KENの日記
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2016年11月28日(月) 下関戻り

長崎市内での引っ越しを終えて下関に戻りました。今年の下関ドックも残り後一週間です。12月6日には下関ドックを出て海上走行試験をした後に長崎に向かう予定です。

ドックの期間中は造船会社の準備してくれる宿舎に宿泊し、ドックに係留されている「船」まで通うことになります。生活の場所は、長崎のアパート、船内の船室、造船会社の宿舎と別れることになります。さいたまの実家にも通常は使わない物を残置しています。このように生活の場所が頻繁に変わると、「何をどこに置いておくか」ということが大変重要になります。

現金(カード)、携帯電話、歯ブラシ、入浴用品、下着一式などは常に持ち歩くことになります。それと携帯電話の電源コンセントも重要です。パソコンはネット環境次第で持ち歩くか置いていくかを決めます。このように一時的に別な場所に住むための「要領」を覚えないと、不便感でいらいらするし、逆に荷物が多すぎて大変なことになります。



2016年11月27日(日) 風頭公園



銀屋町のアパートは長崎の寺町通に極近い場所にあります。そしてアパートの面している道が銀屋町通りですが、その道は「幣振坂」に繋がっていて急な坂道を登って「風頭公園」に行くことができます。

幣振坂は大変な急坂ですがシーボルトの娘「イネ」の墓があったり、高台から長崎港が見渡せたりして大変趣のある坂です。頂上の「風頭公園」には立派な「坂本龍馬」像があります。長崎では坂本龍馬の人気は大したものです。






2016年11月26日(土) 長崎市内で引越し

今日は「引っ越し」をしました。会社の住宅制度が変更されて、会社が契約する「社宅」に入居することとなったためです。但し会社は社宅を所有していないので、一定の条件で社員が探した物件を社宅として認めれくれるという方式です。そのため長崎市内で条件に合う物件を探したという訳です。

これまで引越しは何回も経験しましたが、こんな近くの引っ越しは初めてです。一番遠い引越しは「さいたま市→インドムンバイ市」です。国内引越しでいえば「東京→倉敷」です。荷物をトラックに積み込んでから当日に運び入れた引っ越しは無かったと思います。今日の引越しは福岡の業者が担当しました。長崎市の地理に不案内な業者なので一緒にトラックに乗せてもらって私が案内して引っ越し先に向かいました。

結果として午前9時から荷物を積み込み始め、10時30分には積み込み終了して前のアパートを出発し、11時には引っ越し先で荷物を搬入し始め、12時には搬入を終えることができました。そのあと段ボール箱を開けて荷物を整理しました。

今度の住居近くには「ドン・キホーテ」と「ダイソー」があるので、そこで生活に必要な小物を買うことができます。またスーパーも近いので食料品購入も便利そうです。



2016年11月25日(金) 長崎に戻りました。

明日26日に長崎のアパートを引っ越すことにしたため下関から長崎に戻りました。現在のアパートは長崎駅に近い「西坂」という場所にあります。アパートの直ぐ上に「西坂教会」があります。大変便利な場所でしたし、春の桜は綺麗だろうなと考えていたのですが、結局「桜」を見ずに引っ越すことになりました。

昨年12月中旬に「さいたま」から長崎に引っ越しましたが、「船」に乗っていた関係で西坂のアパートには実質「一カ月」も住んでいなかったと思います。引越し先は長崎市の「銀屋町」です。長崎の繁華街に近く「生活する」ためには大変便利な場所だと思います。荷物が少ないので思いのほか荷造りが簡単に済んでしまいました。



2016年11月21日(月) 下関に戻り

羽田→山口宇部空港のANA便で下関に戻りました。



2016年11月11日(金) 埼玉に帰省

今日の夕方の埼玉に帰省しました。経路は複雑になりますが記録として残しておきます。

彦島(バス)→下関駅(バス)→山口宇部空港(飛行機)→羽田空港(京急電車)→品川(JR)→赤羽(JR)→武蔵浦和

飛行機ANA700便
1740山口宇部→1910東京羽田

最終便が満席のためひとつ前のANA700便で羽田に帰りました。この便もほぼ満席です。金曜日の夜の便はどこの路線も大変混雑します。羽田上空の交通混雑のため出発が遅れました。

下関への戻りは21日になります。



2016年11月09日(水) トランプ氏勝利

アメリカ大統領選挙において共和党のトランプ氏が勝利しました。このアメリカ国民の判断には世界中が驚いたと思います。民主主義の基本である「多数決」が劇的な結果をもたらすことができることを証明しました。

英国の「EU離脱」の意思決定の記憶がまだ鮮明ですが、イギリスの分身のアメリカにおいても何か起こるのではないかという予想はしていました。英国・アメリカのアングロ・サクソン民族が世界のリーダーとしての役割を果たしてきたのですが、そのアングロ・サクソンの国民は、今回「パックスアングロサクソン」の新しい価値を確立するために自ら変身しようとしたのではないかと思われます。

それは残念ながら安定した繁栄に満ちたバラ色の世界ではないように思います。自由主義・国境の壁を取り除くグローバリズムがバラ色の結果をもたらすものではないことは明らかになっていますし、コストが掛かる大量の難民を受け入れ、社会が不安定になるような人道主義を世界の人達が受け入れられるほど、人々の思いやり精神は成長していないのだと思います。

トランプ氏は綺麗ごとだけでは済まされないことをはっきり口に出したのだと思います。それがアメリカ国民の過半数の賛同を得たのでした。長らく世界をリードしてきたアングロ・サクソン民族もそのまま「良い子」を続けることはできなくなりました。多分、アメリカは自分達がもっと繁栄し、豊かになるような道を選ぶことになるのでしょう。



2016年11月04日(金) 下関入り

私の乗っている「船」は昨年12月下関でドック整備をしたのですが、今年は約一カ月早く11月4日にドック入りしました。ドライドックの大きなドックに入渠してから、数時間で水抜きが終了し通常では見ることができない船底が現れました。水を吸い上げるポンプがものすごい能力をもっていることを初めて知りました。昨年12月に下関に着いた時には既に水は抜かれていたのでした。

ドライドック期間中でも船内事務室で執務するのですが、これがなかなか難儀なのです。と言うのも、ドック期間中は水道は船内一カ所外からホースで給水となるし、船内のトイレは全く使えず、船から降りて用を足さなければならないのです。簡易トイレは船の甲板に設置されますが、そこだkでは不十分です。勿論宿泊は別の宿舎になります。生活用品を船から宿舎に移動させなければなりません。

また昨年の12月程ではないにしろ朝晩は冷え込みます。一方まだ昼間の船内は暑くなるので上着を脱いだりすることになります。体調管理に気を付けないといけません。またドック内の道路には、大きなクレーン移動用の線路が敷かれていたり、船へ入るためのタラップがいつもと違っていたりします。気を付けないと危ない箇所が何カ所もあり、事故につながりかねません。安全には十分に注意しなければなりません。



2016年10月30日(日) 長崎に戻り

昨日第3回遍路を区切り、本日午前の高速バスで長崎に戻りました。今年のドックは昨年より約一カ月早まりました。11月3日には下関の造船所に向け出港予定です。



2016年10月29日(土) 遍路九日目:観音寺で打ち止め

午前6時朝食。私は5時に起きて濡れた靴を乾かす作業と爪先のテーピングを行いました。右の爪先は親指と人差し指の爪内出血しています。これは三坂峠下りからだんだん酷くなってきたものです。今日は第66番雲辺寺登山で今回の遍路の最もキツイ場所なので入念に行いました。

昼食用にと岡田屋さんからのお接待の「おむすび」を頂きました。通常のペースだと第67番大興寺辺りで食べることになるよとお爺ちゃんが教えてくれました。8人の宿泊客は順番に出発していきました。私は6時45分に出発しました。岡田屋のお爺ちゃんは宿の外に出て「ヤマガラ」に餌を与えていました。お爺ちゃんが口笛で「ヤマガラ」を呼ぶと小鳥がお爺ちゃんの「手の平」に降りてきます。お爺ちゃんは鳥にヒマワリの種のような餌を与えながら歩き遍路も見送ってくれました。

民宿岡田で頂いた地図は非常に役立ちました。交差点などでは遍路マークを丹念に探せば間違うことはないとは思うのですが、私も一カ所間違え、お爺ちゃんの地図を見て遍路道に戻りました。さすがに88カ所札所の中で最も標高の高い雲辺寺です。坂道はかなり厳しいものでした。徳島の焼山寺登山が「遍路ころがし」として有名ですが、それに匹敵する坂道が各県にあるようです。

遍路開始早々の「焼山寺登山」は大変有名なのですが、遍路に慣れたからと言って坂道登りが楽になるかというと決してそうではなく、常に「なぜこんな苦しい思いをして坂道を登っているのだろう?」と自問しながら登ることになります。雲辺寺の登りも横峰寺の登りも大変苦しいものでした。しかし苦しみながら登っていると健康な身体に感謝する気持ちが湧いてきます。足の筋肉には想像を超える力が隠されているのだと感心します。足は主人を恨んでいると思いますが。

第66番雲辺寺山門には8時30分に到着しました。岡田屋さんから1時間45分かかりました。岡田屋のお爺ちゃんは2時間から2時間30分掛かるといっていましたので、頑張ったというものです。雲辺寺では岡田屋で一緒だったトレーニングウエアの男性遍路と川之江ICから出発したという女性遍路と一緒になりました。空模様は今にも雨が降り出しそうな様子なのですが、結局この日は本格的な雨は降りませんでした。

第66番雲辺寺から第67番大興寺までは9.4Kmの下り坂です。最初こそ険しい急坂がありましたが、その後はゆったりした舗装道路の下り坂です。道を間違える心配も殆どないので歌いながら歩くことができました。町中の道ではない長閑な山道なので迷惑にはならないとは思いましたが、声に反応してあちこちで犬が吠えます。

順路となっている遍路道は「大興寺」のはお寺の裏に繋がっています。遍路道は民宿おおひらの庭をぐるっと回って坂道降りて大興寺山門に通じています。帰りはこの坂を上らなければならないと思うと少し辟易したのですが、次の札所への遍路道は別でした。

大興寺を打ち終わり観音寺の街に近づいていくと、遍路道沿いに岡田屋のお爺さんが「美味い」と太鼓判を押したうどん屋「大喜多うどん」がありました。大興寺でおにぎりを食べたところですが讃岐のうどんが食べたかったので一番小盛の「かけうどん」を頂くことにしました。店内ではご主人と思しき人が機械でうどんを作っています。道の向かい側には大変広い「大喜多うどん」の駐車場がありました。中規模のスーパーマーケットにも負けないくらいの広さです。休日や昼食時には混雑するのだろうと思われました。

「大喜多うどん」の少し手前にお爺ちゃんが教えてくれた「遍路小屋銭形」がありました。この遍路小屋は「遍路道沿い」に土地を確保できなくて、少し離れた道に建てられた「遍路小屋」なのだそうです。そのため利用が少ないので岡田屋さんには遍路小屋を案内して欲しい旨のお願いがあったようです。正直なお爺ちゃんはその経緯を含めて教えてくれるのです。銭形遍路小屋を通ると少し遠回りになることまで教えてくれました。

JR予讃線の踏切を渡って観音寺市内に入ります。次の第68番神恵院と第69番観音寺は財田川を渡った「琴弾公園」の裏にあります。この二つの札所は敷地が一緒で納経所も一カ所です。共通の山門を潜って左奥にあるのが第68番神恵院で本堂はコンクリート製の仏教寺院らしからぬ建物でした。右奥にあるのが第69番観音寺です。

第69番観音寺で今回の遍路は打ち止めです。今回9日感で松山から観音寺まで歩きました。JRの路線距離(ほぼ直線)でいうと138Kmとなります。第45番岩屋寺から第69番観音寺まで25カ所の札所を回りました。歩数5万歩を超える日が何日かあり、かんり集中して歩いたつもりです。その分遍路道沿線の風景とか寄り道は殆どしませんでした。道後に泊まった日に「ナポリピザ」を食べに行こうと考えていたのですが、それもやめて休息に当てました。仕事の合間の「遍路」は日程が限らているので「寄り道」できません。残りは「香川県」の19カ所ですが、できたら余裕をもって歩き、寄り道もしたいと考えています。

長崎に戻るためのフェリーは夜9時55分松山観光港を出発します。それまでの時間を観音寺駅か松山駅近かくで過ごそうと考えていたのですが、観音寺駅周辺には殆ど何もないので松山駅に戻ることにしました。15時39分の特急列車に間に合ったので、それに乗って松山に向かいました。幸い列車はガラガラ空いていたので向かいのシートを回転させて足を延ばして暫く眠りました。

松山には5時30分頃に到着しました。松山観光港フェリー乗り場行バスには大分時間があるので駅前の床屋で散髪する事しました。松山駅前には大規模温泉施設がありますが、フェリーの中で風呂に入ることができると思い散髪を選んだのです。しかしフェリーに乗ってみると眠気が襲ってきて、また出発前にぐっすり眠りこんでしまいました。翌日5時に小倉港に着きましたが長崎行きの高速バスには時間があるので、フェリー内で暫く休んで時間を潰しました。

○民宿岡田→第66番雲辺寺(5km)
○第66番雲辺寺→第67番大興寺(9.4km)
○第67番大興寺→第68番神恵院(8.7km)
○第68番神恵院→第69番観音寺(0.0km)
○第69番観音寺→JR観音寺駅(1.5km)
○JR観音寺駅→松山駅→松山観光港→小倉港→長崎駅




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