再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 結局のところ。。

集団に翻弄されただけの夏以降であった。
疲れた。疲弊。神経衰弱。
こうなってみてやっぱりさまざまな機会をもらったことに強い感謝はあれど、
やっぱり個人は殺され、メンツだけが残るのだ。
身体はお陰様で大丈夫だけれど(色んな意味で)、大元の信頼への裏切られは、心をやられてしまう。
大事なことは話されなかった。レッテルを貼りつけて誰かのせいにして、手放してなかったことにする。隠匿。結果論だけれど目線を合わせてはいけなかったのだな。こんな所とはついぞ気づかずに長い間お世話になってしまった。色々良かれと動いたことも、こうなって見ると色々出てくるなどと言われ、漸く繋がり始め志半ばと感じていたことも含めて、空回りの一人相撲も甚だしい。
我がことながら、絵に描いたよう過ぎて恐ろしい。
旗色が変わって、意味を変えたのだな。やり口は、綺麗ではない決して。



でもそんな中でも、
シンプルに、
もっとモノづくりを一緒したい!
と自粛的箝口令が強く引かれる空気の中で、そう言ってくれた方々、手紙まで書いてくださった方々の思いに応える事ができないのが申し訳ない。

でもそういう人とはきっと
今後も続いていくだろう。ちゃんと覚えています。
私は関わってくれる「人」を大事にしたいと思います。
人と出逢わせてくれたことに、感謝です。
ありがとうございました。

人にしたことは、必ず返ってくる。
このコロナ禍、人が面白い位に露わになる。


2020年11月12日(木)



 初日を迎えられなかった作品。当日パンフレット文章。

演出の戯言

あの戦争から75年の歳月が過ぎた。
世の中は、昨年の今頃思い描いたのとは、誰も想像もつかなかった地点に来てしまっている。このコロナ禍というものがなければきっと、オリンピックに沸き、その後特集のように組まれる「戦後75年」を記念した作品が多く残暑極まる世の中に出回り、それを目にする度、襟を正す思いになっていただろうし、見せかけの「平和」みたいなものを英霊のお陰をもって享受している気分になっていたかもしれない。しかし、どうにもこうにも「それどころではない」時代になってしまった。
なんでも起きうる時代。
そして人の想像など、はるかに先をいく現実がある。
だがしかし、このコロナすら、なかったことにしようとしている世界がある。
そして、そのことを決定していくのではない人たちが、その決定によって生き死にを決められている。形を維持することに奔走する中央に、地方は捨てられていく。
自粛警察の名のもとに、まるで五人組を地でいくような衆人監視が行われ、
何よりも「集まる」ことを禁じられ、自らも禁じてしまった。
芸事もまず「それどころではない」ところに追いやられ、ステイホームになって「やはりこころの栄養は必要」と再脚光を浴びたりしながら、でも中央としては「オンライン」でなんとかならないものか、と推奨されている。「『場』を共有する目的をもった媒体」である演劇がである。
そんな中で25年ぶりに『洞窟』に息吹を吹き込むことになった。
密が禁じられる時代に、あの密にしかなれなかった洞窟の中の人間模様を描く。
しかも「場」はこの「ひめゆりピースホール」だ。
脚本家・嶋津与志さんが足と耳で稼いだ沖縄戦の記憶の集積のような人物たちの生きざまとぶつかりを、まずは机上で、そして打ち合わせで、そして稽古を重ね物語を紡ぎながら、その人間の行動に驚異と脅威を感じ、善役も悪役もない「そうならざるを得なかった瞬間」に向き合い続けていると、この「洞窟」に存在する者同士が、もし戦時で出逢ったのでなかったとしたら…と妄想は逆に膨らんでいく。でも、戦争は始まってしまったのだ。そして始まったら人は「勝つことしか考えない」のは今だってそうだ。コロナで負ける、と思っていたら何も手につきはしない。見えている世界の構造は、便利に進歩と進化をしているようで、実は何も変わっていない、そのことに翻弄される人間も。
 今回、ヤマトンチュの僕が2020年度版上演台本を創る際、慰霊の日の高校生の平和の詩二篇(高良朱香音さん・相良倫子さんー劇中歌にもなっています)にとても勇気づけられ教えられ、大いなる道標となった。それは沖縄という土地が育んだものだろう、「過去」に向き合って「今」があり、その「今」の積み重ねが「未来」を創るのだということを。

本日はご来場いただきありがとうございます。作品はみなさんに共有されることでやっと完成します。狭いところで恐縮ですが、最後までごゆっくりご覧ください。
この作品が、誰かの心に「生き」「育ち」ますように―


藤井ごう



2020年10月25日(日)
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