KENの日記
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2015年10月09日(金) 浦和税務署へ

今日は浦和税務署まで確定申告の書類を提出に行ってきました。平成26年度の所得税で「配偶者控除」が抜けていたので、妻の所得証明書を取得し、会社から26年度の源泉徴収票を再発行してもらい、ネットで確定申告書を作成・印刷した確定申告書を持参して行ってきました。確定申告をするのは今回が初めてです。医療費の還付請求も有りませんでしたし、損失を計上している「株式」もそのまま所有し続けているし、3年前の母の遺産相続においても免税の範囲内でした。しかし、これから年金生活に入ったり、病気にかかって高額医療費を支払ったりすると「確定申告」が必要になりますので、その予行演習と考えることができます。確定申告書を書くより「証拠書」をキチンと保管しておくことが大切だと思います。

所得税還付申告のついで「土地・建物の売却」に関して確定申告が必要かどうか相談してきました。相続した田舎の「土地・建物」については年内に譲渡処分してしまおうと考えているので、その売却収入に税金がかかるのかどうかということです。両親が残した資料の中に取得した「土地」については売買契約書が、建物については建築請負契約書がありました。取得時の証拠書と現在の相場(複数不動産屋さんからの情報)から相続した「土地」の価値は1/3に下がっています。建物は減価償却を計算すると殆ど残価はありません。これらの証拠書を見せて相談したところ、「税金の支払いを要しないならば申告をする必要はありません」とのことでした。

この資産価値の低下による「損」は一定の条件(当該不動産に10年間以上住んでいたとか・・・)が揃えば他の所得と「損益通算」ができるとのことでしたが、それには全く該当していません。もしそれが可能であれば年収2年分ほど損益通産できる計算にはなります。それにしても資産価値が1/3に落ち、その後全く回復する気配がないというのは、当時長野県の片田舎にもバブルが押し寄せていたことを示しています。土地価格は好転せずに、上の「建物」は毎年どんどん価値が低下して行き、取り壊しのための人件費の上昇し、環境対策で処分費は高騰していきすから、住む予定のない土地・建物は価値がこれ以上下がらない中に処分すべきだと痛感しました。



2015年10月03日(土) 須坂の実家へ

今日長野県須坂の実家の整理のために須坂に戻っています。母をさいたま市に引き取って以来、住人が居なくなっていた須坂市の実家を売却するための事前処理のためです。母が亡くなってからは、庭の草取り・植木の剪定、冬場の凍結対策など実家を相続した私が面倒をみてきました。親が健在の頃は「夏休み」「年末年始」には兄弟が「里帰り」して実家で賑やかに過ごすことがありましたが、両親が亡くなってしまうと一堂に会することはなくなりました。ということで実家売却を検討してきたところです。

実家を処分するに先立って、「姉」と「弟」に実家の残されている「物」で利活用できる物を持ち帰るようお願いしました。実家には妻の「嫁入り」の時の大きな箪笥と箪笥の中の着物類があったのですが、これらは妻が私が乗船中で長らく留守している間に運送業者を見つけて埼玉に持ち帰ったのでした。そして今日は「お寺」さんにお願いして「仏壇」の「お魂抜き」をしました。実家に残されている仏壇の処理は実家を処分するに当っての大きな課題でした。今日は午前11時からお寺さんい着ていただき「お魂抜き」の法要を行なっていただきました。

今回の帰省に合わせて実家の品物で「価値のありそうな物」「思い出の物品」を出来るだけ持ち帰ることにしました。妻は母の着物をチェックして自分で着る事が出来るような「着物」を探しました。私は食器類・昔集めた切手類などを整理・パックしました。食器類では「徳利・猪口」が便利そうなので持ち帰ることにしました。「生け花」をやっていた母親は花瓶類を沢山持っているのですが、収納スペースの関係で処分することにしました。最後に残っているのは両親の位牌と家族の写真を残してきました。位牌は次の機会に持って帰るとして「思い出の写真」はどうするか決めかねています。



2015年09月26日(土) さいたま帰着

夜行高速バスで新宿駅西口に着きそのまま埼京線に乗り換えて「さいたま」に戻りました。足の「肉刺」はかなり酷い状態になっていました。靴下を上手に履いていれば長距離歩行では「肉刺」は殆ど出来ないのですが、「雨」に濡れて足の皮膚がふやけてくると直ぐに「肉刺」ができます。皮膚がふやけて弱くなることに加えて、靴・靴下との皮膚の摩擦が大きくなるので肉刺が出来やすくなるのでしょう。

10日以上遍路をすると1日くらいは「雨」が降りますから、その度に「肉刺」を作っていたのでは溜まりません。次の遍路の機会までになんとか雨対策「肉刺編」を考えておかなくてはなりません。防水靴という手段があるのでしょうがどれくらい効果があるのでしょうか。遍路解説書には「靴には金を惜しむな」と書いてありますが、その通りなのかもしれません。



2015年09月25日(金) 遍路最終日「第44番大寶寺」

朝6時前に「民宿シャロン」の近いサンクスで朝食と昼食兼用で「お結び」を買っていると、津島町の三好旅館で別れた横浜の青年遍路と偶然出会いました。彼は私より先を歩いていただけに、昨日(午前中の雨の中)追い付いてきたことにビックリしていました。買い物を先に済ませ私が先に出発しました。彼とは「第44番大寶寺」で再び出会いました。

今日のスケジュールは「民宿シャロン」から「大寶寺」まで約35Km歩き、大寶寺のある熊高原町のバス停から3時45分発のJRバスで松山駅に移動し、松山で「JR」か「伊予鉄」の夜行高速バスを使って新宿に戻ることになっています。秋の連休直後の通常の金曜日なのでバスには空き席があるだろうと考えバスの予約はしませんでした。

今日の遍路道の後半には峠越えがニ箇所ありました。内子町と久万高原町の境にある「下坂場峠(標高570m)」と久万高原町の「鴇田(ひわた)峠(標高790m)」です。この最後の「鴇田峠」はかなりキツカッたです。それでも天候が良かったこともあって予定通り午後2時ごろには大寶寺に到着することができました。

久万高原町は南北に国道33号線が走っています。この国道をそのまま北上すると松山市に至ります。国道沿いの「久万中学前バス停」から松山駅までは約1時間の乗車で料金は1380円。次の遍路では全く逆に新宿から松山市に入り松山から「久万中学前」に移動することになります。

松山には複数のバス路線が一点に集まるようなバスターミナルはありません。JR高速バスの久万高原行バスに乗車するにはJR松山駅が便利ですが、新宿から走っている伊予鉄高速バスは伊予鉄のターミナル駅松山市駅が便利です。JR松山から松山市駅までは市電で5分(160円)かかります。松山から新宿へのバスとしてはJR高速バス(12400円)と伊予鉄バス(12300円)の二つの高速バスが走っています。

松山駅まで行ってJRバスのチケット売り場で問い合わせてみると今晩のバスは若干狭い席が二つだけ残っているとのこと。この情報を得てから松山駅構内の旅行代理店で伊予鉄バスの状況を聞くとまだ大分席が余っているとのこと。ということで伊予鉄バスのチケットを買い求め、市電で松山市駅に移動しました。松山市駅近くで夕食を済ませ夜行高速バスに乗り込みました。伊予鉄バスは空席が多かったのでゆったりした気分でぐっすり眠ることが出来ました。伊予鉄バスの運転は春の「海部観光」レベルに近く非常に静かでした。



2015年09月24日(木) 第43番明石寺から内子町へ

今日は天気の回復状況を見てどこまで歩くのか決めることにしました。昨日昼頃まで好天気に恵まれた遍路だったのですが、夕方から天気が崩れ始めて夜には大雨となってしまいました。遍路は雨の中でも雨具を着けて歩くのですが、雨の中の歩行は靴下が濡れて「肉刺」が出来やすくなり、その肉刺の痛みによって歩行距離はだんだん短くなっていきます。できたら避けたいものです。

今日以降も雨が降り続くようであれば約30Km先の「大洲市」まで歩き、大洲市で今回の遍路を区切り「八幡浜市」発の伊予鉄道の夜行バスに乗って新宿に戻ることも考えました(案1)。一方、天候が回復し今日明日も長距離歩けるようであれば、もう一泊して約75Km先の「第44番大寶寺」まで歩き、そこで遍路を区切ろうというのが第2案です。これは八十八箇所の半分の四十四番まで辿りついて置きたいという単純な発想です。

このどちらにも対応できるように「とうべや」ご後主人には朝食を「お結び」に代えて貰って昨日中に準備をしておいてもらいました。今朝天候が回復していたなら出来るだけ早く宿を出発できるようにと考えました。朝4時半頃に眼を覚ましました時には外は「土砂降り」でした。物凄い音を響かせて大粒の雨が降っていました。これでは「案1」でも難しいかもしれないという懸念も過ぎりました。

しかし朝6時過ぎの天気予報によると愛媛県西部の「大雨」は今日の午前中には峠を越して午後からは雨が止みそうだとい話が出てきました。そして朝7時過ぎには雨の勢いは少し弱くなってきました。これは「運」が向いてきたと考えて7時30分には宿を出発しました。宿のご主人は「本当に大丈夫なの」という風な顔付だったので、雨が再び酷くなれば引き返すことも考えている旨お話して出発したのでした。

私の予想は見事にあたり、雨脚はどんどん弱くなっていき午前10時近くに雨が止んだのでポンチョを脱ぐことが出来ました。このポンチョはひじょうに便利でリュックとともに上半身を雨から守ってくれました。しかし問題は膝から下でした。昨日夜から降り続いた雨で山間の遍路道は「臨時の川」のような様相を呈していました。ポンチョでカバーされない雨はどんどん靴に流れ込むし、川のような遍路道では当然靴はびしょ濡れになります。予想通り両足には「肉刺」が出来始めました。

雨が止んだので今日のスケジュールを確定することにしました。大洲市で遍路を打ち上げるのではなく第44番まで足を延ばすというものです。しかし朝6時前に出発していれば問題ないものの、今日は雨が小降りなるのを待っていたため1時間以上出発が遅れてしまったことです。「第44番大寶寺」までの77Kmの道程を二日で歩くには今日中に「内子町」まで行っておきたいのです。距離は約40Km。夜遅くなって着いてもよいように内子町の「民宿シャロン」に素泊まりで宿を確保しました。

遍路道が内子の街を通り抜けていました。内子の街には「内子座」という古い歌舞伎劇場があります。この劇場は大正天皇即位をお祝いして当時の有志が建設したもので来年が丁度建設100周年となります。国の重要文化財に指定された立派な建物です。こういう形で後世に文化財を残す先達がいるのはうらやましい限りです。

「とうべや」から約40Km歩いたのですが、朝の雨と途中の山間の遍路道に雨水が流れていたことで靴の中はびしょ濡れとなっていました。「民宿シャロン」では500円で洗濯をしてもらったのですが、ズボン・靴下に加えて汚れた「靴」も洗って頂き、靴の中に新聞紙を詰めて乾かしてくれました。明日は遍路最終日となるのですが、最終日に濡れた服とか汚れた靴で歩くのは辛いものですし、第44番大寶寺の後に新宿まで高速バスに乗ることとなるので、綺麗に洗濯してもらったことは非常にありがたかったです。 



2015年09月23日(水) 第41番龍光寺、第42番仏木寺

今日は津島町の「三好旅館」を出発し第41番の龍光寺、第42番の仏木寺を打ち、仏木寺近くの民宿「とうべや」さんの泊まっています。歩いた距離は30km弱で午後3時30分過ぎには宿に着くことができました。国道56号線「松尾阪トンネル」を回避して古い遍路道を選んだのですが、これが予想したほど厳しいものではなく、すんなりと歩くことできたので、道中ずっと快適な歩きができました。歩き遍路開始後10日程過ぎると身体が長距離歩行になれてくるもののようです。この感じだと40Kmもそれほど大変だとは思えません。

今日お参りした第41番龍光寺大変地味なお寺でした。参道の正面にはお稲荷さんが鎮座しているため赤い鳥居が遠くから見えます。寺に山門等の門はありません。お稲荷さんの左に本堂があり右側に太子堂があります。お遍路はお稲荷さんにはお参りせずに左右の龍光寺にだえお参りします。何か変な感じがしました。

一方そこから3Km程離れた第42番仏木寺は大変綺麗なお寺でした。作りも新しいのですが、それなりに風格があり落ち着いたなお寺さんでした。今日の宿の「とうべや」も非常に小ぎれいな民宿です。作りが新しく清々しい感じです。ネット上では人気のある民宿なので満員かと思っていたら客は私一人でした。連休最後なので今日まで遍路している人は少ないようです。

今日の遍路道は宇和島の街中を通過しました。宇和島市は今年宇和島伊達家400年祭りの年にあたり市内各所に記念祭りのポスターが貼ってありました。宇和島市内の伊達家屋敷を博物館に改装した「伊達博物館」でも400年記念展示をしていました。400年前の1615年は大坂夏の陣で「豊臣家」が滅亡した年です。この大坂夏の陣で活躍した伊達家は恩賞として宇和島10万石を徳川家康から与えられました。初代藩主は正宗の長男「伊達秀宗」です。長男は秀吉の「秀」を賜っています。そして徳川二代将軍秀忠の「忠」を賜った次男の「忠宗」が仙台伊達を継承しました。興味の尽きない「宇和島」でした。残念ながら詳しく散策する時間はありませんでした。

今晩の宿の「とうべや」さんは若い頃地質調査関係の仕事で全国の宿を「泊まり歩いた」というご主人が一人で運営されている「宿」です。嘗てのネット情報では山から「狸」が家族で下りてきて「とうべや」の庭先で餌を食べる光景を見ることができる宿として有名でした。現在は猪が出没するために猪狩りが行なわれ、それに連れて狸も近づかなくなったとのことでした。その代わり近所の猫(野良)が毎日やってきます。

遍路開始以来続いた晴天も今夜から崩れ出しそうです。夕方頃から雨が振り出しました。天気の崩れは「遍路」の大敵です。そろそろ今回の遍路切り上げ計画を考え始めました。現在宇和島市を抜けたところですが、そのまま遍路道を進むと30Km程度先に「大洲市」があります。「大洲」は八幡浜市初東京行きの「伊予鉄高速バス」が通っています。天候が悪化し雨の日が続くようであれば、「大洲市」当りできりあげる選択肢を「案1」としました。

一方天気の崩れが今晩が峠で明日以降暫く好天が続くのであれば、少し長距離を歩いて「第44番大寶寺」まで歩いて大寶寺から松山に出て松山から焼こうバスで帰る方法を「案2」としました。現在42番ですが、44番までは77Km程度あります。77Kmを2日で歩いて午後7時30分松山発の予行バスの乗るというの少々チャレンジングな案です。どちらかにするか明日の天気次第です。



2015年09月22日(火) 津島町の三好旅館宿泊

第40番観自在寺から第41番龍光寺までは50.2Kmあります。ここを一日で歩くのは無理ですから途中で一泊する事になります。さらに遍路道が主に通っている国道56号線は、この区間に観自在じから27Km付近に松尾トンネル(1710m)があり、歩き遍路にとっては難所となっています。このトンネルを歩いて通過するには27分かかり、通過車両の排気ガスでトンネル内の空気は大変汚れていると解説本は脅かします。一方トンネルを迂回・山越えする形で旧遍路道がありますが、こちらの長さは3.7Kmとトンネル通過に対して2Km余分に掛かかるのです。

この松尾トンネルの後はしばらく適当な宿泊施設がないので、少し距離は短いでのすがこのトンネルの手前の津島町で宿を取りことにしました。民宿磯屋からは23Km程度の距離なので午後2寺30分には宿に到着してしまいました。今日は少し体力を温存して明日頑張るつもりです。津島町は古い町のみが保存されています。きょうの 宿「民宿三好屋」さんは築100年を越える古い建物を利用しています。建築当時は珍しい木造3階建てだったのだそうですが、今は2階建てに改造されています。お隣の佃煮屋さんはもっと古く明治4年建築だそうです。昨年瓦を取り替えた際に屋根裏から棟上げ式の記録が出てきたのだそうです。明日は第41番龍寺とそこから近い第42番の仏木寺を打つことにしてって、その近くの民宿「とうべや」に宿を確保しました。



2015年09月21日(月) 遍路愛媛県入り

今日はいよいよ高知県に別れを告げ愛媛県にはいりました。第39番の高知県の延光寺から第40番愛媛県の観自在寺までの25Kmの遍路道です。今日の遍路道の特徴は何と行っても高知県・愛媛県境の「松尾峠」越えでした。久百百で一緒だった地元四国のベテラン遍路さんは「松尾峠」を通らない遍路など考えられないと言われました。松尾峠を通らずに国道56号線を迂回する方法もあるのですが、ベテランお遍路の言葉通り「松尾峠」を越えました。

この峠道は高知県側は非常に険しい道が延々と続く全く容赦の無い道でした。坂道には踊り場の平地がほとんどなく休憩所もありません。結局峠に達するまでずっと急な坂道でした。一方の愛媛県側は全く逆で遍路道は整備され坂もそれほど急坂ではありません。これは四国の特徴だと思いますが、海からは非常に切り立っていますが、島の内陸部は大地になっていて緩やかな場所が多いのだと思います。松尾峠頂上で神奈川県から来たという青年といっしょになり、歩くスピードがほぼ一緒だったため何とは無しに会話しながら相前後して歩きました。そしてこの青年と別れ「松尾太子休憩所」で昼飯を食べていると、民宿「島」でいっしょだった女性遍路が峠から降りてきました。彼女私を追い越していきましたが、後に別の休憩場所で一緒になりしばらく川沿いの気持ちの良い遍路道を一緒に歩きました。

今日の遍路道は松尾峠を通過してしまうとあとはのんびりした山道と、コンビニの沢山ある国道56号線なので道を間違えないように注意しているだけで気楽に歩くことができました。観自在寺のある愛南町街中に近づくと遍路道は「僧都川」の土手を歩くこととなり、やがてその川は「御荘港」という小さな港に繋がっています。僧都川では丁度落ち鮎漁の季節で「縦編み」という鮎を追い込む網をもった漁師さんが魚のいそうな場所を探していました。

今日の宿は「民宿磯屋」。海辺の小さな宿で漁船等が繋がれている岸壁のすぐ脇にあります。定員3人という小さな宿ですが、今日は既に定員一杯だったのですが、急に泊まりたい遍路客が現れて、女将さんが布団部屋を片づけて始めました。私の手伝って一人止まれる部屋ができました。非常に気さくな女将さんで楽しい夕食を頂きました。10年以上前にご主人を亡くされその後お一人で民宿を運営されているのだそうです。高野山の「親王院」という寺のご住職が若い頃遍路したときにこの磯屋に泊まりそのとき以来おつきあいがあるようで、八十八箇所満願した後の高野山参りでのお勧めの宿だといって紹介してくれました。



2015年09月20日(日) 久百百から第39番延光寺

今日は久百百から第39番延光寺まで歩きました。距離は約34Kmで宿は延光寺近くの民宿島屋さんです。昨日の足摺岬往復40Kmに比べると距離が短いので気持ちが楽でした。その分昔の遍路道などを寄り道したり、休憩時間を長く取ったりすることができました。お遍路は無理な歩行計画をたてて焦るよりゆったりと歩くことが良いと改めて感じました。

第39番に行く道は、市ノ瀬という地区にある「真念庵」を経由して古い遍路道を通るルートと、その南側に新しくできた県道21号線を通る方法とがあります。更に北側の「真念庵」を通る古い遍路道は途中の三原村を通過するルートとその手前で古い遍路道に入り込むルートがあります。選ぶ道に依って経験する雰囲気・様子も大分違うことだろうと思われます。私は県道を通らずに古い遍路道の方を選ぶことにしました。結果的には非常に面白い体験ができたと思います。

まず案内地図に記載されていない古い遍路道が沢山あるので、アスファルト舗装でない山林の中の遍路道をたっぷり歩くことができました。アスファルトの道は基本的に平面なので足の裏への刺激は一定なのですが、舗装されていない山道は岩や石を踏んでいくことになるので、結果的に足首・足の裏への程良い刺激となるのです。また遠くを見渡せない山道は距離感が掴み難いので結果として歩いていても疲れないようになるようです。

途中立ち寄った三原町では「どぶろく」のお接待を頂きました。偶々休憩所を併設している食堂で休んでいると、その店の方から思いがけなくその地区で作られていると言う「どぶろく」を頂くことができました。三原地区では10年ほど前から地元で取れる米を使って「どぶろく作り」を始めたのだそうです。現在では「どぶろく特区」に指定されていて7軒の家でどぶろくを作っているのだそうです。その店で頂いたどぶろく「富喜」は大変美味しいお酒でした。

三原村から第39番延光寺のある平田町までの道沿いに「中筋川ダム」があります。ダム建設の影響でダム下流の中筋川の水面は下がり大変深い谷のようになっています。谷の上を通る橋はバンジージャンプが可能なような高い場所を通っていて素晴らしい眺めとなっています。



2015年09月19日(土) 足摺岬日帰り

民宿久百百を起点として足摺岬先端にある「第38番金剛福寺」往復にトライしました。行程は40Km。時速4Kmで計算すると10時間歩き続けることになります。久百百を6時30分に出発しました。宿のご主人が昼食用の「おむすび等」を準備してくれました。足摺岬方面には食事が出来る店が殆どないので非情に在り難い心配りです。

もう一度同じ道を通って同じ場所に帰って来なくてはならないので、遠くに行けば行くほど戻る帰りの行程が厳しくなるので非情に疲れる歩きの旅でした。こういう歩行計画の設定は好ましくないことが分かりました。途中の窪津という漁港では朝水揚げされた「かじき・さわら等」の魚が市場に並べられているところを見ることができました。豊かな海に囲まれている高知なならではの光景だと思いました。

足摺岬は海岸線にそって県道27号線が走っています。足摺岬への遍路道はこの県道を通ることが多いのですが、遍路地図には記載されていないような古い遍路道がかなりあるようです。足摺岬の海岸線に沿って海岸近くを迂回しているのは県道で、岬をショートカットするように海岸線から離れて標高の高い場所の登っておりるものの距離的には短いくなっていのが遍路道です。どちらを通るのかは遍路の選択となります。

しかし一般的に古い遍路道が「蜘蛛の巣」がすごいし、倒木が道を塞いでいるとか草が茂っているとか整備されてません。これまで通過してきた旧遍路道に比べても大変荒れているという印象が強かったです。第38番金剛福寺正面のレストランの方の話によると、これまで遍路道を整備されていたお爺さんが昨年怪我をしてしまって遍路道を整備できない状況になっているのだそうです。昨年の台風で遍路道は大きな被害がでたようですが、足摺岬の遍路道は台風通過後の状態そのままとなっているようです。

昨日二人しかいなかった「民宿久百百」は連休初日の今日は満員となりました。有名な「女将さん」が復帰するまで忙しい時には近所の方が応援に来てくれるようです。




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