KENの日記
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2018年12月05日(水) モーツァルトの命日

今日はモーツァルトの命日でした。モーツァルトは1791年12月5日にウィーンで35年の短い生涯を閉じました。1991年の12月5にはモーツアルト没後200年記念ミサがウィーンのシュテファン大聖堂で執り行われました。この時の録画映像が我が家のVHSのビデオテープに残っています。当時の名が県上田市の社宅は電波が弱く映像に乱れがありますが貴重な映像です。

このVHS録画をDVDに録画して保存しておいたのですが、そのDVDRAMが品質が悪く何か所か映像が止まってしまうことが分かりました。そこでモーツアルト命日に因んで再録画しようと考え差し当たり「ビデオデッキ」のHDDに格納しました。近いうちにこれを品質の安定しているDVDRに収容するつもりです。

演奏者は以下の通りでした。
「モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626」

独唱
アーリーン・オジェー(S)
チェチーリア・バルトリ(Ms)
ヴィンソン・コール(T)
ルネ・パーペ(Bs)

ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮)

司式:ハンス・へルマン・グローエル枢機卿

収録:1991年12月5日、ウィーン・シュテファン大聖堂(ライヴ)



2018年11月30日(金) 窓ガラス・網戸の清掃

もう直ぐ12月。寒くなる前にマンションの窓ガラス・網戸の清掃を行いました。我が家マンションは南側に大きなガラスの壁・戸があり、室内に光が入って明るい一方でガラスが汚れると洗うのが大変なのです。そしてベランダに水道が無いので洗濯機の水道蛇口からホースでベランダまで水を運ぶ必要があるのです。

網戸を外してガラス部分に水を掛けて洗い、網戸の専用ブラシで洗って網戸を再取り付けして終了となります。ガラスの内側は通常は妻の役割なのですが、現在体力が無いので今回はざっと吹いて終了としました。年末・年始を迎える準備が少しずつ進行しています。



2018年11月19日(月) 日産ゴーン会長逮捕

日産のカルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反の罪で逮捕されました。ゴーン会長を乗せた小型ジェット特別機は羽田空港に到着しましたが、そこに待ち受けていたのは東京地検特捜部の人達でした。ゴーン会長はこの逮捕劇を全く知らなかったようです。



2018年11月14日(水) 妻が退院

今日の午前中に妻は戸田中央リハビリテーション病院を退院しました。幸い天気が良く陽も差していたので最寄り駅の戸田公園までと武蔵浦和から自宅まで短時間歩きは気持ちの良い散歩となりました。9月12日朝通勤のために家を出てから2か月が過ぎ、気候はすっかり晩秋から冬を迎える冷え込みとなっているので天気が悪い日は寒さに注意が必要です。

退院したといってもまだ体調が基に戻ったわけではないので、自宅で継続してリハビリする必要があります。専門家ではない家族ケアではつい甘くなったり、逆に厳しくなりすぎたりするので、ケアする側として十分な配慮が必要だと思っています。当分は無理をせずに緩やかに、出来るだけ目を離さないように心がけようと思っています。



2018年11月01日(木) 退院決定

戸田中央氏は病院入院中の妻の退院予定が11月14日に決まりました。それまでの2週間で退院準備をすることとなります。この間特に注意することは「投薬薬」の継続可否の判定です。現在妻は「血圧コントロール」「抗てんかん」「カリウム補充」の3つの薬を服用していますが、「抗てんかん薬」と「カリウム補充薬」については継続服用が必要かどうかチェックすることとなりました。

脳出血患者は回復後も様々なことに気を付けなくてはなりませんが、血圧のコントロールは最も重要なものです。退院後は「かかりつけ医」を決めて継続的に血圧コントロールを進めていくことになります。継続投薬に加えて「運動」「食事」に留意していなかければならないと覚悟しています。



2018年10月27日(土) トルコに脚光

10月2日トルコイスランブールのサウジアラビア総領事館でサウジアラビアのジャーナリストの「ジャマル・カショギ氏」が殺害されました。トルコ政府はあたかも事前にこの事件発生を予想していたかのように、サウジアラビア人犯行グループの動静や、会話録音データ等の証拠を確保し、折り合いの悪いサウジアラビアの国際的な評判を危うくするような揺さ振りをかけています。

一方23日にはシリアの反政府組織に拘束され「人質」となっていた安田純平さんが解放されトルコ領内に戻りました。この人質事件解決にむけてはカタール政府の役割が大きかったようですが、シリア隣国のトルコ政府の役割も大きかったようです。安倍首相は両国の国名をあげて感謝の意を表明していました。

中東は、大きくアラビア半島、アナトリア半島(トルコ)、イラン台地(イラン)に分類できます。アラビア半島はアラブ人、アナトリア半島はトルコ人、イランはペルシャ人の社会となります。現在トルコの動向に目が離せません。トルコはイラン(ペルシャ)との良好な関係を維持してアラブ人社会に対抗しようとしているようです。勿論これに宗教がからみ、米・欧・ロシアの国際戦略が絡み、世界の原油生産拠点として中東の重要性が絡みますが、それを考えると頭がパンクします。



2018年10月17日(水) 久し振りに別所沼へ

9月12日(妻が倒れた日)以来、一か月超振りに「別所沼公園」に出かけました。公園の木々は落葉が進んですっかり秋らしくなっていました。朝一緒になる何人かの方に久し振りですねと声を掛けられました。公園に散歩に来る人達は年配の方が多いので、常連の方の姿が長期間姿を見せないと様々想像するみたいです。良い方での想像は「旅行」で、悪いほうの想像は入院であったりします。心配されていた方には妻の事情を簡潔にお知らせしました。

公園では毎朝のようにお会いする「犬を散歩させる方」も幾人かいます。一か月の不在中に9月に生後六か月だった「黒柴」がすっかり大きくなって「大人っぽく」なってしたのには驚きました。犬の成長は早いです。



2018年10月15日(月) 戸田の保管荷物

今日は「戸田中リハ病院」に行く道すがら、妻が荷物を預けている戸田の保管業者のところへ荷物を見に行ってきました。戸田市の国道17号線沿いにある業者さんの倉庫は偶然にも妻が入院した病院からそれほど遠くないところにありました。ここの倉庫は大変立派なものでかなりの量の荷物を預かっているようでした。

妻が急病・入院中で来れないので、私が身分を証明するものを持参して「夫」であることを示して荷物を見ることができました。10月末契約切れとなる通知を既に受け取っているので、これからいろいろ相談して契約を延長することを含めて対応していかなければなりません。



2018年10月13日(土) 戸田の渡し場

妻が転院した病院は埼京線戸田公園の駅近くにあります。戸田というと「戸田競艇場」があって税収面で戸田市を潤しているということですが、その戸田競艇場は荒川近くの「戸田漕艇場」の西端にあります。漕艇競技のメッカ戸田漕艇場は幻の1940年の東京オリンピックの漕艇競技場として、また荒川の治水対策として作られたのだそうです。1964年東京オリンピックで漕艇競技のメイン会場となりました。2020では有明に新しい競技場が作られるようです。



漕艇・ボートと荒川の水利を利用したスポーツが盛んな戸田ですが、江戸時代には中山道の戸田の渡しがありました。江戸防衛のため荒川には橋を掛けなかったのです。この戸田の渡し場には、寛保2年(1742年)には3艘の舟が、天保13年(1842年)には13艘の舟が渡しを行っていたとのことです。戸田の渡しは「板橋宿」と「蕨宿」の間にあります。江戸出発後の最初の難所であったと思われます。

下の写真は戸田の堤防沿いにある戸田渡し場跡の石碑です。不便な場所にあるのですが、妻が入院している病院からは歩いて行ける範囲でした。



2018年10月11日(木) 記念日

今日は妻の誕生日であると同時に私達の結婚記念日でもあります。結婚記念日は38回目となります。昨年の日記を見ると11日から「四国遍路(香川県)」を歩き始めていましたことが分かります。今年は妻が病院に入院中です。

「金婚式」もそれほど遠くないと安易に考えていましたが、妻の急病・入院を経験してみると、夫婦二人とも元気で長生きできるということは大変なことなのだと実感しています。これからどのように過ごしていくのか一度立ち止まって考えてみようかと思っています。




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