わたしの大学でも電車事故の負傷者が出ているようだ。
昨日珍しく一限開始に間に合って登校したため難を逃れた友達が
いつも電車が遅れる遅れるって文句言ってたけれど
なんかちょっと考えちゃう、と呟いた。
人は、バスの遅れには寛容なのに、電車の遅れには厳しいね。
朝の大阪駅を知っている。
あれだけ電車がひっきりなしに出ていて
ドアが開くたびにどどどどどと人が乗り込んでいくんだけれど
それでも電車の数が少ない、とか、わたしも思ってた。
ぜんぜん余裕がないのだ、待てないのだ、朝も、夜も、わたしたちは。
かなしい。
いつも一限目は遅刻の友達が珍しく定刻に来た。
TVを見ながらぞっとする。
今日、彼女が遅刻しなくてよかった。
非喫煙者でも長く生きていれば
多少は肺も黒くなる。
最近、
ラッキョウが食べられるようになった。
ジャズも楽しんで聴けるようになった。
先がとんがった靴にも抵抗が少なくなった。
年を追うごとに、
あらゆるものに対して自分の趣向は変化している。
別にそれは嫌じゃない。
悪くない。
けれど、そのうちいままで汚くて嫌だと思っていた
大人だとか行動だとか、そういうもののことも
なんとも思わなくなるんだろうか。
そういう日が来るのだとしたら、
というよりも、もう既にそういう気持ちになっているのだとしたら
とても恐ろしい。
| 2005年04月23日(土) |
踊れ踊れ夜の果てまで踊れ |
大学の新歓祭に行ってきた。
同じ学科の一回生が出しているお店に行って喋っていたのだが
去年自分達が店を出した時のことを思い出して
ちょっとキュンとした。
うちの大学のいいところは新歓祭と学園祭で花火が上がるところで
一回生の子がする質問は決まって
「これ一発10万円ってホントですか?」だ。
それ、あたしも入学した時先輩から聞いたよ。
とてもきれいな花火、大きな花火、
そういうのを見たときに自然と拍手が起こるのが、いい。
他人同士なのに、こうして拍手で共鳴できる。
たたんだ店の跡地から花火を見るために移動して、
花火が終わった後に店の跡にまた戻るかどうか、迷った。
去年もそうだった。
みんなもまた戻ってくるかな、
このまま帰っちゃうのかな、
打ち上げに行ったりするのかな、
これで終わりは少しさみしい、
そんなことを考えながら歩いたのだ。
去年は花火の後再びみんな店の跡に集まって
それから食事に行ったっけ。
今年の一回生は、どうするんだろう。
流れる人に逆行して歩きながら歩調に合わせて心臓が鳴った。
突然髪を染めたり
メールに絵文字のハートマークが踊りだしたり
流行のコサージュを買ったり
どうしちゃったのわたし、どうしたの。
おいていかないで欲しい、
まだ、先に行かないで、って
今焦ったってしょうがないじゃない、どうしたの。
ひとの目ばかり気にして
しんどくなってくる。
そんなのほって、好きなようにやればいいのに、
そうできなくてどんどん切羽詰っていく。
振り回されてばっかりだ。
恋人がいるのがなんだ、
資格がなんだ、
サークルがなんだ、
学歴がなんだ、
かわいいカッコしてるのがなんだ、
ほんとに、
なんなんだこのせかいは。
京都で開かれている「人体の不思議」展に行ってきた。
予想通りすごい人で、
標本が入れられているケースがやたら薄くて押すとめこめこしていたので
人が沢山寄りかかったら壊れそうだなあ、と
少し心配になったりした。
色を抜かれた肌も脳もスライスされた体もとてもきれいで
これが昔生きていた人間だったのかと思うと、とても奇妙な感じだった。
好き勝手にくだらないことを言う我々に
じろじろ興味本位で見られるのは不本意かもしれないが、
死後も体が半永久的にああやって形を保って残っているというのは
ちょっとうらやましい気がする。
ただ、やっぱりいくつかの標本は生理的に「きもちわるい」と思ってしまった。
煙草で真っ黒くなった肺、脳腫瘍のできた脳、
あと、眼。
眼はこわい。
今日から一週間、琵琶湖のぐるりで花火大会が開かれるので
ここからどこまで遠くの花火まで見えるのかわからないが
とりあえず楽しみにしている。
週末には大学の新歓祭でまた花火があるのでさらにうれしい。
今日はうちから見ると対岸側の港でイタリアと中国の花火が打ち上げられた。
イタリアの花火はソーダの泡のようで
ジンジャエールの瓶にライムを切って落としたときに上がる
つるつると糸のようにつながって立ち上がる気泡のことを思い浮かべた。
中国の花火は鮮やかな原色で、
真っ赤な花火が何発も打ち上げられて、ふー…っと消えていくのは
とてもとてもロマンチックな眺めだった。
夏になったら、花火を見に行こう。
一人で見るのは寂しいからやさしい誰かを誘って。