行くんだろうか。中東でアメリカンスタンダードが通用するとは思えないし、ずっと現在の様な状況がループしていくような気がする。

で、まあ我がニッポンはアメリカの攻撃を支持っと。ちょっと納得はいかないけど、仕方がないわな。所詮、我々の住む国はメリケンさんの属国なんだし。現在の平和な生活がアメリカの傘の下にいる事によって守られている以上、アメリカ追従しか防衛力もエネルギーも乏しい日本には選択肢がないもんね。この戦争、どの国も利権や戦後の経済効果といった損得勘定で賛否の態度を決めているんだし、感情や倫理を捨て去って日本の国益という一点で判断すれば、英米の後押しをしといた方がいいに決まっとる。ただ、犬みたいにアメリカ様にしっぽ振るだけじゃなくて、国連の場で「大量破壊兵器を有しているであろう国にはっきりとした態度を取らなければ、今後も幾らでも付け上がる国が出てくる」と、我が国には隣に脅威が存在しているからこそ敢えてイラク攻撃に賛成する、ってな旨の主張をしっかり国際社会に訴えておいて欲しかったな。この戦争の間にお隣の構って貰いたがり屋さんな国家元首がアメリカとの瀬戸際外交を展開する為にミサイル打ち込んでこないとも限らないんだし。

とはいいつつ、やっぱりこの戦争というかアメリカの態度には納得がいかない。だって、当たり前といっちゃあそれまでだけど、パレスチナでやりたい放題やってる国家にはいっさい正義の鉄槌を下さないんだもん。一方的に悪者扱いされてミサイルを撃ち込まれ続けられる国がある一方で、何やっても許される国があるのは如何なものか。


2003年03月19日(水) イラク開戦(2) お祭り感覚の“反戦運動”に思うこと

アメリカの中枢にいるネオコンサバな人達はどうか知らんが、誰だって戦争なんて好きじゃない。無関係なイラク国民が死んでいくのを喜ぶ人間なんていないに決まっている。はじめにその点をご理解頂きたい。

世界中で反戦運動が拡がっている。当事者であるアメリカ国内やアラブ諸国で大規模な反戦の動きが起きるのは当然なんだけど、この日本で行われている反戦デモには私は不快感しか抱かない。

国際社会がアメリカの暴走を阻止できないで実際に戦争へ突入してしまった今、日本の街角で反戦デモをやったりアメリカ大使館・領事館の前で集会したりするのに何の意味があるんだろう。戦争の早期終結を望むのならば、フセイン大統領の退陣要求ももっと声高に叫ぶべきなんじゃないだろうか。確かにアメリカの尊大な態度は目に余るが、長期間に渡って国連査察を妨げ続け、結果として戦争を引き起こしたイラクが一方的な被害者だとは私は思わない。“罪のないイラクの子供を殺すな”という人々はイラクの現政権をどう思っているのか。今回のケース、もしも国連決議によって事が進み、国連軍がイラクを攻撃したとしても“罪のない……”という抗議を国際社会にするのだろうか。戦争で無関係なイラク国民が犠牲となるのは心苦しいが、現政権が存続する事によってこれからも危険分子と見なされた人が虐殺されたり、経済制裁による物資不足で満足な治療が受けられずに多くの人々が亡くなっていっても構わないとでも言うのだろうか。この数年間、イラク他の独裁国家に抗議する類のデモや集会なんて少なくとも私は一度も見た事がない。

そもそも、我々の住む日本が平和なだけで、世界では至る所で内戦やら紛争やら小競り合いやら虐殺やら弾圧やら核実験やらが絶える事なく起こっている。それらに対して全く抗議の声を挙げなかった人がいざイラクで戦争が起きたら声高に反戦を叫ぶのは噴飯ものだと私は考える。いま相次いでいる遊園地の閉園や鉄道の廃線なんかで今頃になって存続を求めている人々(常日頃利用してきた人々を除く)と何ら変わらない。別に安全な日本でやらずに現地でやれ、とまでは言わんが、メディアで大々的に取り上げられる段階になってから声を大きくしても何の説得力もない。

上の方で私は日本はアメリカの属国だから後に歴史に断罪されるであろうが今回のイラク攻撃支持は残念ながら仕方がない、という様な事を書いた。ひょっとしたらこれに反発する人もいるかもしれない。でも、敗戦以後、ずっと自分たちの身の安全をアメリカに守られてきたのは事実だし、自国の防衛問題を語る事そのものがタブーみたいな雰囲気でここまで日本が来たのもまた事実。アメリカに頼らずにやっていくには不本意でも軍事力を増強していくしかない。反戦運動の中でも日本のアメリカ支持に反発している人達は憲法9条の改正を願っているのだろうか。それも反対と言うのならそれは間違いなく平和ボケというものだろう。

繰り返しになるが、アメリカの軍需産業や復興関連産業の中枢はどうか知らんが世界中の誰もが殺し合いなんて望んでいないに決まっている。今回の戦争に至っては表向きの理由なんて取って付けたものと皆判っているし、フランスその他の反対派も人道的見地からの理由からでないというのも判っているから余計に虚しさが強い。始まってしまったからには早期終結を願うのが普通の感覚と言えよう。でも、少なくとも日本国内で行われている多くの反戦運動は何かが違う。何故この戦争が起きているのか、という問題意識がすっぽり抜け落ちているのでは?と思えて仕方がない。いざ戦争が始まってしまったいま、訴えるべきは「戦争反対!!」みたいな綺麗事ではなく、どうすれば武力なしにイラクに国連決議を遵守させられるか、という具体的な問題可決の方法ではないかと強く思う(私自身は反戦運動するならアメリカに攻撃中止を呼びかけるとともにイラク側へフセイン一派の亡命+無条件査察の受け入れを即刻やるべし!と抗議行動するくらいしないと全く説得力がないと考える)。具体案のない、ファッション感覚の反戦運動は我々の目に見えにくいところで日々起きている圧政、それに伴う虐殺や餓死を間接的に支持しているのと同じじゃないだろうか。

まあ、なんだかんだ書いてるけど、私自身はテレビに映る反戦運動の映像にチラチラみえるお馴染みの各種団体ののぼりに強い拒否反応を起こしているだけで、実際には感情論ではなく冷静な捉え方による反戦運動もきっと各地で起きているんでしょう。全てがテレビで報じられている様なアメリカ領事館の前で地べたにしがみついたりしているバカ丸出しの反戦運動・集会ではないと信じたい...。

しっかし、北朝鮮問題が大きく取り上げられていた頃にはずっとだんまりを決め込んでいた人々が急に元気付きだしましたな。一部を除いて日本人は幾ら何でもそこまで民度は低くないぞ〜。ま、速攻でそれらの層の扇動に踊らされている人も少なからずいはりますが...。


2003年03月10日(月) 広島で民間出身校長が1年持たずに他界

尾道の高須小学校で、同校の慶徳校長が首を吊って亡くなっているのが発見されました。ポータルサイトのトピックス欄に「民間出身の校長が自殺」ってなタイトルがあったのを見た時にたぶん広島やろな、と思ったらやっぱり広島でした。これで何人目なんやろ...。

広島、特に県東部は「狼と七匹の子やぎ」とかひな祭りのひな壇なんかが“みんな仲良く”という理念に反するとして否定されたり、終わりの会で児童同士で批判合戦をさせたり、と色々と凄い話しを結構耳にします(実際に見た事ないので誇張されすぎなのかも知れないけれども)。恐らく、この校長先生も同県生まれで地元銀行出身なのだから、該当地域がどういう土壌であるのかを重々承知された上で赴かれた筈。それでも1年持たずに命を絶たれたという事は当地は相当酷い状況なんだろうな、というのが余所者の私の素朴な感想です。

それにしても、ここ数年で私が覚えている同県名物ゾク関係や先日の中川家関連を除いた広島発ニュースを挙げてみれば、養護学校長の自殺と見られる突然死、韓国謝罪修学旅行、美人教諭一家神隠し後ダム湖底で発見事件…、と教育関連の暗い話題ばかり。もうひとつ、小学校でウサギが大量惨殺された事件があったなー、と思ったら今回の高須小での事件でした。これは絶対に何かがあるぞ。近畿圏外に在住の方にはあまりピンとこないかも知れないけれど、これらの事件・出来事や広島という地域属性を絡めていけば自然と幾つかのストーリーが脳内を流れていきます。同じ様な印象を持っている人は決して私だけではないでしょう。

話は変わって、この事件の続報で、この校長先生は自分の挨拶に返礼しない教員らがおり、先生達に自分の思いが伝わらない、先生達の考えが判らない、と市教委やPTA役員に相談していて、投薬による鬱治療を受けていた、というものがありました。これが原因のひとつである事はほぼ間違いないでしょう。運動会の後片付けを校長ひとりに押し付けていたという情報もありました。私的にはどうしても、着任早々に職員会議で吊し上げられ、事ある毎に教員達や外部団体に一筆書かされて最後には卒業式の国旗国歌問題を苦にして自殺してしまった4年前の世羅高校石川校長先生の一件が重なって仕方がありません。勿論、放り込んだ後は現場の事態を予想出来ながら、教頭が二人立て続けに休職するという異常事態になっても殆どフォローをしてこなかった県教委・市教委の責任はかなり重いけれど、校長を死に至らしめるまで真綿で締め上げる様にして追い込んだ一部の排他的教員の罪は同じ様に重い。

それから、のおはなし。翌11日に広島県教組(日教組から分離した県全域で40%の組織率を誇る組合だそうな)が「民間人校長の拙速導入反対との申し入れを無視した結果、校長を死に追いやった」なる旨の抗議文を県教育長に提出、あくまでも民間出身校長のメンツにこだわった県教委の姿勢を批判しました。なんだかなー。失礼ながら、“我々の縄張りを侵す者には容赦しない”てな感じで個人的には受け取ってしまうんですが。まあ、校長をいびり倒したと思われる(←現時点では全く証拠はないけれども)教員が全教系の組合員やどこにも属していない人間である可能性、自殺の要因が教員以外のものである可能性も大いにあるかも知れませんが、まだ亡くなられた校長の初七日どころかお葬式も済んでいない段階で、弔意も哀悼の意も示さず県教委に抗議するという政治的行動を行っているのは如何なもんなのかと強く思います。

で、まあ広島・自殺(変死?)・卒業式という三点が揃うからには国旗掲揚・国歌斉唱も当然絡んでくるんでしょうが、なんでこんなもんで人が大勢命を落としたり身体を患ったりしなくちゃいけないんでしょ?私自身の国旗・国歌観なんて、日の丸はシンプルだなぁ、君が代は歌詞はよう判らん(強いて言えば“永遠の愛”がテーマかな)しメロディは陰気くさいし息継ぎしにくいなぁ(というか、学校の音楽の授業で習った事ないし、聞く事は多々あれど自身が歌った事なんてないや)、という程度。何故にちょっと入学・卒業式で日の丸掲げて君が代鳴らす(しかも歌う人少ない)程度の事に膨大なエネルギーを注ぎ込むのかなぁ。強制する側はこんな事よりも学級崩壊やらエロ教師やら抱えている問題への対策をもっと練るべきだし、抵抗する側も式での国旗・国歌ごときでライトウイングな道に突っ走る奴なんてまずいないんだし、いちいち精神の自由の侵害とか騒ぐ必要もないと思っちゃうんですが。こと、広島に関して言えば、君が代を一緒に歌った先生が授業から外されて何ヶ月も反省文ばかり書かされたり、国旗を掲揚しようとする校長・教頭を独裁者呼ばわりしたり、と反応が異常過ぎやしないかと思います。それに、教員が自らの思想信条に基づいて日の丸を掲げさせない、君が代を歌わせない、というのも生徒に対する立派な強要だと思うんですが……。普段、人権や平和の大切さをこれでもかと叫んでいるにも関わらず、結果として校長を板挟みにして苦しませて殺す人達の教育理念ってどういうものなのか知りたくて仕方ありませんし、挨拶もまともに出来ない教諭に教えられる児童が可哀想でなりません。

それにしてもこの事件、広島教育界の特殊性もさることながら、メディアのスルーっぷりもかなり異常だと感じますな。また広島で校長が自殺、という事でどんな報じられ方がされるのかな、と思ってテレビをじーっと観ていても、ちょろっと流れるだけ。Nステにチャンネルを合わせていたら一向にやらないでスポーツコーナーへ。なんじゃこりゃ、とN23に変えてみると「校長はどうして自殺したのか」という風なナレーションと共にジングル。おっ、恐らく反文科省的視点で否定的な報道しかしないと思っていたのに流石は23、事件背景に切り込んで本格的にやるんやな、と思ったのも束の間、フラッシュニュースの中で少し触れられただけというその他のニュース扱い(というかニュースバードで観たのと同じ事実報道のみ)。うーん、やっぱ筑紫さんは何年か前に(中略)から踏み込めんのか...。公的機関が腐敗した時にその状態を皆に伝えるのがメディアの崇高な役割だと思うんですが、この国のメディアもやっぱり腐りつつあるんだな、と再認識した次第でございます。消費者金融のCMはバンバン流せても深刻な問題提起はやらないしある種のタブーには決して突っ込まない、と。みんな自分がカワイイもんねー(かくいうワタクシメも決して人の事は言われへんが...)。

妄想混じりの私の戯れ言はさておき、この件、県警や県教委、そして文科省は絶対に真相究明して頂きたいと強く望みます。これ以上犠牲者が出ない為にも徹底調査して教育現場の膿を除去して欲しいもんです。

最後に、亡くなられた慶徳和宏校長先生のご冥福をお祈りいたします。   合掌


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