超雑務係まんの日記
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たった一度だけ 数年前に 「全国会議」って名目で東京で集結しましたね
皆「初めまして」 私と、ココに来てる仲間たち 一緒にさんざん飲みました、あぁ 場所は品プリでしたよね?(確か)
50人くらい、いらっしゃいましたか? 「超突連会議」 ボードがホテルに掲げられてました(汗) 名称は確かに素敵です(笑)
私を初めて見た人からは たくさん罵詈雑言を浴びました(爆)
そりゃ、そうかもしれません たくさん、偉そうな事を言ってきた張本人です 。。。
でも、未だに付き合いをさせてもらってます ありがたい話です 焼肉やら、鍋やら、飲み会やら 夜中でも誘われるので、ウレシイです 札幌にもメンバーがたくさんいて、ビックリ
そういや 「超突連会議」では、九州から、京都から、大阪から、東北から、 今は酔ってて忘れてしまったけど、 いろんな人が本当に来ちゃった
「雑誌で名前を見る限り元気なんですね」 って、言われます。まぁ、そうなんです
私は 何にもウソはついてません
事実と真実は ちょっと様相が異なるのかもしれません
言葉が 狂っても 私がマトモだったら
どっちが、普通なのですか?
これで、いいかしら? ちょっと、不愛想だわ。
ラララ。
君からのネット。 毎日欠かさずたくさんの量。
どこで、そんな時間を使ってる?
たくさんの、たくさんの言葉。 「アナタはプロだから。」 そう先回りを、いつもしてくる。
でも、君はけっこうグッと来る言葉を送ってきます。
> まんさんに出会ってから、ほんの僅かの期間ですのに、 > あなたから影響を受けているのは事実です。
(中略)
> こんな形ででも、共に酔い、生きることができたらとても素晴らしいと思います。 > 同じ世界で生きていることを分かち合えれば幸せです。 > > これは間違っても同情なんかではありません。 > 一人の人間として、わたしはあなたに愛着を感じずにはいられないのです。
一般社会で言えば、最高の地位(職業)を有してる君。 こんな私に引っ掛かってしまったのですか?
主婦をダマす前に 高学歴で、高収入で、高権威な人が近づいてきました。
ココを見たら、ガッカリでしょう。 どうなりますか?
今度こそ マトモな暮らしをしよう
広い家に住みたい 今度は親や家族がお金持ちかもしれない
毎日暖かくしよう 毎日文学を勉強しよう 毎日お金のある生活しよう
俺が稼いでいれば もしくは 主婦のような生活が出来たら
君がいってしまう事はなかった
そう 今度こそは
毎日暖かいところに住めるかもだ 毎日文学を勉強する環境かもだ 毎日お金のある生活かもだ
俺たちの ハッピーニューイヤー
(05/01/04車輪の跡の続き)
2003年3月25日「未来を〜」ひっそりと立ち上げ(何と一昨年だった!) 一番、これがマニアックな僕のネットとなりました
『読むための理論』
しかし問題にすべきなのは、世界を正・邪に分け、 正は邪を暴力でほろぼしてよしとする、より徹底的な 物語のイデオロギーなのだ。そのような批評の<主体> を書きこむべきときが、現代であるはずなのだ(03/3/25)
僕はぜんぜん、一般にウケそうな文書を書いていません。。。 だってこんな文章、まったくわからない(笑) マトモな人が読んでも、ぜんぜん理解できないですね
目指していきたかったのは ただ 書評をコツコツ書いていこうと思ったのです
『刑務所の中』花輪和一 著/青林工藝
銃刀法違反の容疑で逮捕された著者の3年間の獄中記。 ただし本書はよくあるような刑務所の中の理不尽な思いの批判や 告発を書き綴ったものではない。むしろ明るくて緻密な観察記と いった方がふさわしく、非日常的空間である塀の中に対し、 私たちは読み込んでいくほどに、どんどん興味が湧いてきて仕方 がないのだ。(03/3/29)
うーむ。 ちょっと面白くないし、堅い(汗) しかも、『刑務所の中』はマンガ。作者の花輪氏もややマニアック そして書く度にブルーになっていくのは日記だけでよいような(笑)
こんな調子で 必然的にフェードアウト。。。 でも「未来を〜」のコンセプトは残しておきたかった
そこで書評の形式をやめ 「狂気へ〜」を2004年11月14日に開設 いわゆるブログに殴り込みって感じ!(ハハ。。)
話しは変わって。
インターネット メール 携帯電話
この3つがなかったら 何も苦しまなかったですね
結婚する前の君には きっと上記の三種の神器がありませんでした
君は今 恐らくは この3つに、もがき苦しんでいる
苦しんでいる
昨年はたくさん、いろんな事がありましたね 考えてみれば、一昨年もたくさんありました
いや、 ずっと問題があったような気がするよ
さて 新年を迎えて、どんな出来事があるのでしょうか
昨年こそはネットの関係 整理をしようと考えてました
調べてみたら 1999年9月24日に「Over The Top」を開設していた
そして 2000年3月27日に始動した「超突撃連合会」 今や、いずれもすでに放置状態
もうどれだけの年月が経っているのか
あれから 君と どんな質のコミニュケーションをとってきましたか もしや、ネットとメール 何にも変わってないかもしれません
飽きっぽいのか次にまた サイトを創ってしまった
(続く)
この日記は作者の意図により削除されました
将来の幸せ 淋しさ 苦痛 安定した未来 夢の人生
この言葉たち、それぞれ何か説明できますか?
「将来の幸せ」って何ですか? 「安定した未来」って何ですか?
一方で 「苦痛」って何ですか? 「淋しさ」って何ですか?
きっと共通してるのは 上記の言葉で何となくの想いが沸き上がるという事。 それは希望であったり、辛辣であったりと。
ただし、例えば 「夢の人生って何ですか?」と問われて、 他人にうまく伝えられますか。。?
人に意味を伝えられないのにも関わらず 上記の言葉に縛られて、自身を失っていませんか。
そんな問いを発する人がいたならば、 (いえ、狂ってる人ほど恥を感じずに聞いてくるのですが) 私は似たような事を質問された時、こう示唆していました。
将来の幸せ=解釈です 淋しさ=解釈です 苦痛=解釈です 安定した未来=解釈です 夢の人生=解釈です
解釈だと考えてます。
解釈は拡大したり、縮小したり すごく自由度のあるアイディア。 そう。束縛されるような狭い存在では無いのだ。
けれど、どうだろう。 今や 時には恐怖を与えるような厳格な基準になったりもしている。
淋しさ、苦痛=死ねばよい 夢、将来、人生=勝利、成功、収入など
そんな狭小な設定をわざわざ施して 単純な言葉のイメージに酔い、悲劇のヒロインを夜な夜な演じる人が どうしてたくさんいるのだろう。
多くの最近起こっている犯罪は 「自分なりに頑張っているけど、周りが気づいてくれない」 といった、責任転嫁の発想から来ていると思う。 悲劇のヒロインは、ずいぶんと短絡化しているのだ。
その責任転嫁の発想は 本来、大変に自由度のある解釈が 誰かに与えられた画一的な希望や将来や悲しみや傷だったりするから すぐにヒロインへと走ってしまう。
恥ずかしがって、真剣な言葉で誰とも議論をした事がないのだ。
本気の言葉を、人間にぶつけていないから メールやネットの言葉遊びにハマって飽きた頃、 自分には誰もわかりあえる人がいない事に気づいてしまう。
そして ふと足下を見た時に 身近な存在である旦那や恋人や家族が、 やはり一番だと 安易に改めて実感してしまったりするのは 悪い感覚ではないと思う。
しかし、そんな実感が出来ない環境の人が 結局、狂気の道へと踏み出してしまうのは 誤解を恐れつつ、これも悪い感覚ではないと思う。
でも ヒロインが本当の悲劇だったら、 ヒロインでは無くなってしまいますが。
朝の4時をまわる頃 会社のビルを出る時に いつも感じる
「俺は明日も仕事ができるだろうか」
僕はすぐにタクシーを拾わない たいていは、少し歩いて離れたところで乗る
なぜなら、同じ時間を共有してる人が どれだけいるか歩いて確かめたいからだ
あぁ パルコの前まで来てしまった 三越を横目で見ながら、さらに歩く
すれ違うのは 酔っぱらい 水商売のオネーサンたち イカれたヤンキー ヤクザ カラスなど
僕は僕は マトモに仕事をしてますよ って、名刺でも配ろうかと思った
今の札幌 明け方は冷たさでココロも凍るほど
ふと夜空を見上げて 何となくの 想いをつきあげたら
いったい明日に待っているのは シンプルな出来事だろうと 歳をとってしまった自身に うなだれる
頼りない僕 明日も明後日も、もしかしてずっと 君にとって頼りない僕
さぁ タクシーに乗って帰ろう
明日も明後日も 子供のまま大人になった頼りない僕は 支える力もなく、経済力もない僕は 明け方にタクシーを乗ろう
話す事と言えば 昔話ばかり きっと 出逢った頃が素敵だと思った
「事実は小説よりも奇なり」
悔しくて 死にたい夜もあって 産まれてきた事を この上なく後悔してた時期もあった
当時はメールもネットも存在しない時代
軽い言葉遊びはココまで氾濫していなかった
だからなのか 君の言うように 孤独との戦いをネットやメールで逃げる事が出来ず ずっと子供への退行を繰り返していたのかもしれない
ハッキリ言える事 メールやネット 文学とは程遠い世界
確かに 事実は小説よりも優れているかもしれない 未来を判断できる材料は、たくさん存在する
対して 作品は嘘だと揶揄されても どんな反論もできやしない
冷静に考えてみれば 事実の積み重ねで 人生は充分送っていける 裕福に安全に問題なく 単なる事実の確認だけで人は 生活がうまくまわっていく
一方、文学は 真実と人間性を究極までに追求する学問 まやかしのような世の中に立ち向かった ファイター達の歴史だ
当然 安心な安定した精神状況でいられるハズがない
文章という舞台を借りて さまざまな事実でない「嘘」や「虚構」で ギリギリの表現を精神を削って表現していく芸術
こんな学問は こんな感覚は こんな発想は こんな行動は こんな習慣は こんな人生は
こんな僕は
一生、信じられませんか?
メールとネットと僕
同じ穴のムジナとして すべてが判断されてしまう そんな現実を創出してしまった 僕は 自身が最ものぞんでいなかった事実である
鏡を覗き込んだら どんな自分がいるんだろう
本音を言うと 事実だけの状況(現実生活)を確認するあまり 夫婦や恋人や友達や親兄弟、 そして自分自身にさえも 仮面を被り続け 何の本心もあらわさない人間こそ 僕は恐くて仕方がない (勇気を持って虚構を吐く人よりも、ずっと)
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思い起こせば、文章を書くことで世の中へ花々しくデビューしようと 考え、文学を真剣に学べると言われていた大学へ入りました。
まず、中国を学ばずして、日本文学を志すのは邪道であるという大学 の強い信念ともいうべき暗黙の了解のもと、しばらくは中国語と漢文 しかやらせてもらえませんでした。 「孔子」「孟子」を始めとし、よせばいいのに国会図書館にしか保存 されていないという貴重な文献まで、白文の状態ですべてが読めない と留年が決定するというものでした。
この一年間の過酷な作業を無事クリアすると、文学を志す人間として 日本最古の文学を学ばずして、なにが文学か?ということで、次に 『古事記』『日本書紀』になりました。 なにしろ、指導教授が生きている学者の中では『古事記』研究の最高 権威のお方。生半可な研究やレポート提出など、許されるはずもあり ませんでした。
ここの過程も何度も涙を流しながら、通過することが出来、ああやっ と…との思いもつかの間、文学を志す者として、日本最高の文学を学 ばないのは人間以下である、ということで『源氏物語』。 しかも原典で読破することを強いられ、目を血走らせながらぐちゃぐ ちゃした平安仮名を追っていたものです。
かくして漢文、万葉仮名、平安仮名をスラスラと読めるようになった 頃、もう卒論のテーマを決めなきゃならない。 日本語と思っていた現代文を一切読むことなく、ここまで過ごして来 た私はもう壊れていました。
ただ、近代合理主義に溢れた現代の死んだ言葉の集合には、どうして も我慢がならず闘争を起こしてしまいそうです。
大切だとされている事実に大声で警告をしてきた文学。今となっては 相互理解の出来ない無駄な産物なのでしょうか。
人が永劫に追い続けていたであろう、光のような事実ではない真実と 究極の人間性はいったいどこを探したら見つかるのでしょう。
(中略)
もちろん、今は文学とは全くといって良いほど無縁の生活。 むしろ、当時の想いからすれば、完全に逆行している日々です。
今となってはいくつもの「なぜ?」が未解決のまま、時間の合間を ぬって、好きな近・現代の作家を好きな時に読むことができる… という日常を過ごしながら、明日も頑張らなくちゃと思う今日この 頃でした。
そう、多分に血が出るほど私は平穏です。 今までの心はこのままいつか忘れてしまうのでしょうか。
元気です。
(1997年3月30日 日記「Tへの手紙」)
ひどい不景気と言われていながら 地獄的にヒマで世の中に反した主婦たち
文章を書く事によりヒロインが演じられ 何も冒険が出来ないくせに主役として勘違いできる 素晴らしいインターネット
騙すなら この環境と人種(主婦)が最高なのだ
オタクよ 無抵抗な少女より もっとアタマを使って ぬるま湯の人種をカタにハメなきゃダメだ
ツマラナイ勢いに オマエラが負けてどうする
目を覚ませ
(以下、削除)
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