KENの日記
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2016年12月15日(木) 北海道に向けて出発

今日午前10時に北海道に向けて出発しました。船は長崎港を出てから佐賀・福岡のお気を通って日本海に入り、直線的に「稚内沖」の利尻島を目指して進んでいます。下関辺りの陸地に近い所では携帯電波を捉えますが日本海に入ると携帯電波は入りません。携帯が使えなくなると少し寂しい気持ちになります。

山陰沖の日本海は「うねり」が大きいので、久しぶりの「大揺れ」にとなりました。引き出しが開いたり、机の物が落ちたり、コピー機が揺れたり大変でした。こういう時には「パソコン作業」は殆ど不可能です。スクリーンを見ている最中に大きな揺れ一回来ると「船酔い状態」となってしまいます。早速船酔い薬を飲みました。



2016年12月10日(土) ステッセル上陸の地

長崎市街地の西側には稲佐山があります。頂上からの湾を挟んで見える長崎市内の夜景は世界3大夜景の一つだとして観光名物の一つになっています。この稲佐山の麓に嘗てロシア人街がありました。幕末ロシアから日露戦争開戦までの間長崎はロシア極東艦隊の越冬地として役割を果たし、西欧外国人街・中華街のある長崎市街地の反対側にある「稲佐地区」にロシア軍人の生活拠点が築かれました。

この稲佐の街に日路戦争の旅順軍港攻防戦で乃木対象率いる日本第三軍に敗れたステッセル旅順要塞司令官の上陸記念碑が建てられています。以前大連・旅順を旅行した際に203高地に登り、旅順港攻防戦の現場を回り、水師営の「乃木・ステッセル面会場所」だという小屋も見学しました。その一方の主役ステッセルの足跡が長崎にあろうとは思いませんでした。



ステッセルは1904年(明治37年)12月31日旅順港攻防戦でロシア軍の負けを認め降伏を申し出ました。年が明けて1905年1月2日に旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結されました。そして1月5日には水師営でステッセルと乃木大将の歴史に残る会見が行われたのでした。

そのあと敗軍の将ステッセルは1月11日に旅順を出発してロシアに戻ることになります。1月14日に経由地の長崎に到着するとヨーロッパに向かうフランス郵便船の出発は17日ということなので3日間長崎に滞在することとなりました。ステッセル夫婦とその子供三人は14日に長崎の稲佐に上陸し「道永ゑい」経営のホテルに宿泊することとなりました。この「道永ゑい」こそ海軍越冬のためにやってきたロシア軍人を相手にレストラン・ホテルを経営して喜ばれた長崎の女傑なのです。ステッセルとその家族は束の間の日本滞在を終えてロシアに帰っていきました。故国ロシアでは1月9日に「血の日曜日事件」が勃発しロシア革命への動きが始まっていました



2016年12月08日(木) 北海道工事決定

今日ドックから長崎に戻りました。今年の仕事は「ドックで終了」だと想定していたのですが、北海道稚内近海の「礼文島−利尻島」の工事が急遽発生したため、12月15日に長崎を出港することになりました。今回の工事は天候が良く海が荒れていなければ短期間で終わり、年内には長崎に戻れるのですが、悪天候で工事が延び延びになると年明けに持ち越す可能性もあります。長崎から稚内近海まで行くためには日本海を北上して「4日間」必要となります。



2016年12月06日(火) 下関出港長崎へ

ドック作業が終了しました。本日午前9時30分に下関を出港しました。長崎入港は8日朝の予定です。



2016年12月05日(月) 急遽長崎戻り

会社の同僚家族に不幸があり葬儀参列のために急遽長崎に戻りました。下関→長崎間は十分日帰りが可能です。しかし前から予定し準備していた夜の忘年会には参加できませんでした。



2016年11月28日(月) 下関戻り

長崎市内での引っ越しを終えて下関に戻りました。今年の下関ドックも残り後一週間です。12月6日には下関ドックを出て海上走行試験をした後に長崎に向かう予定です。

ドックの期間中は造船会社の準備してくれる宿舎に宿泊し、ドックに係留されている「船」まで通うことになります。生活の場所は、長崎のアパート、船内の船室、造船会社の宿舎と別れることになります。さいたまの実家にも通常は使わない物を残置しています。このように生活の場所が頻繁に変わると、「何をどこに置いておくか」ということが大変重要になります。

現金(カード)、携帯電話、歯ブラシ、入浴用品、下着一式などは常に持ち歩くことになります。それと携帯電話の電源コンセントも重要です。パソコンはネット環境次第で持ち歩くか置いていくかを決めます。このように一時的に別な場所に住むための「要領」を覚えないと、不便感でいらいらするし、逆に荷物が多すぎて大変なことになります。



2016年11月27日(日) 風頭公園



銀屋町のアパートは長崎の寺町通に極近い場所にあります。そしてアパートの面している道が銀屋町通りですが、その道は「幣振坂」に繋がっていて急な坂道を登って「風頭公園」に行くことができます。

幣振坂は大変な急坂ですがシーボルトの娘「イネ」の墓があったり、高台から長崎港が見渡せたりして大変趣のある坂です。頂上の「風頭公園」には立派な「坂本龍馬」像があります。長崎では坂本龍馬の人気は大したものです。






2016年11月26日(土) 長崎市内で引越し

今日は「引っ越し」をしました。会社の住宅制度が変更されて、会社が契約する「社宅」に入居することとなったためです。但し会社は社宅を所有していないので、一定の条件で社員が探した物件を社宅として認めれくれるという方式です。そのため長崎市内で条件に合う物件を探したという訳です。

これまで引越しは何回も経験しましたが、こんな近くの引っ越しは初めてです。一番遠い引越しは「さいたま市→インドムンバイ市」です。国内引越しでいえば「東京→倉敷」です。荷物をトラックに積み込んでから当日に運び入れた引っ越しは無かったと思います。今日の引越しは福岡の業者が担当しました。長崎市の地理に不案内な業者なので一緒にトラックに乗せてもらって私が案内して引っ越し先に向かいました。

結果として午前9時から荷物を積み込み始め、10時30分には積み込み終了して前のアパートを出発し、11時には引っ越し先で荷物を搬入し始め、12時には搬入を終えることができました。そのあと段ボール箱を開けて荷物を整理しました。

今度の住居近くには「ドン・キホーテ」と「ダイソー」があるので、そこで生活に必要な小物を買うことができます。またスーパーも近いので食料品購入も便利そうです。



2016年11月25日(金) 長崎に戻りました。

明日26日に長崎のアパートを引っ越すことにしたため下関から長崎に戻りました。現在のアパートは長崎駅に近い「西坂」という場所にあります。アパートの直ぐ上に「西坂教会」があります。大変便利な場所でしたし、春の桜は綺麗だろうなと考えていたのですが、結局「桜」を見ずに引っ越すことになりました。

昨年12月中旬に「さいたま」から長崎に引っ越しましたが、「船」に乗っていた関係で西坂のアパートには実質「一カ月」も住んでいなかったと思います。引越し先は長崎市の「銀屋町」です。長崎の繁華街に近く「生活する」ためには大変便利な場所だと思います。荷物が少ないので思いのほか荷造りが簡単に済んでしまいました。



2016年11月21日(月) 下関に戻り

羽田→山口宇部空港のANA便で下関に戻りました。




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