| 2017年10月20日(金) |
テイツィアーナ・ドゥカーティオペラコンサート |
テイツィアーナ・ドゥカーティオペラコンサートに行ってきました。会場は紀尾井ホールで夕方7時に始まりました。。
出演 ソプラノ:テイツィアーナ・ドゥカーティ バリトン:井上雅人 ピアノ伴奏:山口研生
曲目
1.サン・サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」より“私の心はあなたの声に花開く” 2.アンブロワーズ・トマ:歌劇「ハムレット」より“酒よ,憂さ晴らせ” 3.ブゾーニ:「ビゼーカルメンによる室内幻想曲」 4.ドニゼッティ:ランメルモールのルチアより「こちらに来なさいルチア」 5.プッチーニ:歌劇トスカ1幕から「私は貴方の手を待っています。行けトスカ」 6.エルネスト・ベクッチ:「ピアノによるトスカ幻想奇想曲」 7.プッチーニ:歌劇トスカ2幕ハイライト「あの人を助けて、愛に生き」 8.アンコール:「花は咲く」
前半はフランスオペラのアリア、後半はトスカ第一幕・第二幕からの場面抜粋でした。トスカは各幕の重要な場面ですが、対訳がないので細かなニュアンスが分かりませんでした。アリアだけではなくストーリーのある場面を演奏する場合には対訳が必要となります。
またソプラノ・バリトン・ピアノ伴奏の講演でだれが全体の演出を行ったのか、今回はソプラノのドゥカーティさんの考えが反映されたのだと思いますが、コンサート全体を俯瞰してみると統一されていない感じが否めませんでした。プログラムには「イタリアオペラの世界」と歌いながら前半はフランスオペラが中心でした。
| 2017年10月18日(水) |
ケルテスのシューベルト交響曲全集 |
図書館から「シューベルト交響曲全集」を借りてきました。以前から聞きたかったCDなのです。イシュトヴァン・ケルテス指揮のウィーンフィル演奏のものです。メモとして各曲の情報を記載しておきます。
第一番 ニ長調 D.82 1813年シューベルト16歳のときにウィーンで作曲されました。シューベルトがウィーンの神学校にいた頃の作品で、ウィーン楽友協会に残されている自筆譜にはあまり苦心の跡が残されておらずスラスラと作曲されたようです。
第二番 変ロ長調 D.125 1815年17歳で作曲。シューベルトが神学校を卒業し兵役を免れるために師範学校に通い父の代理教員になった時期の作品。同じ時期には「糸を紡ぐグレートフェン」「魔王」「野ばら」など140曲の歌曲が作曲された。
第三番 ニ長調 D.200 1815年7月作曲。18歳の時に第二番に引き続き作曲された。一楽章の主題はその曲想・展開の仕方が「グレート」を彷彿とさせます。二楽章の主題はドイツ民謡の「マリアの子守歌」に似ているととのことです。
第四番 ハ短調 D.417「悲劇的」 1816年8月ウィーンで完成。「悲劇的」という愛称は作曲者によって後につけられたということです。シューベルトの初期交響曲(古典的手法により作曲)の最後の曲と位置づけられるようです。
第五番 変ロ長調 D.485 1816年10月に完成。クラリネット、トランペット、ティンパニを用いない室内交響曲的な性格だが、愛らしく美しい曲。ハイドン・モーツアルト的であるがシューベルトの旋律の美しさが全面に出ている。
第六番 ハ長調 D.589 「小さなハ長調」 1818年2月完成(シューベルト21歳)。五番とは異なりベートーベン的な交響曲。同じハ長調の「グレート」に雰囲気(転調・クラリネットの使い方等)がにていることから「小ハ長調」と呼ばれる。再びフル編成オーケストラの曲となっている。
第八番 ロ短調 D.759 「未完成」 1822年10月作曲開始(シューベルト25歳)。シューベルト没後45年経ってから友人の家から発見(1・2楽章)されたとのこと。この交響曲が3楽章のスケッチ(9小節の総譜とピアノ譜)が残されている。
第九番 ハ長調 D.944 「グレート」 1826年作曲(シューベルト29歳)。シューマンがシューベルトの兄の家に残されたシューベルトの遺品の中から発見したとのこと。1827年3月にはシューベルトが尊敬していたベートーベンが亡くなり(56歳)シューベルトは葬儀に参列した。シューベルトは翌1828年11月に亡くなってしまう。
指揮者のケルテスは1973年に水難事故により43歳で亡くなってしまいました。この曲集の録音の記録も付記しておきます。 交響曲8・9番:1963年10月〜11月(ケルテス34歳) 交響曲4・5番:1970年4月(ケルテス41歳) 交響曲1,2,3,6番:1971年10月(ケルテス42歳)
| 2017年10月16日(月) |
四国遍路4回目六日目 |
四国遍路4回目6日目「高野山」参拝を終え、さいたまに戻る夜行高速バスにのりました。
〇0820:新今宮ホテル出発 ○0902:新今宮発急行乗車高野山口まで 〇1050:高野山着バスで「奥の院前」へ 〇1120:高野山奥の院参拝 〇1520:高野山口からケーブルカー乗車 〇1605:極楽橋から橋本行各駅停車乗車 ○1708:急行難波行き乗り換え ○1757:南海難波着→JR難波移動 ○2030:新宿バスタ行きバス乗車
| 2017年10月15日(日) |
四国遍路4回目五日目 |
四国遍路4回目五日目です。
○0635:第87番長尾寺 5.0km 〇0810:前山おへんろ交流サロン 7.3km 〇1100:第88番大窪寺 〇1330:コミュニティバス「高速志度バス停」へ 〇1530:高速志度バス停 ○1545:難波行き高速バス ○1850:難波バスターミナル到着 JRで新今宮移動
宿 BHミカド 総歩数 27911歩 歩行距離12.3km
| 2017年10月14日(土) |
四国遍路4回目四日目 |
四国遍路4回目四日目です。
○0650:高松ホテル発 9.5km 〇0900:第84番屋島寺 5.4Km 〇1120:第85番八栗寺 6.5Km 〇1340:第86番志度寺 7.0Km ○1600:第87番長尾寺 0.5Km 宿:長尾「あずまや旅館」 総歩行数44579歩 総工程宿:28.9Km
| 2017年10月13日(金) |
四国遍路4回目三日目 |
四国遍路4回目三日目です。
○0620:第80番国分寺出発 6.5Km ○0805:第81番白峯寺 5.0Km ○1005:第82番根香寺 11.9Km ○1425:第83番一宮寺 5.0Km ○1630:高松市内ホテル
宿:高松市内ビジネスホテル 総歩数49872歩 総歩行距離28.4km
| 2017年10月12日(木) |
四国遍路4回目二日目 |
四国遍路四回目二日目です。
○0700:第75番善通寺出発 3.8Km ○0800:第76番金倉寺 3.9Km ○0930:第77番道隆寺 7.2Km ○1130:第78番郷照寺 5.9Km ○1400:第79番高照院 6.9Km 〇1600:第80番国分寺 0.5Km
宿は国分駅前「えびすや旅館」総歩数46099歩、総歩行距離28.2km
| 2017年10月11日(水) |
四国遍路4回目一日目 |
四国遍路4回目一日目です。
○0840:JR観音寺到着 ○0845:JR観音寺駅出発 4.0km ○0940:第70番本山寺 11.3Km ○1300:第71番弥谷寺 3.7Km ○1440:第73番出釈迦寺 0.6Km ○1510:第72番曼荼羅寺 2.2Km ○1550:第74番甲山寺 1.6Km ○1625:第75番善通寺
宿は善通寺宿坊(いろは会館) 総歩数39812歩 歩行距離23.4km
| 2017年10月10日(火) |
妻の誕生日・遍路に出発 |
明日11日は妻の誕生日と結婚記念日です。今日から四国遍路に出かけることにしたので、一日前の今日武蔵浦和駅近くのアズーリでランチを食べてきました。アズーリで食べるのは久し振りです。何時ものピザ職人さんが休みなので別な職人さんがマルゲリータを焼いてくれました。モッツアレラチーズの溶け方が今一歩だったので少し不満が残りました。パスタ(アマトリーチェ風)は大変美味しかったです。因みにアマトリーチェはラッチィオ州の北端にある小さな町だそうです。
夜の高速バスで四国(JR観音寺駅まで)に移動しました。新宿バスタを利用するのは初めてです。バスタの完成で新宿駅近辺発着の高速バスの利便性が格段に向上しました。
21:35 ドリーム高松一号 新宿バスタ4F出発ロビー B5出発(10,290円)
今日は「赤坂日枝神社」で長男の結婚式がありました。今年4月に長崎から埼玉に戻り引っ越し荷物が埼玉に到着する前に長男からお相手を紹介されました。長男が新潟で暮らしていて、私が長崎に単身赴任してなかなか紹介するチャンスがなかったのだ思います。長男としては待ち遠しかったようで申し訳に事をしました。
退職して埼玉にもどってから具体的な話がどんどん進みました。そういうところは親に似ずに固く考え勝手に進めない長男です。5月の連休には私達家族全員で新潟に出向き結婚相手のご家族と親しく会ってきました。この会食を実質婚約の場として、両家族とも結婚式の段取りを勧めることに賛同しました。
神式の結婚式は大変厳かなものでした。私達親は肩ひじ張らない人前結婚で済ませたのでここでも長男はしっかり考えたものだと感心しました。尤もお相手の実家が「神社」であるということからこれ以外の選択肢がなかったとも言えます。巫女さんの踊りがあったっり、「生」の雅楽演奏があったりして吃驚しました。私の座った場所は運悪く柱が目の前にあって神前の様子はあまり分かりませんでした。この結婚式には両家の親戚が参列しました。そしてそのまま神社内で両家でのお食事会となりました。
食事会は新郎新婦がいろいろ考えてくれたので両家が懇親を深める場となりました。私達家族は記念になるようにと歌を歌うことにして練習を積んで臨みました。会食の席でも伴奏が流せるようにとブルートゥーススピーカを購入しました。歌は短いですがワグナーの「婚礼の歌」にしました。妻がソプラノ、娘がアルト、私がテノールで新郎がバスです。私が酒の酔いで音程が外れたようですが、無事に疲労することができたようです。残念ながら私の記憶が定かではありません。それから後の記憶はありません。帰り道娘には随分世話になったようです。これが最初でははないのが困ったものです。
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